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川内市
日本の鹿児島県にあった市 ウィキペディアから
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川内市(せんだいし)は、九州の南西部、鹿児島県の北西部に所在していた市。

1929年5月20日に隈之城村、平佐村および東水引村が合併し薩摩郡川内町(せんだいちょう)として発足[1]。1940年2月11日に市制施行し川内市となった[2]。鹿児島県内においては1889年に市制施行した鹿児島市に次いで2番目の市制施行となった。その後水引村、永利村、高江村及び下東郷村の一部、高城町を編入。2004年時点で人口約7万人であった。
2004年10月12日に東郷町、樋脇町、入来町、祁答院町、上甑村、下甑村、里村、鹿島村と合併し薩摩川内市となり、自治体としては消滅した。
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地理
要約
視点
東シナ海へと注ぐ川内川が市の中央を東西に貫き、その河口が湾状になり市の中部に達し、川内平野を形成している。市の西部、川内川河口の末端には川内港や川内原子力発電所、川内発電所(火力)がある。
市内には京セラの工場がある他、薩摩焼酎(藷焼酎)の産地として知られる。
町・字
1929年(昭和4年)5月20日時点の薩摩郡川内町の大字は、東手・西手・宮里・平佐・天辰・楠元・久住・中・大小路・宮内・五代の11大字から構成されていた[3]。
市制施行の前日にあたる1940年(昭和15年)2月10日に鹿児島県公報に掲載され、同日に施行された「 薩摩郡川内町、町名改稱竝區域變更」(鹿児島県告示)により大字が廃止され町となった[4]。市制施行時には久住町・楠元町・中村町・天辰町・白和町・鳥追町・平佐町・宮里町・冷水町・隈之城町・中福良町・尾白江町・木場茶屋町・都町・青山町・川永野町・山之口町・勝目町・矢倉町・宮崎町・向田町・宮内町・御陵下町・大小路町・国分寺町・五代町・上川内町の27町があった(西手・東手は消滅)[5]。
1951年(昭和26年)4月1日には水引村が編入され、それに伴い鹿児島県公報に掲載された「 川内市の区域内の一部の大字名及び区域変更」により、小倉町・水引町・湯島町・港町・網津町が新たに設置された[6]。
1956年(昭和31年)9月30日には永利村・高江村が編入され、それに伴い鹿児島県公報に掲載された「 市村の廃置分合に伴う大字の廃止及び町の新設」により、永利町・百次町・田崎町・高江町・久見崎町・寄田町が新たに設置された[7]。翌年の1957年(昭和32年)4月1日には下東郷村の一部を編入したのに伴い「
大字の廃止及び町の新設」により新たに中郷町・白浜町・田海町が設置された[8]。
1965年(昭和40年)4月1日には住居表示の実施に伴い、向田本町[9]・東向田町[9]・西向田町[9]・神田町[9]・若松町[9]・東開聞町[9]・西開聞町[9]・横馬場町[10]・若葉町[11]・大王町[12]・花木町[13]が設置された[14][15]。同年4月15日には高城町を編入し、それに伴い「 字の廃止及び字の新設」によって高城町・陽成町・城上町・湯田町・西方町が設置された[16]。1981年(昭和56年)には原田町[17]・東大小路町[18]が新たに設置され、1992年(平成4年)には中郷一丁目・中郷二丁目・中郷三丁目・中郷四丁目が設置された[19]。2000年(平成12年)には運動公園町が新設された[20]。
2004年(平成16年)10月12日の新設合併により薩摩川内市が設置された際には、法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに川内市の65町はそのまま薩摩川内市の町となった[21]。
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歴史
要約
視点
都市名の由来
ニニギ (ニニギノミコト)がこの地に皇居を定めるにあたり、千の台を作るように命じたという故事によるとされる。
また、この地は薩摩の中心で高台には国府や国分寺が置かれており、その高台を「千台」と言った。この「千台」が川内川の北側(内側)にあった事から「川内」になったとも言われている。
古来は「仙台」「千代」「千台」「河内」などとも書かれたが、1720年に当時の薩摩藩主であった島津吉貴が「川内」と命名し定着した。これは川内川と高城川の内側という意味である。
江戸時代には川内の名は広域地名となり、高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・永利郷・平佐郷・中郷・東郷は川内八郷と呼ばれた。なおここでの「郷」は外城のことである。
後に中郷が東郷へ統合されたものの、1889年の町村制施行後、郷は「村」として継承された(水引は西水引村・東水引村へ、東郷は下東郷村・上東郷村へ分割)。その後昭和期の合併を経て八郷(上東郷村→東郷町を除く)は「川内市」としてひとつの自治体を構成するに至った。
なお、市名の読みが同じ宮城県仙台市にも「川内」という地名が存在するが、こちらの読みは「かわうち」である。この仙台市川内地区に設置されている川内駅(仙台市地下鉄東西線)の読みは当然「かわうち」駅であり、川内市の中心駅である川内駅(JR鹿児島本線)とは同じ字だが読みが異なるという関係にある。
沿革
前史
川内町成立後
- 1929年(昭和4年)5月20日 - 薩摩郡隈之城村・平佐村・東水引村が合併し、薩摩郡川内町が発足[1][22]。
- 1940年(昭和15年)
- 1947年(昭和22年)9月 - 復興音楽祭開催に合わせ「川内市民歌」および市民音頭「川内音頭」、新民謡「川内小唄」を選定。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 市内に昭和天皇の戦後巡幸。川内高校に川内市民奉迎場が設けられた[24]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 薩摩郡水引村(西水引村から改称)を編入[25]。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 薩摩郡下東郷村の一部を編入(残部は高城村、東郷町にそれぞれ編入)。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 1963年(昭和38年)年度を以て財政再建団体を解除される[27]。
- 1965年(昭和40年)
- 1969年(昭和44年)7月1日 - 集中豪雨により川内川の堤防が決壊。中心部の約7000戸が床上、床下浸水[30]。
- 1976年(昭和51年)
- 2004年(平成16年)10月12日 - 東郷町、樋脇町、入来町、祁答院町、甑島四村と合併、薩摩川内市となる[33]。
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行政
要約
視点
歴代首長
町長
以下の川内町長の一覧は「川内市史 下巻」による[34]。
市長
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[36]。
行政組織
支所
川内市に編入された自治体の町村役場をそのまま支所として運用していたが、川内市役所新庁舎の完成に伴いすべての支所が1976年(昭和51年)12月28日に廃止された[32]。
警察
消防
姉妹都市・友好都市
教育
大学
高等学校
高等学校・中学校
中学校
小学校
- 川内市立亀山小学校
- 川内市立可愛小学校
- 川内市立川内小学校
- 川内市立隈之城小学校
- 川内市立平佐東小学校
- 川内市立水引小学校
- 川内市立永利小学校
- 川内市立峰山小学校
- 川内市立寄田小学校
- 川内市立滄浪小学校
- 川内市立高来小学校
- 川内市立城上小学校
- 川内市立吉川小学校
- 川内市立陽成小学校
- 川内市立湯田小学校
- 川内市立西方小学校
特別支援学校
- 鹿児島県立串木野養護学校川内分校 - 2000年3月閉校。同年4月に開校した鹿児島県立出水養護学校(鹿児島県出水市)へ統合された。
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交通

鉄道
- 廃止路線
道路
高速道路
2004年時点では高速道路は南九州西回り自動車道川内道路が工事中であり、未開通であった。
国道
県道
- 一般県道
- 鹿児島県道332号荒川川内線
- 鹿児島県道333号川内祁答院線
- 鹿児島県道341号吉川川内線
- 鹿児島県道342号上川内停車場線
- 鹿児島県道394号山崎川内線
経済
川内市に本社または事業所を置く主要企業
著名な出身者
川内市を舞台とした作品
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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