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阿部正識
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阿部 正識(あべ まさつね)は、江戸時代中期の武蔵忍藩主。忠秋系阿部家7代。
明和元年(1764年)11月28日、阿部正敏の長男として生まれる。天明2年(1782年)12月18日に将軍徳川家治に初めて御目見し、従五位下美作守に叙任された。当初、父正敏は養嗣子の正陳を世継ぎとしていた。しかし、正陳が早世してしまったので正識が嫡子となった。天明7年(1787年)5月26日、家督を相続する。同年6月15日、豊後守に改任。しかし病弱だったため、幕府の役職に就くこともなく、寛政8年(1796年)2月21日、33歳で隠居し、紀州藩から養子・正由を迎えた。
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系譜
父母
- 阿部正敏(父)
- 河合氏 ー 側室(母)
婚約者
- 阿部正倫の娘
子女
養子
参考文献
- 工藤寛正編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。
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