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1962年オランダグランプリ

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1962年オランダグランプリ
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1962年オランダグランプリ (1962 Dutch Grand Prix) は、1962年のF1世界選手権の開幕戦として、1962年5月20日ザントフォールト・サーキットで開催された。

概要 レース詳細, 日程 ...

11回目のオランダグランプリとなる本レースには22回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられ[1]、80周・335kmで行われた。

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レース概要

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BRM・P57

1.5Lのエンジン規定も2年目を迎え、前年は出遅れたイギリス勢の準備もしっかり整い、コヴェントリー・クライマックスV型8気筒のFWMVエンジンを、BRMも同じV型8気筒のP56エンジンを搭載したP57を本格的に投入した[2]チーム・ロータスF1マシンとしては初めてモノコック構造のシャシーを採用した「25」を投入した[3]ローラバウメーカー英語版の後ろ盾により、初めてのF1マシン「Mk4」を制作し、前年のヨーマン・クレジット・レーシングチームの面々が揃った[4]ジャック・ブラバムは前年半ばに「モーター・レーシング・ディベロップメンツ(ブラバム)」を設立し、本年からドライバー兼コンストラクターとして参戦を始めたが、自製マシンが完成するまでの間はロータス・24で参戦した[4]。イギリス勢以外ではポルシェ空冷水平対向8気筒エンジンを搭載した新車804を投入した[5]。前年圧倒的な速さを見せたフェラーリは、前年末にカルロ・キティをはじめとしたチーム首脳陣が離脱し、ドライバーもフィル・ヒルが残留したものの、若いジャンカルロ・バゲッティリカルド・ロドリゲスらを迎え若返り化したことによる混乱、イタリア国内の労働ストライキによるマシン開発の遅れなどにより、前年の156を改変するにとどまった[6]。イギリス勢の巻き返しの尖兵と目されたスターリング・モスだったが、開幕1ヶ月前の非選手権レース「グローヴァー・トロフィー」(グッドウッド・サーキット)でクラッシュして頭部を強打する瀕死の重傷を負ってしまい、事故から1年後に引退した[5]

予選はF1初参戦のローラを駆るジョン・サーティースポールポジションを獲得した[5]

決勝はグラハム・ヒルがBRM・P57を駆って初勝利を挙げた。BRMにとっては1959年オランダGPヨアキム・ボニエ以来、2回目の優勝である。27秒差の2位にチーム・ロータスのトレバー・テイラー、前年のドライバーズチャンピオンのフィル・ヒルは3位表彰台を獲得した。

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エントリーリスト

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追記
  • タイヤは全車ダンロップ
  • ^1 - マシンが準備できず
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結果

予選

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決勝

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第1戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

参照文献

外部リンク

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