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CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社
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『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(クリエイティブカンパニー とみたかずねかぶしきがいしゃ)は1989年10月2日 - 1994年3月31日に中部日本放送(CBCラジオ)で放送した夜の若者向けラジオ番組。通称は『冨カン』(とみカン)。
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概要
番組名が示す通り、パーソナリティは、冨田和音(CBCアナウンサー(当時))が務めた。
放送時間は、月曜 - 木曜 21:00 - 24:40。
「ラジオで、会社ごっこをしよう」が、番組のコンセプトで、「代表取締役社長」である冨田を筆頭に、出演者を「役員」。アシスタントを「秘書」。ディレクターを「花の係長」。リスナーを「株主」と呼ぶなど、会社の組織と運営形式を踏襲した[1]。
番組は前半、後半の2部形式で、前半が冨田「社長」とアシスタントの「秘書」、ゲストを招いてのトーク。各コーナーの進行。後半は各「役員」を迎えての曜日別コーナーを放送した[2]。
株主からの投稿ハガキ、「namos」(ナモス)と呼ばれる、キャプテンシステム。電話、FAXを使用しての業務連絡、トミタ総研 企画会議での投稿の紹介。富士フイルム販売店の協力で配布されていた、冨カン出版事業部用の封筒が紹介されると「株」が貰え[3]、ある程度の株を獲得すると、各オリジナルグッズが送られるシステムになっていた。「株」ポイントは「仕手戦 株100億円への道」で出題されるクイズで正解しても貰う事ができた[4]。
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主な出演者
- 代表取締役社長 / 冨田和音[5] - パーソナリティ
- 副社長 / 伊集院光[5] - 木曜パーソナリティ[6]
- 取締役秘書室長 / 鉄崎幹人 - 火曜パーソナリティ
- 常務取締役 / 山村洋子[5] - 月曜後半のコメンテーター
- 常務取締役 / 大城孝幸 - 月曜後半のコメンテーター
- 常務取締役 / 高野史枝 - 月曜後半のコメンテーター
- 常務取締役 / 松本典子[7] - 木曜パーソナリティ
- 常務取締役 / 戸井康成 - 木曜パーソナリティ
- 関東開発本部長 / 辛島美登里 - 番組内コーナーを担当
- 部長 / 障子久美 - 番組内コーナーを担当
- 東京支局長 / 近藤名奈 - 番組内コーナーを担当
- モスクワ支局長 / 川村かおり
- 社員 / 相馬裕子 - 番組内コーナーを担当
- 冨カン プロデュース アイドル/石橋奈々
- 秘書 - アシスタント。各曜日、1 - 2名を配置。大学生、短大生を中心に、オーディションで選出
- 他
- パーソナリティ / トミー(伊藤とみ、寿司屋のおばちゃん) - 火曜後半のレギュラー
- ミキサー / 大学生のアルバイトが多い
- 「キッシー」「壺井くん」など
- 松影素子 - 秘書のオーディションに応募し、応募理由で「ミキサーをやりたくて」と答え、正式採用された
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主な放送内容
要約
視点
21時台
- 業務連絡
- 今日取り上げるテーマを電話で募集。月曜は『トミタ総研 企画会議』の意見募集にも使われた。
- 会社訪問
- 来社したゲストの紹介と、株主への挨拶代わりに曲を掛けるコーナー。[11]
- 入社試験 クイズ青田買い
- 仕手戦 株100億円への道
- 秘書室のいけない話
- 後期に「ああ不思議フシギ」という1コーナーがあった。
- 身の回りに起った、不思議な出来事を紹介するコーナーだったが「冨田社長の紹介する声の方が怖い」という声の方が多かった。
- 続編の「ああ不思議フシギ2」や「ああ不思議フシギ3」もあった。
- 後期に「ああ不思議フシギ」という1コーナーがあった。
- おいらは株主 いつかはオーナー
- 一時期「おいらは株主 いつかはスター」のタイトルで、番組プロデュースのアイドルを公募していた
- 「拝啓 達郎様」「追伸 達郎様」(月曜日)
- 番組開始当初、山下達郎がゲストとして来た際、本人が「社歌でも作りましょうか」とコメントした事から、冨田が食らいついて新設したコーナー内コーナーだったが社歌は制作されなかった。
22時台
- 冨カン出版事業部(富士フイルム提供)
- 写真ネタを募集する「写るんです」。イラスト等を募集する「それ見たこと課」。一押しの新人を紹介していた「ニューフェイス のるかそる課」などがこのコーナーで行われていた。大半は「写るんです」が主体。
- 役員室 午後3時(ポッカコーポレーション(当時。現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)提供)
- ナイターオフ時は22:20頃。ゲストコーナー。
- あゝサラリーマン 風呂場でダバダ
- 電話越しで、リスナーが思いや愚痴を話すコーナー。リスナーの電話出演の際は、必ず風呂場風のエコーが掛かっていた[12]。
23時台
- なんでもOAルーム(カヤバ工業(当時。現・KYB)提供)
- 「キャプテンシステム」からの投稿を紹介するコーナー。
- キャンパス グラフィティ ピーターパン青春記
- リスナーからの悩み相談に、冨田社長が答えるコーナー。
後半(23時40分 - )
月曜
トミタ総研 企画会議
- はがき、電話、FAXを通じて、リスナーからテーマに沿った意見を募集。討論に移行。河村たかし(現・名古屋市長)が、衆議院議員に初当選する前から「総理を狙う男」として、ゲスト出演した。
火曜
R・I・P サービス本部
- 1989年10月 - 1990年9月。Rhythm in psychoのメンバーであり、常務取締役 田口哲夫のコーナー。鉄崎幹人が「謎の諜報部員 Mr.M.T.」と名乗って、外中継コーナーを担当していた。
- 主なコーナー
- マニアの部屋
- 酒のサカナ
鉄崎室長のアフターファイ部
水曜
DJ研修講座
- 期待の若手ミュージシャンが、月替わりのパーソナリティとして出演した。
木曜
伊集院光本部
ちょっとオシャレな松本典子本部
- 1990年10月 - 1992年3月。
血染め付きのナプキン プレゼントなどの衝撃的な企画が行われた[24]。
オレが行き急ぐ男だ! 戸井康成本部[25]
- 1992年4月 - 1994年3月。戸井は伊集院光本部時代から登場していたが、その大半がリポーター扱いだった。松本典子本部では、アシスタントとして登場していた。
エンディング
- 株主動向(月曜 - 水曜)
- 株主順位の発表。時間が押す事が多く、ごく稀にしか行わなかった。
- 株式市況(木曜)
- 過去1週間の放送の中で、出演者が立てた手柄や犯したミスをリスナーがチェック。この時間を使って、番組内で公表する。「○円高」「△円安」などと勝手に評価する。
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内包していた主な番組
- ビーバーヤング 光のスターライトキッス(1989年10月 - 1990年3月。打ち切りの半年後、同番組が東海ラジオでナイターオフ期のみネット。[要出典]ニッポン放送 制作)
- POP SMAP(1989年10月 - 1990年9月、TBSラジオ制作。終了後、『スクランブルSMAP』に番組タイトルが変更。内包枠から独立)
- 大槻ケンヂのセニョール!セニョリータ! (1989年10月 - 1990年6月、ニッポン放送 制作)
- TOSHIのXハラスメント(1990年7月 - 1991年2月、ニッポン放送 制作)
- ウッチャンナンチャンのラジオな奴ら(1991年3月 - 1992年6月、ニッポン放送 制作)
- デーモン・オーケンのラジオ巌流島(1992年7月 - 1994年3月、ニッポン放送 制作)[30]
- 辛島美登里 貴方とジェントリーナイト
- 1990年10月8日 - 1991年4月4日、月曜 - 木曜 21:20 - 21:30。1990年4月2日 - 10月1日は、月曜 - 木曜 23:00 - 23:10[31]
- 障子久美 プライベートミュージック 窓から武道館が見える
- 1990年10月8日 - 1992年3月30日、月曜 - 木曜 23:00 - 23:10。1989年10月2日 - 1990年3月28日は、月曜 - 木曜 21:20〜21:30[32]
- 相馬裕子 風の祭日
- 1992年4月6日 - 1994年3月24日、月曜 - 木曜 23:00 - 23:10[33]
- 近藤名奈 本当のことだけ言わない
- 1993年10月 - 1994年3月、月曜 - 木曜 21:20 - 21:30[34]
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番組主催の関連イベント
- 肌リクエスト(1989年12月14日 - CBC1スタ):「伊集院光本部」“変リク”公開録音
- みんなで、WANDERを歌う会(1990年2月25日 - CBC1スタ):障子久美デビュー記念イベント
- TDK Precious Days Vol.1(1990年5月5日 - 尾張旭市森林公園)
- Precious Days Vol.2 第1回株主総会(1990年9月23日 - CBCホール)
- Precious Days Vol.3『MerryXmasToYou』(1990年12月23日 - CBCホール)
- ゲスト - Lip's、久野かおり
- TDK Precious Days Vol.4『第5回Day on the Green』(1991年5月5日 - 尾張旭市森林公園)
- ポッカ 2DAYS'90(1990年7月28日・29日 - 久屋大通公園もちのき広場)
- ポッカ 2DAYS'91(1991年7月27日・28日 - 久屋大通公園もちのき広場)
- 第1回 コント大会 (1990年5月13日 - CBC1スタ)
- 優勝 - ベガーズ(西原穂純、竹田淳 → 現・ふとっちょ☆カウボーイ)
- 特別賞 - メンソレータム(水野亜喜、高橋陽子)
- 第2回 コント大会『宴会社員養成講座』(1990年8月12日 - CBC1スタ)
- 優勝 - メンソレータム
- 準優勝 - ベガーズ
- ベスト・キャラクター賞 - 大須ういろ
- シュール賞 - ネオ・ハナミーズ
- 努力賞 - アッパラパージン・スーパーストロングスペシャル
- 第3回 コント大会『コント大会in冬』(1991年1月3日 - CBC1スタ)
- 優勝 - ベガーズ
- 恵美菊子賞 - 道楽ズ(PN.D.D.、おやぢの道楽)
- 山崎・井沢賞 - 200円
- 松本典子賞 - 須賀司
- 第4回 コント大会『コント大会in夏』(1991年8月22日 - CBC1スタ)
- 優勝 - なべ道楽withはさみ(PN.D.D.、PN.中華なべ、PN.はさみ)
- 第5回 コント大会『山九Presentsコント大会スペシャル・宴会社員養成講座』(1992年3月29日 - CBCホール)
- 優勝(賞金10万円) - スモールパッケージ
- Radio Days 1991/CBC開局40周年記念公開生放送(1991年9月1日) - 名古屋港会場、ニューヨーク、天津、CBCの4元生中継
- ゲスト - KATSUMI(名古屋港会場)、伊集院光(CBCスタジオ内)
- ファッショナブルライブin岐阜/リスナー仮装大会(1991年9月29日)
- 優勝 - PN.にょにょにょ、PN.にょにょにょの友人
- 社長賞 - PN.うっすらパー
- 寺尾友美賞 - PN.デンジャラス山本
- ゲスト - セブン(元・白鳥セブン)、寺尾友美、さくらさくら(7月D研生)
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エピソード
CBCラジオナイター、まった無し! 大相撲の対応
- 『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス』同様『CBCラジオナイター』の後に放送していたため、ナイターシーズン時はナイター中継終了後の放送。ナイターの試合が延びたため、15分程の放送になった事があった。
- 当時の『CBCラジオナイター』は午後6時10分スタート(通常時)で、その前の時間帯は『三菱ドライビングポップス』を放送していた。ただし、東京ドームの試合開始が午後6時のため、巨人×中日戦の場合は必ず6時からの中継になり、『三菱ドライビングポップス』はナイター終了後に放送していた[35]。
- 『障子久美プライベートミュージック 窓から武道館が見える』は、1990年のナイターシーズン時は中継のない月曜日のみの放送となった。これは、TBSラジオ、ニッポン放送制作の帯番組の影響で、同年のナイターオフ時に『辛島美登里 貴方とジェントリーナイト』と帯枠を交換した。『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(TBSラジオ)が放送開始したため『POP SMAP』は終了。その後、この様な現象はプロ野球中継の延長が押さない限り、起こらなかった。
バルセロナ五輪開催時の編成
その他
- 久松史奈の出演日に久松に同行していた所属レコード会社の担当社員が当番組の大ファンとなり、久松が番組を卒業した後も番組が最終回を迎えるまで、スタジオに足を運び続けた。
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復活番組
1995年
- 1995年12月15日(金)21時 - 12月16日(土)21時まで、CBC創立45周年記念番組『TALK RADIO45』が放送され、その中の第2部(午前24時 - 25時30分)で、冨カンが復活した[37]。
出演者
冨カン倒産から1年8ヶ月後の復活で、倒産直前のメンバーが主に招集された。
- 元 代表取締役社長 / 冨田和音
- 元 取締役秘書室長 / 鉄崎幹人
- 元 常務取締役 / 戸井康成
- 元 木曜秘書 / ローマは一日にして奈良漬
- 元 火曜日パーソナリティ / トミー
- 元 木曜秘書 / 峩洋絵水
内容
- 業務連絡募集は下記の二つ
- 戸井康成本部「セクシー四文字熟語コンテスト」
- トミタ総研 企画会議 → テーマは「いじめ問題」
- 上の二つの業務連絡募集のコーナーの他、下記のコーナーがあった。
- 第2回 肌リクエスト&サマーリクエスト
- 鉄崎室長のアフターファイ部「ちょっと困ったクリニック」
- ザ・クールファイブ(クイズ)
- その他,冨田「元」社長が「ああ不思議フシギ 2ー!」とタイトルコールだけして、リスナーから拍手喝采されるという一幕もあった。
2013年
- 2013年11月27日(水)22:00 - 23:55に『伝説の深夜ラジオ復活祭』の一環として、一夜限りで復活した。冨田元社長は前回の復活番組の後の1998年に異動でアナウンス職を離れていたが、この復活番組の直前の2013年7月より、アナウンサーとしての活動を再開[38]したばかりで、そのタイミングでの放送となった。
出演者
内容
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書籍
- 冨カン PART1 ISBN 978-4-8904-0008-9(1992年10月2日、名古屋流行発信)
関連項目
- 独占ラジオ丼〜生でゴメンネッ!〜 - 1995年〜1999年、TBCラジオ(東北放送)で放送。当番組と同じく、番組を会社に見立てて進行(後半)した平日帯 夜ワイド番組。
脚注
外部リンク
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