トップQs
タイムライン
チャット
視点

1972年の大洋ホエールズ

ウィキペディアから

1972年の大洋ホエールズ
Remove ads

1972年の大洋ホエールズでは、1972年の大洋ホエールズの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の5年目のシーズンである。

概要

アメリカからクリート・ボイヤージョン・シピンの新外国人コンビが入団、ロッテから江藤慎一をトレードし打線を強化したものの、チーム防御率一位の前年から一転し、先発投手陣が脆弱化したことから、チーム成績は低迷する。そんな中、阪神村山実監督兼投手→金田正泰代行)、広島根本陸夫監督→森永勝也代行)と監督途中交代が連続、大洋でも8月31日より別当監督が「優勝が絶望的になった」として休養し、青田昇ヘッドコーチが監督代行となるが、青田代行はいきなり7連敗し、9月23日まで1勝14敗2分と低迷した。翌24日からは宮崎剛二軍監督が「代行監督の代行」となり、結局5位で終わった。シーズン終了後、別当監督は戻らずにそのまま広島の新監督へ就任、大洋の新監督には青田ヘッドコーチが昇格した。

チームは優勝の巨人に13勝13敗、3位中日に14勝11敗1分と勝ち越すも、それ以外への取りこぼしも目立った。野村収が移籍した先発投手陣は平松政次の球威が低下し、坂井勝二山下律夫の活躍こそあったものの、前年活躍した小谷正勝鬼頭洋も成績を落としたことから、チーム防御率3.66はリーグ5位で27完投はリーグ最下位。一方で、ボイヤー・シピン・江藤など新加入のスラッガーが主軸となったことで、打撃陣は優勝の巨人に次ぐ2位の135本塁打を放ったが、44盗塁はリーグ最下位でちぐはぐさが目立った。

Remove ads

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 江尻亮
2 中塚政幸
3 松原誠
4 江藤慎一
5 シピン
6 伊藤勲
7 ボイヤー
8 松岡功祐
9 山下律夫
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1972年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ74524 .587優勝
2位阪神タイガース71563 .5593.5
3位中日ドラゴンズ67594 .5327.0
4位ヤクルトアトムズ60673 .47214.5
5位大洋ホエールズ57694 .45217.0
6位広島東洋カープ49756 .39524.0

[1]

Remove ads

オールスターゲーム

さらに見る コーチ, ファン投票 ...

できごと

  • 8月31日
    • 別当薫監督が休養し監督代行を青田昇ヘッドコーチが務めると発表[2]
    • 松原誠が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[3]
  • 9月24日 - 監督代行の青田昇が胆石で入院。二軍監督の宮崎剛が代行に。
  • 11月14日 - 監督に、この年監督代行を務めた青田昇が正式就任。
  • 11月22日 - 横浜市に対し、本拠地を移転することを申し入れる。

選手・スタッフ

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー ...
さらに見る ベストナイン, 選手名 ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads