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霊光郡

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霊光郡
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霊光郡(ヨングァンぐん)は、大韓民国全羅南道の北西部にある郡である。黄海に面しており、また北辺を全北特別自治道に接している。

概要 位置, 各種表記 ...
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霊光郡庁

1986年から霊光原子力発電所が稼動し、現在では6基の原子炉がある韓国最大の原子力発電所である。また太陽光発電所の建設計画もある。合計特殊出生率が国内の中で1番高い郡である。

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歴史

  • 本来は百済の武尸伊郡であった。
  • 757年 - 武霊郡に改称されて高敞県茂松県長沙県を管轄した。
  • 940年高麗太祖23年) - 武霊郡が霊光郡に改称した。高敞県は古阜郡に編入され、功城郡が長城県に降格され、その属県だった森溪県と一緒に霊光の属県となり、押海郡の属県だった陸昌県臨淄県、務安郡の属県だった海際県咸豊県牟平県が霊光の属県となった。羅州の属県である押海県が霊光に編入されたが、間もなく羅州へ返還された。
  • 1172年 - 長城県と咸豊県が州県に昇格した。後に長沙県が州県に昇格し、茂松県が長沙に編入された。
  • 1392年 - 押海県が咸豊県に編入された。
  • 1409年 - 牟平県と咸豊県と合併して咸平県になった。この年に全羅道のすべての属県・所・部曲が廃止され、残っていた森溪県・陸昌県・臨淄県・大安郷・望雲郷・陳良部曲・弘農部曲・貢牙部曲がすべて廃止された。
  • 1895年には全州府霊光郡、1896年には全羅南道霊光郡となる。霊光郡が管轄していた島嶼は新設の智島郡に編入。(27面)
    • 東部面、西部面、道内面、南竹面、官山面、今麻面、奉山面、九水面、監所面、元山面、麻山面、外間面、馬村面、畝長面、黄良面、仏甲面、大安面(旧・大安郷)、望雲面(旧・望雲郷)、陳良面(旧・陳良部曲)、弘農面(旧・弘農部曲)、陸昌面(旧・陸昌県)、県内面、内東面、外東面、外西面、森南面、森北面(以上の6面は旧・森溪県)
  • 1906年 - 県内面・内東面・外東面・外西面・森南面・森北面が長城郡に、望雲面が務安郡にそれぞれ編入。(20面)
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、智島郡蝟島面・落月面が霊光郡に編入。霊光郡に以下の面が成立。[2](12面)
    • 霊光面・白岫面・弘農面・法聖面・大馬面・畝良面・仏甲面・郡西面・郡南面・塩山面・蝟島面・落月面
朝鮮総督府令第111号
さらに見る 旧行政区画, 新行政区画 ...
  • 1916年4月1日 (12面)
    • 大馬面金洞・福洞・支庄里の各一部が全羅北道高敞郡大山面に編入。
    • 全羅北道高敞郡大山面小星里・川辺里・春山里の各一部が大馬面に編入。
  • 1955年7月1日 - 霊光面が霊光邑に昇格。[3](1邑11面)
  • 1963年 - 蝟島面全羅北道扶安郡に編入。(1邑10面)
  • 1967年5月6日 - 落月面鞍馬出張所を設置。
  • 1980年12月1日 - 白岫面が白岫邑に昇格。[4](2邑9面)
  • 1983年2月15日 [5](2邑9面)
    • 郡南面の梧東里・玉瑟里が塩山面に編入。
    • 郡西面の緑沙里・松林里・新河里・鶴丁里が霊光邑に編入。
  • 1985年10月1日 - 弘農面が弘農邑に昇格。[6](3邑8面)
  • 1987年1月1日
    • 塩山面の盤安里・月興里が郡南面に編入。
    • 郡西面甫羅里の一部(歳月村)が霊光邑鶴丁里に編入。
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地理

霊光郡は全羅南道西部の最北端に位置しており、東部の山岳地帯と西部の平野という特性を持ち、リアス式海岸が発達している。

夏は海洋性気候の影響により高温多湿、冬は大陸性気候により寒冷で乾燥している。日照時間が長く農作物の生産に適しており、風が強く降雪量が多い地域でもある。

行政

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行政区域図

行政区域

さらに見る 邑・面, 法定里 ...

警察

消防

交通

高速道路

国道

著名な出身者

脚注

外部リンク

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