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隈之城村

日本の鹿児島県薩摩郡にあった村 ウィキペディアから

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隈之城村(くまのじょうむら)は、鹿児島県の北西部、薩摩郡に属していた

概要 くまのじょうむら 隈之城村, 廃止日 ...

郡制下における薩摩郡役所の所在地であり、現在の薩摩川内市さつま町における中心地として発展した[2]1929年(昭和4年)5月20日平佐村東水引村と対等合併し川内町(1940年に市制施行し川内市)となり、自治体としては消滅した[3][4]

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地理

川内平野の南東部、川内川の南岸に位置していた。村役場は東手の向田に設置されていた。1881年明治14年)に村内の大字東手に薩摩郡高城郡出水郡伊佐郡甑島郡の5郡の郡役所が設置された[2]

大字

隈之城村には西手東手、宮里の3大字があった[1]

現在の冷水町隈之城町中福良町青山町都町尾白江町木場茶屋町宮崎町矢倉町勝目町山之口町川永野町向田町宮里町向田本町東向田町西向田町神田町若松町東開聞町西開聞町が村域にあたる。

河川

隣接する自治体

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、隈之城郷に属していた向田町、宮里村、西手村、東手村の区域より薩摩郡隈之城村が成立[5]
  • 1920年(大正9年)頃 - 単独での町制施行をしようとする動きがみられるも、鹿児島県が隈之城村に単独町制実施は慎重に考慮すべきと指示したことにより頓挫[6]
  • 1927年(昭和2年) - 第4代村長折田勇吉の任期満了に伴う村長推挙の村会において助役の選任に関する問題が発生し、大字西手の住民が分村を提起する[7]
  • 1929年(昭和4年)
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行政

歴代村長

町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』の表記に基づく[13]。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。

さらに見る 代, 氏名 ...

官公庁

人口

以下の人口遷移表は『川内市史 下』の別表の記述に基づく。

凡例
人口(人)
1882年 6,449
1902年 8,220
1912年 10,885
1922年 12,993
1926年 13,443

交通

鉄道

出身有名人

脚注

参考文献

関連項目

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