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THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)
日本の漫才テレビ番組 ウィキペディアから
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『THE MANZAI』(ザ・マンザイ)とは、1980年 - 1982年に、フジテレビ系列『火曜ワイドスペシャル』内で単発特別番組として3か月に1回の割合で計11回放送されたバラエティ番組である[1][注釈 1]。番組を仕掛けたのは、当時肩身が狭かった横澤彪プロデューサーを中心としたフジテレビ演芸班[1][2]。
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概要
毎回数組の漫才コンビが漫才を披露するというシンプル極まりない番組だったが、従来のスーツ姿の男2人が「ねえ、きみ」「なんやねん」などと典型的な掛け合いを繰り出すような古臭い演芸番組のスタイルを全て排して[1][2][3]、フジテレビらしい画期的な演出(客席に若者しか入れない、出演者もベテラン勢を1~2組程度に留め若手コンビを中心とする、出演者の服装は自由、舞台セットを豪華でポップなものにする、小林克也のアメリカナイズされた呼び出しに、コンビが登場する時の出囃子はフランク・シナトラの「When You're Smiling」(邦題「君微笑めば」)の前奏と後奏を合わせ、煌びやかなステージに登場する若手漫才師の姿を何台ものカメラがダイナミックに捉える、ネタの冗長な部分に編集を入れるなど)を凝らした結果、若者にも受け入れられるテレビ向け漫才の確立に成功[1][2][3]。『花王名人劇場』(関西テレビ制作)とともに漫才ブームの基を築いた[2][3][4]。漫才のスタイル、イメージを劇的に変え[3]、スピード感とライブ感に溢れる今風の漫才は、本番組によって確立された[3]。
また、本編の漫才の前に必ず外国人を使った、演者の名をPRした海外のCM風パロディのショートフィルムが流れていたという。
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第1回放送
第1回が放送された1980年4月1日は、TBSでザ・ドリフターズの特番の放送が予定されていて(日本テレビは『探偵物語』最終回)[2]、裏番組が強力すぎなことから、フジテレビは当初予定していた制作班が逃げた[2]。当時フジテレビの演芸班に所属していた横澤彪は、編成から「企画を出せ」と強制的に企画の提出を求められていたことから、やるつもりもなく、ほぼ趣味でたくさんお笑い番組の企画を提出していた[2]。たまたま出していた『東西対抗漫才大会』という企画が編成の目に留まり、これをドリフの裏でやらないかと言われた[2]。『東西対抗漫才大会』という企画自体は、漫才ブームを興した切っ掛けとして知られる1980年1月20日に放送された花王名人劇場『激突!漫才新幹線』(関西テレビ)と同じということになる。フジテレビのゴールデンタイム(プライムタイム)で漫才番組が放送されるのは前例のない、あるいは何10年ぶりかの企画で、横澤は当時は漫才ブームが来るとは全く思っていなかったというが、フジテレビの編成では漫才番組がいけるのではないかという考えが既にあったという[2]。どうせドリフには勝てないだろうからと、横澤らスタッフはそれなら自分たちがやりたいこと、「"構造改革"をやりたい」という意見が出て、前述した画期的な演出アイデアが次々生まれた[2]。『THE MANZAI』というタイトルも企画を進めるうち、美術デザイナーが横文字で『MANZAI』とローマ字表記で書かれた背景のイラストを持って来て、これを電飾で置きたいと提案[2]。スタッフがこれはいいとなり、後から「THE」を付け足し『THE MANZAI』になった[2]。ところがこのタイトルに編成が猛反対し、喧嘩となり、妥協案としてサブタイトルのやたら長い番組名となった[2]。出演者の漫才師も視聴者もそれまでテレビで見たことのない若手にしようとなったが、彼らは当時既に30歳前後だった[2]。有名無名に関係なく、自分たちが聞いてみて、何かメッセージを感じる人、メッセージ性を持ってる人にしようとスタッフでこっそり演芸場を見て回り、全国ネットの番組に出たことのない人たちを集めた[2]。横澤は「視聴者としては今まで見たことのなかった人たちのメッセージはショックだったのではないか。それが第一段階としては成功した一つの要因」と述べている。お客も従来の演芸番組のお客を入れ替え、スタッフみんなで各大学の「落語研究会」や「クイズ研究会」「プロレス研究会」「鉄道研究会」のようなサークルに電話を掛けてお客を集めた[2]。横澤は集めた演者(漫才師)の感覚が鋭く、自分たちより先を行っていると感じたという[2]。
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第2回以降
漫才番組の中でも別格的存在であり、出演者にとってはまさに真剣勝負の場でもあった。出演順は抽選で決められ、楽屋では常に緊張感が漂っていたという。
最大のハイライトが銀座博品館劇場からの生中継だった1980年12月30日放送の第5回で[1]、視聴率は関東32.6%、関西で45.6%を記録した[1]。
1982年6月15日放送の第11回を最後に放送されなくなるが、2001年5月19日に当時の東西人気漫才コンビにより『THE MANZAI2001 ヤングライオン杯』が19年ぶりに放送された。この回のみ関東ローカルで放送された(ただし、他の地域でも遅れネットで放送された実績あり)。なお谷良一によると同年8月に第2回放送予定されていたが、視聴率が振るわなかったので立ち消えとなった[5]。
その後、2010年で一旦、朝日放送発の全国ネットで放送されていた漫才のコンテスト「M-1グランプリ」が廃止されたことを受けて、2011年から2014年まで日清食品 THE MANZAIとして漫才のコンテストを開催していたが、2015年から「M-1」が再開されることを受けて、当頁の体裁と同じ漫才のネタ見せ番組として『Cygames THE MANZAI マスターズ』が開始された。[6]
放送日時
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出演者
1980年(全5回放送)
1981年(全4回放送)
1982年(全2回放送)
THE MANZAI2001 ヤングライオン杯
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キャスト・スタッフ
DVD
- 【DISC1 ~1980 笑いの覚醒~】
- 【収録内容】
- ザ・ぼんち(第1回・第4回放送)
- 島田紳助・松本竜介(第1回・第3回放送)
- B&B(第1回放送)
- 西川のりお・上方よしお(第2回・第4回放送)
- オール阪神・巨人(第2回放送)
- 星セント・ルイス(第4回放送)
- おぼん・こぼん(第4回放送)
- 太平サブロー・シロー(第4回放送)
- 春やすこ・けいこ(第4回放送)
- 横山やすし・西川きよし(第1回放送)
- 【DISC2 ~1981・1982 笑いの飛翔~】
- 【収録内容】
- B&B(第11回放送)
- 島田紳助・松本竜介(第9回放送)
- 西川のりお・上方よしお(第7回放送)
- オール阪神・巨人(第7回放送)
- ザ・ぼんち(第6回放送)
- 太平サブロー・シロー(第8回放送)
- ポップコーン(第10回放送)
- やすえ・やすよ(第10回放送)
- 今いくよ・くるよ(第6回放送)
- 横山やすし・西川きよし(第7回放送)
- 【備考】
- 「THE MANZAI」の全ての回に出演したツービートは諸事情により収録はされていない。
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脚注
関連項目
外部リンク
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