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黒住成章
日本の政治家、弁護士、会社役員 ウィキペディアから
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黒住 成章[1](くろずみ せいしょう[1][2][注 1]、前名・佐平治[4]、1875年(明治8年)12月16日[5][6] - 1928年(昭和3年)7月17日[1][7])は、日本の弁護士[8][9]、会社役員、政治家。衆議院議員(当選3回、立憲政友会)[1][7]。族籍は岡山県平民[4][10]。

略歴
1875年(明治8年)12月、岡山県津高郡一宮村(後の御津郡一宮町一宮、現在の岡山市北区一宮)で生まれる[3][7][11]。黒住秀治の長男[4][10][6]。生家は代々農業を営む[9]。小学校卒業後、家業に従事する[9]。
家が貧しく、学資を得ず、上京して牛乳配達、新聞配達等を勤めながら[6]、1902年(明治35年)、和仏法律学校(現・法政大学)を卒業[3][10][12]。
1903年(明治36年)、判検事登用試験に及第し、この年の12月に司法官試補を命ぜられ函館地方裁判所に勤務する[3]。翌年官を辞し函館に弁護士事務所を開設する[3]。1914年(大正3年)に函館弁護士会副会長となり[3]、後に会長[4][7]に就任する。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。立憲政友会に所属[1][2]。これまで幾度か落選していた[11]。
1925年(大正14年)4月20日、加藤高明内閣で農林参与官に就任する。
1926年(大正15年)4月、大日本水産会監事となり、1927年(昭和2年)4月、理事となる[3]。
1927年(昭和2年)4月22日、田中義一内閣で司法参与官に就任する。
函館市会議員、函館商業会議所特別議員[1]、寿都鉄道監査役[11]、日魯漁業、函館水電、函館銀行の法律顧問などをつとめる[11]。1928年(昭和3年)7月17日に死去[7]。
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人物
岡山県の黒住秀治の長男[4][10]だが、北海道に渡って土地っ児になった[11]。邪気のない男なので新聞記者仲間では評判が良かった[11]。
処世訓は努力[9]。趣味は撞球、乗馬[3][9]。住所は北海道函館寿町[4][10]、東京市芝区葺手町[13](現・東京都港区虎ノ門四丁目)。
栄典
家族・親族
- 黒住家
脚注
参考文献
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