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1974年のロードレース世界選手権

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1974年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第26回大会である。4月にフランスクレルモン=フェランで開幕し、モンジュイック・サーキットで開催された最終戦スペインGPまで、全12戦で争われた。

1974年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1973 翌年: 1975

シーズン概要

要約
視点

ドイツGPが開催されたニュルブルクリンクのコースサイドの金網に緩衝材が設置されていなかったことが問題となってトップライダーたちがレースをボイコットしたため、以前からやはりコースの安全性の理由によってトップライダーやワークスチームが参戦を回避していたマン島TTと同様に他のグランプリには見られない地元のライダーたちの名前がリザルトに並ぶこととなり、この年の世界選手権は前年同様に全12戦だったが実質的には10戦でタイトルが争われることになった[1]

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モノショックとなった1974年型ヤマハYZR500(OW20)

この年の最大のトピックは、ジャコモ・アゴスチーニヤマハへの移籍である。前年、7年間に渡って守り続けた500ccクラスのタイトルを後からチームにやってきたフィル・リードに奪われたアゴスチーニは、シーズンが終わると9年間在籍したMVアグスタを離れ、MVアグスタの4ストロークにとって最大の脅威であったヤマハの2ストロークでリードに挑むことを決めた[1]。エースライダーのヤーノ・サーリネンの事故死によって前シーズンの半ばにしてワークスチームを撤退させたヤマハだったがアゴスチーニという強力なライダーを得てこの年の開幕戦からの復帰を決定し、リヤサスペンションにロードレーサーとしては初となるモノショックを採用した改良型のYZR500を投入したのである[2]

この年はまた、スズキが日本のメーカーとしてはヤマハに続いてワークス活動を再開し、後にグランプリで一時代を築くことになるワークスマシン、RG500をデビューさせたシーズンでもあった。先にデビューしていたヤマハのYZR500がデイトナ200用のYZR750と共通のシャーシを持ち並列4気筒エンジンだったのに対し、RG500は2ストロークという点こそYZRと同じだったものの、スクエア4気筒のエンジンレイアウトを採用した「軽量・コンパクト」をコンセプトとしたマシンだった。そしてスズキがこのマシンを託したのが、ベテランのジャック・フィンドレイと前年スズキのサポートを受けてFIMフォーミュラ750選手権タイトルを獲得するなど波に乗っていたバリー・シーンである[3]

500ccクラス

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P.リードのMVアグスタ。MVのマシンは前年後半からキャストホイールを採用していた[4]

ヤマハに移籍したジャコモ・アゴスチーニは、前哨戦とも言えるデイトナ200マイルレースとイモラ200マイルレースに優勝して好調なうちにシーズンを迎えた。しかし開幕戦のフランスGPを制したのはMVアグスタのエースとなったフィル・リードだった。ほとんどのライダーがボイコットしたドイツGPを挟んで第3戦オーストリアGPでは、アゴスチーニがヤマハでの初勝利を飾った。アゴスチーニはオランダでシーズン2勝目を挙げ、初めての2ストロークにもかかわらず健闘するが、スウェーデンGPで転倒したバリー・シーンを避けきれずにクラッシュして骨折してしまう[1]。この怪我によってアゴスチーニの1974年シーズンは実質的に終わりとなり、タイトルはその後2勝を挙げてシーズン通算4勝となったリードが2年連続で獲得した[5]。結果として、これがMVアグスタが獲得した最後の世界タイトルとなった[6]

バリー・シーンの手によってデビュー戦となった開幕戦でいきなり2位を獲得し、オーストリアGPでも3位と幸先の良いスタートをきったスズキのRG500だったがその後は熟成に手間取り、ハンドリングに問題を抱えていたことなどもあって時折速さを見せたもののデビューシーズンで勝利を挙げることはできなかった[3]

350ccクラス

MVアグスタフィル・リードが序盤の数レースをメカニカル・トラブルによって落とし、MVアグスタは500ccクラスに専念するためにシーズン途中で350ccクラスから撤退したため、このクラスはヤマハのマシンが完全に支配するクラスとなった[1]。前年、MVアグスタのマシンでチャンピオンとなったジャコモ・アゴスチーニは、開幕戦でヤマハのマシンでの初優勝を記録するとその後も順調に勝利を重ね、第9戦ユーゴスラビアGPで5勝目を挙げてメーカーを移りながらも7年連続となる350ccクラスタイトルを獲得した[7]

250ccクラス

この年、250ccクラスを席巻するヤマハの市販マシンの前に立ち塞がったのは、このクラスに唯一ワークスチームを送り込んだハーレーダビッドソンだった。ただし、このマシンはハーレーの名を冠してはいたものの中身はハーレーに吸収されたイタリアのアエルマッキ製のものである[8]。このマシンに乗るウォルター・ヴィライタリアGPでグランプリ初勝利を挙げるとその後もシーズンを通して好調さを維持し、4勝を挙げてディーター・ブラウンパトリック・ポンスといった強豪プライベーターたちを押さえてタイトルを獲得した[9]

この年のダッチTT250ccクラスでは、ケニー・ロバーツ片山敬済という後にワールドチャンピオンとなる2人のライダーがグランプリデビューを飾っている。ロバーツはデビュー戦でポールポジションを獲得するという速さを見せ、一方の片山はグランプリ初参戦から3戦目となるスウェーデンGPで早くも初勝利を挙げた[1]

125ccクラス

このクラスでもヤマハのマシンは速く、中でもディフェンディングチャンピオンのケント・アンダーソンは不出場のドイツGPと最終戦のスペインGP以外の全てのレースで表彰台に上る安定した強さを発揮して2年連続タイトルを獲得した[10]。また、アンダーソンらの活躍によって125ccクラスのタイトルも獲得したヤマハは、この年出場した50ccを除く4クラス全てでマニュファクチャラーズ・タイトルを独占することになった[2]

50ccクラス

唯一日本製のマシンが出場しない50ccクラスは、この年もクライドラーのマシンが支配するクラスとなった。10戦中6勝を挙げて初タイトルを獲得したヘンク・バン・ケッセルをはじめとして、シーズンの全てのレースをクライドラーのマシンに乗るライダーが制したのである[11]

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脚注

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