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SO YOUNG (THE YELLOW MONKEYの曲)

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SO YOUNG」(ソー・ヤング)は、1999年3月3日に発売されたTHE YELLOW MONKEY18枚目のシングル。発売元はファンハウス

概要 THE YELLOW MONKEY の シングル, 初出アルバム『8 (初回限定盤ボーナスCD)』 ...
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解説

「PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99」の最中、ロンドンでのライブのリハーサル中に作曲を行い、その後ニューヨークでレコーディングされ[注 1]、ツアーファイナルの1週間前にCDがリリースされた。ライブでの初披露は発売に先立つ1998年12月28日の「メカラ ウロコ・9」の最終曲としてであり、翌1999年内のツアーでは全公演でアンコールラスト(公演のトリ)に演奏されている[2]。後に「メカラ ウロコ・9」で初披露された際に、吉井は「青春そのものだったツアーのことや、イエローモンキーとファンの関係を歌っている」と語っている。ジャケットの筆で描かれた「SO YOUNG」の文字は吉井が執筆した[3]。ジャケットの裏にある黄色の丸は、吉井が若年層の支持を上げるため、ハローキティの鼻を載せた。ただし、吉井は「黄色の丸について、当時のファンから特に質問もなかった」と語っている[3]

吉井は『So YOUNG―吉井和哉詩集』での「自身の楽曲の中で究極のラヴ・ソングは?」という質問と、「自分が死んだ時に流したい曲」という質問の両方にこの曲を選出し、後にこの楽曲を「俺にとってのTHE YELLOW MONKEYの解散ソング」、「バンドの遺影があるとすればこの曲の頃のアーティスト写真(ツアーファイナルの横浜アリーナで観客をバックにメンバーが肩を組んでいる写真)」とも語っている[4]

2007年に吉井がCHEMISTRY堂珍嘉邦とカラオケに行った際、酔った勢いで実に9年ぶりに本作を歌った際に改めて「いい曲だなあ」と良さに気付いたという。その甲斐あってかその年の年末に開催された「YOSHII BUDOKAN 2007」で同曲が演奏された。

同時期に他の強いミュージシャンの新譜が無かった為、オリコン初登場1位と穫れると期待したが、同日発売のだんご3兄弟が爆発的にヒットした為、1位を獲れなかったと吉井は語っている。

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収録曲

  • 全作詞(#3を除く)・作曲:吉井和哉、編曲:THE YELLOW MONKEY。
  1. SO YOUNG
    テレビ朝日系ニュースステーション』1999年3月度ウェザーテーマ。後にミュージック・ビデオの監督も務めた高橋栄樹の長編映画『trancemission』(1999年)の主題歌としても起用された。2013年に行われた『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』のファン投票では6位を獲得している。
    歌詞は解散を示唆する内容とも取れるが、制作過程でそういった意図は一切含まれておらず、後に吉井は「なんで俺、"SO YOUNG"なんて曲を作ったんだろう」と振り返った[1]
    アルバム『8』の本編ディスクには収録が見送られ、代わりに初回仕様のみ特典ディスクとして「MY WINDING ROAD」とともに収められた。このような収録形態となったのは、「第一期THE YELLOW MONKEY最後の曲だから、第二期に入ってはいけないんだ」と渋谷陽一が分析している。
  2. NEW YORK CITY LOSER
    プレイステーション用ソフト『PERFECT PERFORMER -THE YELLOW MONKEY-』に、カップリング曲として唯一収録された。
  3. SO YOUNG (Instrumental)
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参加ミュージシャン

各曲の収録アルバム

#1

#2

  • 『MOTHER OF ALL THE BEST』(2004年12月8日)※初回版DISC3

カバー

#1. SO YOUNG

  • シュリスペイロフ(2009年12月19日、『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』収録)
  • MADOKA(2013年4月26日、ライブ「MADOKA・夏初月ノ宴」)※ライブビストロ「ノヴェンバーイレブンス」(東京・赤坂)におけるライブ[5]
  • 吉井和哉(2007年12月27日、28日「YOSHII BUDOKAN 2007」2013年12月28日「20th Special YOSHII KAZUYA SUPER LIVE」)※セルフカバー、尚前述のライブはアコースティックバージョンでの披露

注釈

  1. スケジューリングに関して、吉井和哉は「だからもう、わけわかんない。ま、そういうスケジュールを切らざるを得なかったんでしょうけど。『そういうもんなんだろうなあ』と思ってやってました」と後に振り返っている[1]

脚注

参考文献

外部リンク

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