トップQs
タイムライン
チャット
視点
60丁目トンネル連絡線
アメリカの鉄道路線の一つ ウィキペディアから
Remove ads
60丁目トンネル連絡線(60ちょうめトンネルれんらくせん、英語: 60th Street Tunnel Connection[1][2])もしくは11丁目連絡線(英語: 11th Street Connection)・11丁目カット (11th Street Cut[3]) はイースト川の下を潜っているBMTブロードウェイ線の60丁目トンネルとアメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ区ロングアイランドシティのクイーンズ・プラザ駅西側のINDクイーンズ・ブールバード線を結ぶニューヨーク市地下鉄Bディビジョンの路線である。11丁目連絡線という線名は当路線の上を走る通りの名前から来ている。連絡線という性質上線内に駅はなく、R系統が深夜まで通過する。
路線は1955年12月1日に開通[4]、ブルックリンからBMTの列車でINDのクイーンズ・ブールバード線を利用する事を可能にし、また線路容量の増加にも繋がりINDクイーンズ・ブールバード線では1時間に20本の列車が増える事となった[5]。また、後にできる当路線と同じくBMTとINDの連絡線であるクリスティー・ストリート連絡線とは違いこちらはBMT、IND双方の車両と乗務員が混在する事が無くそれぞれがそれぞれの車両を運転し他社線へ直通していた。
Remove ads
歴史
路線開通後初めて通った旅客列車はモンタギュー・ストリート・トンネルを経由し日中のみ運行した1系統(1960年代初頭にQT系統に改称)だった。QT系統は1961年1月1日にアストリア-ディトマース・ブールバード駅行きに変更されRR系統が日中に運行された。EE系統はクリスティー・ストリート連絡線が開通しRR系統がアストリア-ディトマース・ブールバード駅行きに戻った1967年11月26日に追加された。1976年8月27日、N系統が当路線を経由する形で運転区間を延長しEE系統を吸収。この変更により初めて深夜と週末に旅客列車が当路線を通過した。1987年5月24日、クイーンズのN系統とR系統の経路を交換、以前のBMT経由のルートをIND経由とする形でR系統が乗り入れた。これはそれまでコニー・アイランド車両基地を使っていたBMTのR系統を、INDのジャマイカ車両基地に移管する動きによるものであった[6]。深夜の列車はブルックリンの36丁目駅止まりにされ[7]、その後マンハッタンのホワイトホール・ストリート-サウス・フェリー駅まで延長された[8]。なお、2016年11月現在当路線は深夜の旅客列車の通過は行われていない[9]。
Remove ads
路線
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads