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1986年のロードレース世界選手権

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1986年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第38回大会である。

1986年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 1985 翌年: 1987

シーズンの概要

86年シーズンは、前年度の圧倒的な強さからホンダフレディ・スペンサーを中心に展開すると見られていたが、開幕戦ハラマでトップを快走中に腕の痛みを訴えて途中リタイア。その後スペンサーは終始手首の故障(手根管症候群)に苦しむことになり、レースエントリーすらまともにできない状態となる。結局スペンサーはその後も何度かカムバック果たしたものの不本意な形でWGPでのキャリアを終えることとなった。代わって一年を通し主役となったのはヤマハのエディ・ローソンであり、リタイアしたオランダGP以外は全て表彰台を獲得し7勝を挙げる圧倒的な強さで2回目のタイトルを獲得した。一方、スペンサーを思わぬ形で欠いたホンダはオーストラリア人のワイン・ガードナーがスペンサーに代わるエースとなり、WGP初勝利を含む3勝を挙げて大きな飛躍を遂げた。その他、ケニー・ロバーツが新たにチーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハを結成しWGPに参戦、同チームに起用されたランディ・マモラはシーズンを通して好成績を残し、ランキング3位となった。


250ccクラスではベネズエラカルロス・ラバードがヤマハのマシンで強さを見せ、リタイアも多かったものの最多の6勝を挙げ2回目のチャンピオンを獲得した。また、日本人ライダーの平忠彦がキャリア初となるWGPフル参戦を果たし、怪我で苦しんだものの最終戦サンマリノGPで初勝利を挙げた。

125ccではガレリファウスト・グレシーニルカ・カダローラがチームメイト同士での激しいタイトル争いを展開し、それぞれ4勝ずつ挙げたが結局カダローラが僅差でチャンピオンを獲得した。80ccクラスではスペインホルヘ・マルチネスステファン・ドルフリンガーの連続タイトルを4回で終わらせた。一方でアンヘル・ニエトが今シーズンを最後に引退を発表。引退までにニエトが挙げたグランプリ90勝はジャコモ・アゴスチーニに次ぐ歴代2位の記録であった(1986年当時。2009年現在ではアゴスチーニ、バレンティーノ・ロッシに次ぐ歴代3位)。

シーズン終了後にホッケンハイムリンクドイツバーデン=ヴュルテンベルク州にある)において開催された80ccクラスと125ccクラスのイベントは、バーデン=ヴュルテンベルクGPとしてそれぞれのクラスのチャンピオンシップの一戦に正式に加えられた。

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GP

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最終成績

500ccクラス順位

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250ccクラス順位

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125ccクラス順位

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80ccクラス順位

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