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1980年の全日本F3選手権
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1980年の全日本F3選手権(1980ねんのぜんにほんF3せんしゅけん)は、1980年(昭和55年)3月8日 - 9日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年11月2日 - 3日に鈴鹿サーキットで閉幕した全8戦による1980年シーズンの全日本F3選手権である。
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1980年の全日本F3選手権 | |||
前年: | 1979 | 翌年: | 1981 |
概要
2年目を迎えた「日本F3チャレンジカップ」は前年同様、主催がJAFではなく「日本F3協会による独自開催」とされていたため、厳密には開催時全日本選手権は掛けられていなかったが、翌年からJAFにより正式認定され全日本格式として記録された。前年チャンピオンとなった鈴木利男はスカラシップを得てイギリスF3選手権への参戦を開始したため、新たな才能の出現が期待されての開幕を迎えた。
マシンでは最も熟成が進んでいたマーチ・793が安定して速く、前年にも1勝を挙げランキング5位を獲得していた佐々木秀六が8戦中5勝を挙げて1980年チャンピオンを獲得した。
童夢との協力でハヤシレーシングが製作したF3マシン「803」も速く、中子修が常に上位争いに加わり、マーチ、ラルトと互角に戦える競争力を示した[1]。
若手ではTSレース(市販車改造クラス)で活躍を見せていた萩原光がF3に参戦開始し、第6戦富士でポールポジション[2]、優勝はまだできなかったが表彰台を度々獲得するなどランキング4位を獲得し頭角を現した。
前年にもスポット参戦していたカート出身の鈴木亜久里は、開幕戦で4位に入賞したが、まだカート選手権へも並行して参戦しており、中盤戦以後は活動資金の都合もありF3出場が無かった。この時期の鈴木亜久里は父親が250万円で購入したラルト・RT1の中古シャシーを自宅ガレージで整備して参戦する完全なプライベイト参戦であった[3]。
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スケジュールおよび勝者
シリーズポイントランキング
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脚注
参考文献
外部リンク
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