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黒田隆庸
江戸時代中期から後期の筑前福岡藩大老 (1744-1800) ウィキペディアから
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黒田 隆庸(くろだ たかつね)は、江戸時代中期から後期の筑前福岡藩大老。三奈木黒田家の第8代当主。初名は一庸。
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生涯
延享元年(1744年)、福岡藩大老黒田一誠の子として生まれる。宝暦12年(1762年)9月、兄一興の死去により家督を相続する。
明和7年(1770年)、藩主となった黒田治之が初入国し、領内を巡見した。一庸は、藩主巡見中の農作業を停止を農民に命じていたが、そのことを知った治之より、巡見中も農作業を止めないよう命じられた。
安永3年(1774年)8月、治之の命で通称を源左衛門から美作と改めた。安永6年(1777年)、前藩主黒田継高が死去し、葬儀を執り行った。天明4年(1784年)、先年死去した治之の遺命により、藩校修猷館(東学問稽古所)、甘棠館(西学問稽古所)を設立した。
寛政5年(1793年)12月、長年の勤労を賞されて、藩主黒田斉隆より偏諱を受け、諱を隆庸と改めた。
寛政7年(1795年)、藩主黒田斉隆が6月に急死し、10月に生後間もない長順が藩主となると、幼い長順に代わって家老の合議で藩政を執ることになる。寛政8年(1796年)4月、家老合議が藩主に代わって家中の賞罰を行うことを布告した。
寛政12年(1800年)9月4日死去。家督は婿養子の一定(清定)が相続した。
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参考文献
- 福岡県 編『福岡県史資料. 第2輯』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考サイト
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