トップQs
タイムライン
チャット
視点

阿倍沙弥麻呂

ウィキペディアから

Remove ads

阿倍 沙弥麻呂(あべ の さみまろ)は、奈良時代公卿。名は佐美麻呂沙美麿益麻呂[1]とも記される。系譜は明らかでないが、大錦下・阿倍名足の子とする系図がある[2]官位正四位下参議

概要 凡例阿倍沙弥麻呂, 時代 ...

経歴

天平9年(737年従五位下に叙爵し、翌天平10年(738年少納言に任ぜられる。その後はほぼ3年おきに昇叙されるなど聖武朝で順調に昇進し、聖武天皇退位前の天平21年(749年)に従四位上まで昇進する。またこの間左中弁を務めた。

天平勝宝7歳(755年)に防人を監督する勅使として大宰府に下向するが、その際に詠んだ和歌作品1首が『万葉集』に採録されている[3]孝謙朝では一時昇進が止まるが、天平宝字元年(757年正四位下参議に叙任され、阿倍氏としては中納言阿倍広庭以来25年振りに公卿に列すが、翌天平宝字2年(758年)4月20日卒去。最終官位は参議中務卿正四位下。

官歴

注記のないものは『六国史』に基づく。

脚注

出典

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads