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阿部正敏

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阿部 正敏(あべ まさとし)は、江戸時代中期の譜代大名大坂城代忠秋系阿部家6代。

概要 凡例阿部正敏, 時代 ...

人物

忍藩4代藩主・阿部正喬の五男として生まれる。正喬が隠居した際、まだ若年だったため、従兄の正允が家督を継いだ。寛保2年(1742年)に嫡子となったが、正允が長命を保ったため、家督を継いだのは安永9年(1780年)、51歳のときである。翌天明元年(1781年)に奏者番となる。正敏は江戸屋敷がたまたま当時の実力者田沼意次邸の隣で、意次が屋敷地の拡張を希望していると聞くや、自分の屋敷地を幕府に返上、幕府は意次に下賜する形で譲渡している。一方、藩内では、天明3年(1783年)の浅間山大噴火や、天明6年(1786年)におこった大洪水で被害をうけ、藩財政が逼迫した。

天明4年(1784年)、奏者番から大坂城代に昇格したが、在任中の天明7年(1787年)に死去した。 先代藩主・正允の次男・正陳を養子としたが、父に先立って死去。このため、実子の長男・正識が家督を継いだ。

年譜

  • 1730年(享保15年)誕生。(享保17年(1732年4月28日生まれとする説もある)
  • 1742年(寛保2年)8月9日、兄正允の養嗣子となる。
  • 1780年(安永9年)12月27日、正允死去、忍藩相続。
  • 1781年(天明元年)4月21日、奏者番。
  • 1784年(天明4年)5月11日、大坂城代。
  • 1787年(天明7年)4月2日、大坂にて死去、享年58歳。

官位位階

系譜

父母

正室

側室

  • 河合氏

子女

養子

参考文献

  • 工藤寛正編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
  • 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。
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