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1975年のロードレース世界選手権

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1975年のロードレース世界選手権
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1975年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第27回大会である。3月にフランスポール・リカール・サーキットで開幕し、オパティヤ・サーキットで開催された最終戦ユーゴスラビアGPまで、全12戦で争われた。

1975年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1974 翌年: 1976


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1975年のロードレース世界選手権

シーズン概要

要約
視点

1975年は、マシンとライダーの両面において世代交代を感じさせるシーズンとなった。前年、長く慣れ親しんだMVアグスタから最大のライバルであるヤマハへ移籍したジャコモ・アゴスチーニは前人未到の15個目のタイトルを獲得したが、これは2ストロークエンジンのマシンによる初めての500ccクラスタイトルであると同時にアゴスチーニ自身にとっては最後のタイトルとなったのである[1]

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バリー・シーン(左)とフィル・リード

アゴスチーニと入れ替わるように500ccクラスの新たなヒーローとなったのが、スズキバリー・シーンである。この年の3月、アメリカのデイトナ200マイルレースのフリープラクティス中、デイトナ名物のバンクで270km/h以上のスピードでのクラッシュという大事故に見舞われたシーンは大腿骨の複雑骨折背骨圧迫骨折など、ライダー生命を危ぶまれるほどの重傷を負う。ところがシーンはこの事故から3ヶ月後のオーストリアGPの予選に出場するという驚異的な回復振りを見せた。そして第6戦ダッチTT、アゴスチーニとデッドヒートを繰り広げたシーンは最終ラップの最終コーナーでアゴスチーニをかわしてトップでゴールするという劇的な500ccクラス初勝利を飾り、アッセンの十数万人の観客を熱狂させたのである[2]

この年のもうひとつのエポックメイキングな出来事が、スリックタイヤの導入である。オーストリアGPで日本人初の500ccクラス勝者となった金谷秀夫YZRには登場したばかりのスリックタイヤが装着されていたのである。もっともこの当時にはスリックタイヤの性能はまだ一般には正しく認識されておらず、オーストリアGPのスタート前にはMVアグスタフィル・リードから危険だとしてクレームを付けられるという一幕もあった[2]。また、元々溝付きタイヤの使用を前提に造られていた当時のマシンにとってスリックタイヤの強力なグリップがハンドリングに却って悪影響を与えたため、フロントに溝付きタイヤ、リヤにスリックを履くというのがこの頃の一般的なパターンだった[3]

500ccクラス

前年、ヤマハに移籍して初めての2ストロークマシンに苦闘したジャコモ・アゴスチーニが、いよいよ実力を発揮し始めた。開幕戦フランスGPではアゴスチーニがまず1勝し、第2戦オーストリアGPではアゴスチーニのサポートとして日本から呼ばれた金谷秀夫が日本人初の500ccクラス優勝を挙げた。続くドイツイタリアでもアゴスチーニが連勝し、ヤマハYZR500は開幕から4連勝を飾った。

例年通り主なファクトリーが出場を見合わせた第5戦マン島TTでは、水冷に改造したカワサキH1Rを駆るミック・グラントが8年ぶりにコースレコードを更新して制した[3]。これはカワサキにとっては最後の500ccクラスでの勝利だった。また、出場しなかったマン島TTの週を含む5週間のインターバルは、スズキのファクトリーに速さを見せるものの信頼性の低いワークスマシンRGに大掛かりな改良を施す時間を与え、第6戦ダッチTTではシーズン前の大怪我からの復活を遂げたバリー・シーンによってRGにグランプリ初勝利がもたらされた[1]。シーンはスウェーデンでも2勝目を挙げている。

前年のチャンピオンであるMVアグスタフィル・リードはヤマハ、スズキの後塵を拝し続け、第7戦のベルギーでようやくシーズン初優勝を記録した。速さでは最新の2ストロークマシンに一歩劣るものの信頼性ではMVアグスタの4ストロークに一日の長があり、リードはこの年は2勝に終わったものの10戦中8戦で表彰台に上る安定した速さを見せてポイント総合計では誰よりも多い96ポイントを獲得した。しかし、ベストリザルト6戦のポイントを有効とするポイントシステムにより、4勝を挙げたアゴスチーニが500ccクラス8度目にしてヤマハでは初めてとなるタイトルを獲得した[4]1958年ジョン・サーティース以来、17年間に渡ってこのクラスのライダースタイトルはMVアグスタのマシンに乗るライダーが独占してきたが、この年ついにその記録が途切れることになったのである[5]

350ccクラス

前年と同じく、この年の350ccクラスの全てのレースでヤマハのマシンを駆るライダーが勝利した。しかしライダースタイトル争いを制したのはヤマハのエースのジャコモ・アゴスチーニではなく、この年グランプリにデビューしたばかりの19歳のジョニー・チェコットだった。チェコットはデビューレースとなった開幕戦フランスGPで250ccと350ccの両クラスで優勝するという快挙を成し遂げると、第2戦スペインでもアゴスチーニに続いて2位に入賞した。ヤマハのモノショックを持つワークスマシンYZR350には当初はアゴスチーニのみが乗っていたが、やがてチェコットら他のライダーにもYZRが与えられた[1]。また、ヤマハはこれとは別に4気筒の新型YZR350の開発も進めていたが、このマシンは実戦に投入されることはなかった[6]。第3戦オーストリアは日本から前半戦のみ参戦した金谷秀夫が勝利し、続く第4戦、第5戦にはチェコットが連勝した。

ファクトリーが欠場したマン島TTを挟んでシーズンが後半戦に入ってもアゴスチーニは調子を取り戻すことができず、タイトルはフィンランドでシーズン4勝目を挙げたチェコットのものとなった[7]。結局1勝に終わったアゴスチーニは、7年間に渡って守り続けた350ccクラスチャンピオンの座を失ったのである。

250ccクラス

開幕戦のフランスGPではヤマハに乗るジョニー・チェコットが350ccとのダブルウィンというセンセーショナルなグランプリデビューを飾ったが、ハーレーダビッドソンワークスで前年度チャンピオンのウォルター・ヴィラは第2戦から3連勝でシーズンの主導権を握った。チェコットはベルギーで2勝目を挙げ、ヴィラのチームメイトであるミシェル・ルージュリーフィンランドでグランプリ初勝利を挙げるなどヴィラとタイトル争いができるほどまでに力を付けてきていたが、スウェーデンまでの8戦で5勝を挙げたヴィラが彼らを振り切ってタイトルを守った[8]

125ccクラス

開幕戦こそ前年のチャンピオンであるヤマハケント・アンダーソンが勝利したが、第2戦以降はモルビデリパオロ・ピレリが7連勝で初タイトルを獲得した[9]。モルビデリにとっても初めての世界タイトルだったが、ピレリの7勝のうち6勝がチームメイトであるピエール・パオロ・ビアンキとの1・2フィニッシュという、圧倒的な速さだった。

50ccクラス

かつてデルビのマシンで3度このクラスのタイトルを獲ったアンヘル・ニエトが前年のチャンピオンマシンであるクライドラーに乗り換え、再び50ccクラスを支配した。ニエトは全8戦中6勝した上に残る2戦でも2位に入るという、他を寄せ付けない強さで4度目の50ccクラスタイトルを獲得したのである[10]。イタリアの小コンストラクターであるピオヴァッティカのマシンを駆るエウジーニョ・ラッツァリーニがコンスタントに表彰台に上る活躍でランキング2位を得た。しかし、財政難に苦しんだピオヴァッティカはディスクバルブ2ストロークレーサーの権利をブルタコに売却し、ピオヴァッティカのエンブレムを付けたマシンはこの年限りで姿を消すことになった[11]

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脚注

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