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70年代われらの世界
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『70年代われらの世界』(70ねんだいわれらのせかい)は、1970年4月29日から1975年11月27日までNHK総合テレビで放送された全47回のドキュメンタリー番組である。
概要
1970年代を時代の転換期ととらえ、その光と影の部分を取り上げ、問題提起と展望を示す番組として1970年4月から放送を開始した[1]。公害、環境破壊、南北格差などの経済問題、宇宙開発やコンピューター等の新しい技術、戦争の防止や教育改革など多岐にわたるテーマがこの番組で取り上げられた[2]。制作にあたっては特別プロジェクトチームをつくり、放送総局長や報道・教育・芸能の各局長、解説委員長などから構成する「70年代企画委員会」、外部の専門家による「70年代番組委員会」が作られた[3]。個々の番組のテーマ決定は原則として4カ月前に行い、長期的な視点で制作を行うように試みた[4]。このようなプロジェクト方式による制作は1976年から放送を開始した『NHK特集』へと発展していった[5]。この番組の司会は鈴木健二が受け持ち[6]、未来学者の坂本二郎やアルビン・トフラーなど多くの識者が出演した[1]。また、テーマ曲『青い地球は誰のもの』の作曲は冨田勲が担当した。
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制作面での試み
この番組では制作面においても様々な試みが行われた。
- 特殊効果が多く用いられ、湾曲した大きなスクリーンやクロマキーが使用された[7]。
- 1970年12月23日に放送された『ニッポン1970』では、東京のNHKホール[注 1]と大阪・札幌のスタジオを結び約1000人が参加した多元討論が行われた[8]。
- 1971年4月28日に放送された『下村博士の物価論』では、経済学者の下村治の考えを視聴者から求めるために特別の電話回線を準備し、約3万回線の電話があった[9]。
- 1971年8月25日に放送された『¥:$〜円対ドル』では東京のスタジオとイギリス・BBCのスタジオ、アメリカ・NBCのスタジオを結んで多元衛星中継による討論が行われた[9]。
- 1972年1月2日に放送された『人間の絆〜諸国民の相互理解』では、アメリカ・ソ連・イギリス・タイ・ガーナ・日本の6カ国のスタジオに50人ずつの視聴者を招いて、お互いの国をどの程度理解しているかのイメージ調査を行った[10]。
- 1973年8月15日に放送された『アジアと日本—経済援助の側面からのリポート』では、NHK解説委員の山室英男が現地取材を行い、フィリピンのマルコス大統領やマレーシアのラザク首相との単独インタビューを行った[11]。
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放送時間
すべて日本時間(JST)、本放送のみ記載。
放映リスト
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現存状況
1975年11月27日放送の「大学卒~高学歴社会と職業~」(PHP研究所提供)ほか数回分が保存されている。
脚注
関連項目
外部リンク
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