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和田卓也

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和田卓也
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和田 卓也(わだ たくや、1961年12月28日 - )は、日本の映画監督、TVディレクタープロデューサーアニメ監督[1]アニメーターキャラクターデザイナー[1]SFXスーパーバイザー。株式会社メディアクルー・ジャパン代表取締役社長[2]。アニメ・実写を問わず、映像企画制作、デザイン、作画監督など幅広く手がけている。

概要 わだ たくや 和田 卓也, 生誕 ...

来歴

要約
視点

絵を描くことが好きだったことからアニメーターを志望[1]。高校在学中に東京ムービーのスタッフから、当時『ルパン三世 カリオストロの城』の制作準備をしていた大塚康生宮崎駿を紹介された[1]。この大塚と宮崎に杉野昭夫を加えた3人に師事し、高校卒業後にアニメーションスタジオに入社して、本格的にアニメーターとして活動を開始[1][3]。『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』は、和田にとって研修と仕事を兼ねたものであった[1]。『無敵ロボ トライダーG7』で原画デビュー。

その後はサンライズ第2スタジオに所属し、『戦闘メカ ザブングル』まではロボットアニメを担当[1]。東京ムービーで『スペースコブラ』の原画を担当した後、20歳の時に『特装機兵ドルバック』で作画監督としてデビュー[1]

代々木アニメーション学院では25年にわたり非常勤講師を務めたほか、学院長を6年間務め[3]、2006年3月をもって退任。2009年8月、映像制作会社として株式会社メディアクルー・ジャパン(MEDIA CREW JAPAN)を設立。

日本国外のアニメコンベンションなどのイベントにも参加歴があり、2015年にはフィリピンで開催の「ANIMAHENASYON」、2016年はフランスマルセイユで開催された「Japan Expo Sud」の7回目ゲスト、2017年ではパリで開催された「Japan Expo アニメ100」[4]、2019年はスイスのベリンツォーナで開催された「JAPAN MATSURI」、どのイベントもメインゲストとして招待されている。

一方、SFXの世界に魅了されてハリウッドに渡り、特殊メイクやSFXの技術を学んだ後、実写業界にも進んでいる[3]。1994年に公開されたバンダイビジュアル製作のハリウッド映画GUYVER DARK HERO』でメイキングビデオの監督を担当し、以後は映画『パラサイト・イヴ』『リング』『らせん』『リング2』『催眠』などでスペシャルメイクアップスーパーバイザーを担当[3]バンダイビジュアル製作によるSFXVシネマ『獣神サンダー・ライガー・怒りの雷鳴』、ギャガコミュニケーションズ製作『ドラゴン・ブルー』、声優陣が出演した『EAT&RUN』(宮村優子愛河里花子主演)などの作品では監督を務める。

テレビ番組では『BLACK OUT』や『木曜の怪談』シリーズ、『世にも奇妙な物語』で、監督・特撮監督・SFXスーパーバイザーを務める[3]吉本興業と文化人タレント契約を結び、吉本興業、関西テレビ制作のテレビ番組でチーフディレクターを担当。CM監督も務める。

プロレス界でも、全日本プロレスや『グレート・ムタ』 『パワー・ウォーリアー』 『佐々木健介』 『大仁田厚』などといった人気選手のコスチューム・キャラクターデザイン・製作を手がけている[3]

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人物

好きなアニメ作品に『ルパン三世』や『あしたのジョー2』、『スペースコブラ』を挙げている[1]

サウジアラビアの新聞社・アラブニュースの日本語版「アラブニュースジャパン」によるインタビューでは、アニメ業界に入った当時のことを次のように振り返っている[1]

やはり、素晴らしい才能を持った先輩方がたくさんいらっしゃったので、とにかくひたすら練習して早く絵が上手くなってプロにならなければという気持ちが強かったです。毎日が新しい出会いの連続でした。アニメは絵が上手ければいいというものではなく、映像作品ですから、 だから、映画をたくさん見てカメラワークや構図、キャラクターの演技などを学んだ。
アニメーターとして働き始めたばかりの頃、先輩が『アニメーターとは、監督であり、俳優であり、カメラマンであり、照明技師でもある。アニメーターの仕事は、それらすべてを白紙の紙の上で表現することだ』と教えてくれた。今でも、その通りだと思う

またこのインタビューにおいて、アニメ作品の過去と現在の違いを問われた際に、次のように答えている[1]

正直に言います(笑)。私は昔のアニメーションの方が好きです。デジタルは存在せず、すべて手作業で、技術的には荒削りでしたが、昔のアニメーションは子どもの成長にとても重要な役割を果たしていたと思います。もちろん、私もその一人です。
ウルトラマンに憧れて、高い丘に立って、両手を腰に当てて、空を見上げて、自分も強くなろうと思った。あしたのジョー巨人の星を見て、男とはどうあるべきか、友情とは何かなどを学んだ。
北斗の拳』のテレビシリーズでアニメーション監督[注 1]を務めたときは、本当にいろいろなことをやった。描いている本人が一番楽しんでいたと思うので、そのパワーが視聴者に伝わっていると思う。
今のアニメーションはデジタル技術で非常にきれいだが、女の子が刀を持っていることが多いのでは?

今後作りたい作品については、上記の回答を踏まえたうえで、「夢があり、見る人に希望ややる気、憧れを抱かせるような作品を作っていきたい。」「技術面では、キャラクターデザインのタッチに勢いがあるなど、過去の良さを取り入れ、現代のデジタルアニメの背景よりも、ゲームの背景のように独特なものにしたい。単調なゲームの背景ではなく、アナログとデジタルの良さを組み合わせたアニメーション作品を作りたい。」としている[1]

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参加作品

テレビアニメ

1980年
1981年
1982年
1983年
1985年
1986年
2007年
2009年
2011年
2018年
2021年
2022年
2023年
2025年

OVA

1985年
1988年
1989年

劇場アニメ

テレビドラマ

映画

ライブ

その他

デビルマン 魔界への誘い(光武酒造場とのコラボ)[7]
2018年に佐賀県鹿島市の酒蔵「光武酒造場」が発売。永井豪の画業50周年を記念したコラボ企画として、光武酒造場のメインブランドである黒麹芋焼酎「魔界への誘い」を2年間かめ壺で熟成させ、そのボトルに和田がデビルマンを描いた。光武酒造場の光武博之社長と和田が同級生で、光武社長が永井と『デビルマン』のファンだということから企画が動き出し、『キューティーハニー』が描かれたラベルをまとった梅酒「はちみつ梅酒 キューティーハニー」と、和田によるデビルマンが描かれた黒麹芋焼酎「デビルマン 魔界への誘い」を発売するに至った。
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脚注

外部リンク

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