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シャルル・ピック
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シャルル・ピック(Charles Pic, 1990年2月15日 - )は、フランス出身のレーシングドライバー。文献によっては英語読みに準じてチャールズ・ピックと表記されることもあるが、フランス語読みではシャルルとなる。
経歴
初期の経歴
ドローム県モンテリマールにて生まれる。2002年よりレーシングカートを始め、2004年にフランスのジュニアカテゴリにおける大会に優勝し、2005年よりICAジュニアカートのヨーロッパ選手権の西部地区大会で優勝を果たすなどの功績から、翌年よりフランス・フォーミュラ・ルノーの下位カテゴリであるフォーミュラ・ルノー・キャンパスにステップアップした。 2006年はLa Filièreより参戦。8度の表彰台と1回の優勝でランキング3位に終わった。続く2007年にフランス・フォーミュラ・ルノー2.0にユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0に参戦。フランス・フォーミュラ・ルノー2.0では4度の表彰台を獲得したものの優勝は果たせずランキング4位に終わったが、ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0では6度の表彰台の内1回優勝を果たし、ランキング3位となった。
2008年よりフォーミュラ・ルノー3.5にステップアップ。所属チームはテック1・レーシング。第3戦モンテカルロ市街地コースにてポールポジションとファステストラップを記録しての完全勝利を果たし、第7戦ブガッティ・サーキットの初日レースにて優勝するなどランキング6位となり、テック1・レーシングのチームチャンピオン獲得に大きく貢献した。 2009年も同チームに残留。第5戦シルバーストン・サーキットにおいて2日目のレースと、第8戦ニュルブルクリンクでの2日目のレースにて優勝を果たし、ランキング3位に入り前年度よりも好戦績でシーズンを終えた。
GP2
フォーミュラ・ルノーでの活躍から、2009年から2010年のGP2アジアシリーズに参戦。アーデン・インターナショナルに所属した。チームメイトはロドルフォ・ゴンザレス。バーレーン・インターナショナル・サーキットで開催されたレースにて優勝を果たした。その年のGP2メインシリーズにも参戦し、開幕戦が開催されたカタロニア・サーキットにて優勝を果たした。
2011年のGP2アジアシリーズ、及びメインシリーズよりバルワ・アダックスに移籍。チームメイトはギド・ヴァン・デル・ガルデとなった。 GP2アジアではノーポイントに終わったが、GP2メインシリーズではスペインとモナコにて2勝を挙げ、デル・ガルデに3ポイント差をつけてランキング4位となった。(但し、ヴァン・デル・ガルデはGP2アジアにて2度の表彰台を獲得しているので、16ポイントでランキング3位である。)
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F1
2012年
2011年11月27日、ヴァージン・レーシングは2012年よりピックをレギュラードライバーとして起用することを発表した。チームメイトはティモ・グロックとなる[1][2]。 後にヴァージンはマルシャ・モーターズに株式売却したため初出走はマルシャF1チームからとなった。戦闘力の低いマシンであったが、時折グロックを上回るパフォーマンスをみせることもあった。最終戦ブラジルグランプリではグロックのチームにおけるベストリザルトと並ぶ12位に入った。また、根気強く周回数を重ねたため年間の被オーバーテイク数は70を数え、F1新記録を樹立している[3]。
2013年
2013年はケータハムF1チームへの移籍が発表された。ヴァージン時代も含め、このチームでデビューしたドライバーが2年目もF1を走るのは初めてのことである。
2014年
2014年はレギュラーシートを獲得することが出来ず、ロータスのリザーブドライバーとして契約した[4]。その一方、新たに開催されたフォーミュラEにおいてアンドレッティ・フォーミュラEチームより参戦している[5]。
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DAMS
2022年2月、FIA-F2およびフォーミュラEに参戦しているDAMSを買収し、ピックがチームの全権を取得することが発表された[6]。
レース戦績
要約
視点
フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ
GP2シリーズ
GP2アジアシリーズ
F1
(key)
フォーミュラE
(key)
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脚注
関連項目
外部リンク
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