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2013年日本グランプリ (4輪)
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2013年日本グランプリは、2013年のF1世界選手権第15戦[1]として、2013年10月13日に鈴鹿サーキットで行われた。正式名称はFIA FORMULA 1 WORLD CHAMPIONSHIP JAPANESE GRAND PRIX SUZUKA 2013[2]。
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概要
日本初の本格的自動車レースである1963年の「第1回日本グランプリ自動車レース大会」から40周年にあたる。日本グランプリとしては通算27回目、鈴鹿サーキットで行われるF1グランプリレースとしては通算25回目の開催となった。
前年までのレースカレンダーではシンガポールGP、日本GP、韓国GPという並びだったが、本年はうしろ2つの順番が入れ替わり、韓国GPの1週間後に日本GPが開催された。
今回、日本人ドライバーは出場していないが、Auto GPで活躍中の佐藤公哉がザウバーのリザーブドライバーとしてチームに帯同した[3]。また、前年の日本GPで3位表彰台を獲得した小林可夢偉はフェラーリのGTドライバーという立場で鈴鹿に現れ、ファンサービスに励んだ。
予選
要約
視点
予選展開
予選開始時の天候は晴れ、気温24度、路面温度36度のドライコンディションだった。時折30km/hほどの強風が吹いていた。
予選Q2でトップに立ったのはセバスチャン・ベッテル。Q3でも先陣を切ったが、フリー走行時から問題になっていたKERSシステムに再度トラブルが発生。その間にマーク・ウェバーがベッテルのタイムを上回る。ラストアタックでKERSが復調したベッテルがウェバーに迫るも、ウェバーが自己ベストを更新し、予選を1位通過した。ウェバーは今シーズン限りでの引退を表明しており、最後の鈴鹿でポールポジションを獲得した。ベッテルは2番手で、レッドブル勢がフロントローを独占した。3番手以下にルイス・ハミルトン、ロマン・グロージャン、フェリペ・マッサが続いた[4][5]。
予選結果
追記:
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決勝
要約
視点
決勝展開


レース開始時の天候は晴れ、気温25度、路面温度37度のドライコンディションだった。
スタートではフロントローのレッドブルの2台の加速が鈍く、2列目4番手グリッドのロマン・グロージャンが先頭に立つ。抜かれたマーク・ウェバーとセバスチャン・ベッテルが追走。3番グリッドのルイス・ハミルトンはスタート時にベッテルと接触し、右リアタイヤをパンクしピットへ。一旦はレースに復帰するも7周でリタイヤした。後方でスタートしたギド・ヴァン・デル・ガルデとジュール・ビアンキは、ターン1でコース外に飛び出し0周リタイアとなった。
中盤までグロージャンがウェバーとの差を少しずつ開きながら先頭をキープ。追い抜きの難しい鈴鹿でレッドブルは2人のドライバーの戦略を分け、ウェバーは予定の2ストップを3ストップに変更する。ベッテルはグロージャンと同じ2ストップだが、タイヤの消耗を抑えてピットインを遅らせ、レース終盤に新タイヤを投入する作戦をとった。
グロージャンが29周に2回目のピットストップを済ませたのに対し、ベッテルは37周まで引っ張り、タイヤ交換後は直ちにグロージャンを追撃。40周目のスプーンカーブで背後を捉えると、41周目のメインストレートでクリーンに抜き去った。42周目にウェバーが3回目のタイヤ交換を行うとベッテルが先頭に立ち、そのまま逃げ切った。ベッテルは自身初の5連勝となった。
ベッテルの後ろではグロージャンとウェバーのバトルがレース最終盤まで続き、残り1周となる52周目でついにウェバーがグロージャンを捉え2位に浮上。グロージャンはそのまま3位を保ってゴールした。グロージャンのレースエンジニアは日本人の小松礼雄であり、小松にとっては母国グランプリでの表彰台となった[9][10][11][12][13]。
トップ3の後方ではニコ・ヒュルケンベルグが4位をキープしていたが、終盤にフェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンに抜かれて6位に後退した。ヒュルケンベルグのチームメイトであるエステバン・グティエレスは7位でフィニッシュし、F1初入賞を記録した。(結果としてグティエレスはこれがF1での唯一の入賞となっている)
決勝結果


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トピック

- 今大会は2001年以来の日本人ドライバー不在となり、前年に表彰台に立った小林可夢偉らの不出場も影響したのか、レースウィーク3日間の観客動員数は前年を下回る171,000人に留まり、過去最低となった。決勝日も3年ぶりに10万人を下回る86,000人であった[16][13]。
- マルシャの元テストドライバーで、前年7月のテスト中の事故から生還したマリア・デ・ヴィロタが10月11日にスペインのホテルで急死した[17]。この訃報を受け、決勝日のドライバーズパレードの前にドライバーたちが集まり、1分間の黙祷を捧げた。また、彼女のトレードマークだった星(☆)のステッカーをマシンに貼るチームもあった。
- 2位のウェバーはレース後の記者会見で、2ストップ作戦でもグロージャンを抜けると思っていたといい、3ストップへの変更を指示したピットへ「本気でそれが正しいと思っているのか?」と尋ねたと述べた[18]。レッドブルのヘルムート・マルコは「グロージャンのピット回数が2回なのか3回なのか分からなかった」として、ウェバーが勝利を譲らされたという意見を否定した[19]。
- 4位のフェルナンド・アロンソが12ポイントを獲得したことで、歴代の通算F1最多ポイント獲得記録を更新。これまで最多だったミハエル・シューマッハの1566ポイントを抜き、1571ポイントとした[20]。
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脚注
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