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鶴澤探鯨
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鶴澤 探鯨(つるさわ たんげい) 1687年(貞享4年) - 1769年9月20日(明和6年8月21日))は、日本の江戸時代中期に活躍した狩野派の絵師。鶴澤探山の息子で鶴澤派の2代目。名は守実。探鯨は号で、別号に幽皓。
略伝
鶴澤探山の子として生まれる。10代前半頃に父とともに上洛し、禁裏の御用を務めた。父と共に、1708年(宝永5年)慶仁親王(中御門天皇)御所、宝永度禁裏御所、1713年(正徳3年)近衛尚子女御御所、1723年(享保8年)昭仁親王(桜町天皇)御所の障壁画制作に参加する。1728年(享保13年)法橋叙任。翌年に父・探山が亡くなった後も、1736年(元文元年)二条舎子女御御所や一条富子女御御所障壁画を手掛けた。1747年(延享4年)61歳で父と同じ法眼に進んだ。1769年(明和6年)83歳で没した。墓は京都の善導寺。息子の鶴澤探索が跡を継いだ。弟子に石田幽汀、吉田元陳、江村春甫、大森捜雲、雲鯨、竹内重方、一説に歌川豊春など。
画風は、探幽様式を守った父と違って多彩である。江戸狩野派様式を基調としつつも、京狩野風、大和絵風、あるいは琳派風の作品も描いている。これは京都の人々の需要や、若年で上洛した探鯨は京都に残る名品を見て学ぶことができたからだと推測される。探鯨の多様な画風は以後、鶴澤派画風の基調として受け継がれていくことになる。
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代表作
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参考文献
- 佐々木丞平編著 日本美術調査研究センター調査編集協力 『平成8年春季企画展図録 江戸期の京画壇 --鶴沢派を中心にして』 京都大学文学部博物館、1996年8月
- 京都文化博物館学芸課編集 『近世京都の狩野派展』 京都文化博物館、2004年9月
- 兵庫県立歴史博物館編集 『彩 ~鶴澤派から応挙まで~』 「彩」実行委員会、2010年4月
- 九州国立博物館監修・文 『美のワンダーランド 十五人の京絵師』 青幻舎、2012年7月、ISBN 978-4-86152-360-1
脚注
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