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あしたのジョー
日本の漫画、メディアミックス作品 ウィキペディアから
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『あしたのジョー』 は、原作:高森朝雄(梶原一騎)、作画:ちばてつやによる日本の漫画。ボクシングをテーマにしたスポーツ漫画である。『週刊少年マガジン』(講談社)において、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)から1973年5月13日号まで連載された。2010年12月時点で単行本累計発行部数は2500万部を突破している[1]。
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概要
『週刊少年マガジン』連載中から社会的反響は大きく、ジョーのライバルである力石徹が作中で死んだ時には、架空の人物であるにもかかわらず、寺山修司の提案で天井桟敷のメンバーにより東由多加演出による葬儀が行われた(1970年3月24日、講談社講堂にて)。また1970年3月31日に発生した「よど号ハイジャック事件」では、犯人らが「我々は“明日のジョー”である」〔ママ〕との声明を残している[2]。さらに、辰吉丈一郎をはじめ現実のボクシング界にも大きな影響を与えた。
これら社会的反響の大きさから、「戦後最大のヒットマンガ」の一つに数えられ、劇画路線にシフトした昭和40年代の『週刊少年マガジン』を、『巨人の星』とともに支えた。
『週刊少年マガジン』の創刊50周年・『あしたのジョー』の連載40周年を迎えた2008年にはカレンダーやタオル・時計(G-SHOCK)などの記念モデルがリリースされ[要出典]、2010年代以降は展示施設での企画展が複数開催されるなど、発表から40年以上を経ても一定の関心を集め続けている。
タイトルは原作者の梶原一騎が井上靖の「あした来る人」を読んでいて、そこから閃いたものである。
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あらすじ
- プロローグ
- 東京・山谷のドヤ街に、ふらりと一人の少年が現われた。矢吹丈(ジョー)と名乗るその少年に一方的に叩きのめされたアル中の元ボクサー・丹下段平は、ジョーと地元暴力団・鬼姫会の連中との乱闘から天性のボクシングセンスを見いだし、一流のボクサーに仕立て上げようと口説き始める。
- しかしジョーは、自分に向けられる段平の情熱を利用し、小遣いをもらってはドヤ街の子供たちを引き連れて乱行を繰り広げた揚げ句、犯罪にも手を染め、警察に逮捕されて少年鑑別所へと送られてしまった。
- 序盤
- そんなジョー宛てに段平から「あしたのために」の書き出しで始まるハガキが届いた。その内容は、左ジャブの打ち方から始まるボクシング技術の講義であった。時間と体力を持て余していたジョーは、そのアドバイスに従ってボクシングの練習に身を入れるようになり、やがて自分のパンチの切れが、今までと比べものにならないほど向上していくのを実感する。
- 鑑別所から西寛一と共に野菊島の東光特等[注釈 1]少年院へ移されたジョーは、豚小屋掃除の際に、西の提案で豚たちを暴れさせ脱走を試みた。しかし、ライバル・力石徹にその邪魔をされてコテンパンに叩きのめされた。その後、小馬鹿にしていた青山とのボクシング対戦で防御法を身に着けたものの、宿命の対決が再戦されないまま力石は先に少年院を出てしまう。
- 中盤
- 遅れて少年院を出たジョーはなんとかプロボクサーライセンスを取り、トレーナーとなった丹下段平と共に強引な手腕でウルフ金串との対戦を実現させる。
- さらに、フェザー級からバンタム級へ転向した力石との対戦をも実現する。減量による力石の変わりようは見られたものではなかったが、激闘の末にジョーは敗れた。しかし、勝った力石は減量の無理がたたって試合終了後に倒れ、そのまま死亡してしまう。
- 力石を死なせたショックから、対戦相手の顔面を打てずに満足な試合を行えなくなったジョーは、それでもボクシングを捨て去ることなく、ドサ回りのボクサーに身を落とし罵声を浴びながらも試合を続けるのだった。
- 終盤
- ボクシングに対する苦悩の末、強敵カーロスとのスパーリングで顔面を打てないという後遺症を乗り越えて復帰を果たし、本格的にボクシングの道へと足を踏み入れることとなったジョーは、金竜飛やハリマオとの対戦を経て遂に、世界チャンピオンの座を賭け最強のボクサー・ホセ・メンドーサとの闘いに挑んだ。
- しかし、パンチドランカーに冒されていたジョーは、善戦むなしくホセに判定負けを喫して敗れ去ってしまう。試合後、ジョーはグローブを葉子に手渡した。灰のように真っ白に燃え尽きたジョーだったが、その顔には満足げな微笑みがあった。
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執筆の背景と経緯
要約
視点
ちば×梶原の共作
連載開始までのきっかけは、ちばてつやが『ハリスの旋風』を描くための過程で取材したボクシングに感銘を受け、後継作品として構想していたことが原点になっている。ちょうど同時期に、ボクシング作品の提供先を模索中だった原作者の梶原一騎と、週刊少年マガジンの編集部が両者を引き合わせて、共作合意したのが始まりである。
ちばは当初、梶原と共作する考えまで至っておらず、「これから描くボクシング漫画の参考になればいい」と、編集部との付き合い程度の気持ちで梶原と面会したら、既に決定事項の雰囲気になっていたことを明かしている。
本作において、梶原一騎は「高森朝雄」名義で原作を手がけている。これは梶原一騎の名前を用いると『巨人の星』のような熱血スポ根もの作品であるという先入観を持たれかねない、と危惧したためであることと、当時連載中であった『巨人の星』と同一誌に掲載するにあたり、同一原作者による作品を併載している事実を隠すためであったという。このため、高森朝雄=梶原一騎という事実は、連載開始後もしばらく公表されなかった。高森朝雄というペンネームは、梶原の本名・高森朝樹に由来しており、本作品以前にも使用されたことがある。
原作改変のトラブル
当時の梶原は、原作の改変を激しく嫌うことで有名だった。しかし、ちばてつやは本作の作画を引き受けるにあたり、「時と場合に応じて、こちらの方で原作に手を加えさせてくれ」と注文をつけた。担当編集者が恐る恐る梶原にその旨を伝えたところ、「手塚治虫とちばてつやは別格だ、いいでしょう」と快諾した。
だが連載1回目、ちばはいきなり「話の導入部がわかりづらい」と梶原の用意した原稿を丸々ボツにし、自ら新たに第1話のストーリーを作り上げた。「好きに手を加えてくれ」と言った梶原もさすがにこれには「こんな馬鹿くせえことやってられるか!」と憤慨し、連載を止めるとまで言い出した。
ちばは「新鮮な素晴らしい材料を揃えてもらうのが原作、その原作を料理して美味しく食べやすく味付けをするのが僕の仕事」というスタンスを持っており、ちばはそうした作法を梶原と話し合うことで梶原はこれを納得することとなった[3]。
力石の死
力石徹の減量と死のエピソードは、ちばと梶原の設定確認の行き違いによって生まれたものである。ジョーと力石の初対面シーン、渡された原稿の一文を自分なりに解釈したちばは、力石の身長をジョーより頭一つ分高く描いてしまった[4]。発行された誌面を見てそれを知った梶原は、この身長差では二人が同じ階級で戦えないということに気付き、後に話の辻褄を合わせるため「これで死ななきゃ嘘だ」とまで思わせるほどに人間の限界を超える過度の減量を力石に強いねばならなかった[4]。
力石をどうするかで、梶原は力石を殺したいが、ちばは生かしておきたいということになり、口論になった。ここで梶原が「力石は、絶対殺す!」と発言。口論の場となった新宿のバーのバーテンダーが梶原の発言を聞いて本物の殺人予告だと思い込み、警察に通報した。最終的には編集次長の宮原照夫がちばを説得、力石は試合後に死ぬという方向に決まった[5]。もっとも、ちばは斎藤貴男の後年のインタビューに対しては「力石には、もう死相が出ていた」と話し、ここで殺さなければ「その後の力石に何をやらせても、それは堕落にしかなりはしないとも考えた」という[6]。
『週刊少年マガジン』の1970年第9号(2月22日号)にて力石が試合後に死亡したのを受け、1970年3月24日には寺山修司の呼びかけで、天井桟敷により文京区の講談社講堂にて力石の葬儀が行われた(構成・演出東由多加)[7]。現在は実在しない漫画キャラクターの葬儀として語られることが多いが、葬儀自体はアニメ版(1970年4月1日に放送開始)の主題歌を歌っていた尾藤イサオがライブ形式で歌いだすなど、力石戦で人気が最高潮に達していたことをきっかけとした、ファンイベント的な要素が強かったようである。当時のこの作品に対する注目度がいかに高かったかを示すエピソードになっている。また、2002年5月9日には雑誌『ジョー&飛雄馬』の創刊イベントとして、講談社講堂で力石の33回忌献花式が行われた[8]。
『トリビアの泉』で「力石徹は作者のつじつま合わせで死んだ」というトリビアが紹介され、ちばがVTRで『彼(力石)には申し訳なく思っている』とコメントしている[4]。
ラストシーン
ちばの後年の回想によると、梶原から伝えられたラストの内容は「ホセ・メンドーサに判定で敗れたジョーに、段平が『お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ』と労いの言葉をかける。ラストシーン、白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」というものだった[9]。これに対してちばは「ここまでやってきて、『ケンカに勝った』はないじゃないか」と考えて、電話で「ラスト、変えますよ」と梶原に伝え、梶原も「ああ、任せるよ」とこれを承諾した[9]。その結果出来上がったのが「真っ白に燃え尽きた」ラストシーンであった。
幻のラストシーンともいえる「白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」は民放バラエティ番組と、2019年8月5日放送の『ごごナマ』(NHK総合テレビ)においてちばの直筆色紙で紹介されている。梶原が書いた原稿をちばに渡す前に見ていたという真樹日佐夫も最終回について、ちばとほぼ同様のことを述べているが、ラストシーンがパンチドランカーとなったカーロス・リベラと共に療養所のような所で笑顔で戯れている姿で終わっていたと書いている[10]。
上述の経緯でちば自身がラストシーンを作ることが決まり、アシスタントとともに締めくくりをどうすべきか考え、20通りのアイデアが出るもどれもちばの納得のできる内容ではなく、締め切り時間が刻々と迫る中、悩んでいたところ、本編を最初から読み返していた当時の担当編集者が、ジョーが紀子に「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と語るシーンを発見し、「これこそあしたのジョーのテーマではないか!」とちばに差し出した[11]。ちばはこの意見に同意し、これを基にラストシーンを描き上げた。その後、5日間は何もできず、「ご飯もおかゆしか食べられなくて、家族も心配していた」と週刊誌の取材に述べている。
連載最終回付近では、「ジョーが死亡するかもしれない」といった特集記事も組まれ、完結間際のジョーの世界タイトルマッチに入ってからも、その社会的人気は衰えることはなく、最終回は増ページで掲載、表紙は原作者梶原と作画のちばの双方がリングに立ち、本作の登場人物が観客として二人を労い、表紙全体を「どうどう完結」としてジャックするという破格の扱いであった[12]。
連載終了後しばらく、ちばはジョーの絵が全く描けなくなったという。また後年「今でもたまにジョーや力石のイラストを描くが、あの頃の迫力には全く及ばない」とも語っている。現在でも特に、ラストシーンについて、「ラストシーンの再現は無理。あの時のテンションには戻れない」とテレビ番組『行列のできる法律相談所』の「100人の絵で作るカンボジア学校健設プロジェクト」でジョーの絵を依頼された際に述べている。
矢吹丈の生死
ジョーが燃え尽きた実態に関して、ちばてつや自身の発言には変遷が見られる。執筆当時のちばは、生死について全く考えていなかった[13]。後のインタビューで「子供向けには「今日のリングに負けても、また明日も勝利を目指して戦い続けるジョー」」「大人向けには「文字通り真っ白な灰になるまで、燃え尽きるまで戦った男・ジョー」」という双方の生き方を読者それぞれが感じたまま受け止めてくれればいい、と語った。しかしながら続けて「自分の中ではこの終わりは(ジョーが死んだか否か)確実に決まっている」と発言した。さらに後年では、『タイトルに「あした」と付くくらいだからジョーは死んではおらず、明日も太陽に向かって白木葉子と共に歩き出していると思う』というジョー死亡説を否定するような発言もした[14]。
2011年に熊本県湯前町の湯前まんが美術館での「あしたのジョー」原画展に合わせて、町農村環境改善センターで行われたトークショーにおいて、「丈は死んでいない」との発言をした[15]。医学的な観点から論じると、疲労で死亡した場合、微笑むなどの顔の筋肉の運動や椅子に座った姿勢を保つようなことは不可能であるため、疲れて休んでいるだけに過ぎないと一部の専門家が指摘していたが[16]、ちばはそういった医学考証の裏付けで作画した訳ではない[13]。
2014年に、CS番組『漫道コバヤシ』に客演したコメントによると「矢吹ジョーの生死に関しては原作者・梶原一騎の考えもあり既に故人であるため、もう確実なことは言えない。自分が描いたのは、ジョーの燃え尽きた姿がそこにあるという最後が全てであって、生死についてはどうでもよかった」と説明している。また、ジョーは生きているかもしれないという過去の発言は「心情的にジョーが生きていてくれた方がホッとするから、そう言ったのかもしれない」と弁明している。そして、いずれにせよ原作者が亡くなっている以上、もはや想像の域を出ないことを示唆した。
2018年3月の東京中日新聞のインタビューで、「死んでいませんよ。持っている力をすべて出し切り、真っ赤に燃えて白い灰になるというイメージ。ただただ燃え尽きた」と答えている[17]。
2023年1月に連載から55周年を迎えたスポーツ報知の取材で、ジョー生死の問いに「『真っ黒な炭が燃えると真っ赤になって、燃え尽きると真っ白な灰になる』と、力を出し切ったというさわやかさ、すがすがしさを感じ、その姿を描いた」、また「自分も燃え尽きたところがあり、当時の自分の気持ちをそのまま描いた」と話した[18]。
外部からの見解として梶原の実弟である真樹日佐夫は、「死んだとは描いてない、白い灰はあくまで比喩」と語っている[19]。漫画評論家の夏目房之介も、「ジョーの身体が次のページ方向を向いており、リングの線も同じように途切れずに向かっていることから明日があることを意味している」と解説した[20]。
両作者による後の評価
梶原は後年「あしたのジョーはちばてつやの作品であり、社会現象も彼のおかげだ」とさいとう・たかをに語っているが、ちばは「ジョーはね、私の物でなければ原作者の物でもありません。もうジョーは読んで下さった読者のみなさまの物ですから」と西原理恵子の著書『西原理恵子の人生画力対決』にて語っており、近年流行っている漫画のリメイクなども「オファーはあるが自分の一存では決められない」という[要文献特定詳細情報]。
表現に関して
制作年代の制約から21世紀においては出版物での使用が困難な用語が多く、ジョーが力石の死によって、一時的に相手のテンプル(頭の側面)を打てなくなった際、段平が「やつ(矢吹丈)はかたわだ」と言ったセリフは現在自粛され、「ボクサーとして欠陥品だ」に差し替えられた。アニメ『あしたのジョー2』の東京MXテレビでの再放送では当該カットが削除されていた。[要出典]
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登場人物
→「あしたのジョーの登場人物」を参照
書誌情報
単行本
- 高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画) 『あしたのジョー』 講談社〈講談社コミックス〉、全20巻
- 1970年3月7日発売[講 1]、ISBN 4-06-109080-1
- 1970年3月7日発売[講 2]、ISBN 4-06-109081-X
- 1970年5月4日発売[講 3]、ISBN 4-06-109086-0
- 1970年5月4日発売[講 4]、ISBN 4-06-109087-9
- 1970年7月6日発売[講 5]、ISBN 4-06-109091-7
- 1970年10月7日発売[講 6]、ISBN 4-06-109099-2
- 1971年1月18日発売[21]、ISBN 4-06-109110-7
- 1971年3月8日発売[講 7]、ISBN 4-06-109116-6
- 1971年5月6日発売[講 8]、ISBN 4-06-109122-0
- 1971年7月6日発売[講 9]、ISBN 4-06-109125-5
- 1971年10月7日発売[講 10]、ISBN 4-06-109130-1
- 1971年12月8日発売[講 11]、ISBN 4-06-109135-2
- 1972年2月4日発売[講 12]、ISBN 4-06-109142-5
- 1972年6月6日発売[講 13]、ISBN 4-06-109150-6
- 1972年8月8日発売[講 14]、ISBN 4-06-109154-9
- 1972年10月9日発売[講 15]、ISBN 4-06-109164-6
- 1972年12月8日発売[講 16]、ISBN 4-06-109172-7
- 1973年2月8日発売[講 17]、ISBN 4-06-109184-0
- 1973年5月7日発売[講 18]、ISBN 4-06-109191-3
- 1973年6月15日発売[講 19]、ISBN 4-06-109196-4
完全復刻版
- 高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画) 『完全復刻版あしたのジョー』 講談社〈KCデラックス〉、全16巻
- 1993年2月19日発売[講 20]、ISBN 4-06-319355-1
- 1993年2月19日発売[講 21]、ISBN 4-06-319356-X
- 1993年3月18日発売[講 22]、ISBN 4-06-319357-8
- 1993年3月18日発売[講 23]、ISBN 4-06-319358-6
- 1993年4月20日発売[講 24]、ISBN 4-06-319359-4
- 1993年4月20日発売[講 25]、ISBN 4-06-319360-8
- 1993年5月18日発売[講 26]、ISBN 4-06-319361-6
- 1993年5月18日発売[講 27]、ISBN 4-06-319362-4
- 1993年6月18日発売[講 28]、ISBN 4-06-319363-2
- 1993年6月18日発売[講 29]、ISBN 4-06-319364-0
- 1993年7月20日発売[講 30]、ISBN 4-06-319365-9
- 1993年7月20日発売[講 31]、ISBN 4-06-319366-7
- 1993年8月19日発売[講 32]、ISBN 4-06-319367-5
- 1993年8月19日発売[講 33]、ISBN 4-06-319368-3
- 1993年9月17日発売[講 34]、ISBN 4-06-319369-1
- 1993年9月17日発売[講 35]、ISBN 4-06-319370-5
文庫版
- 高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画) 『あしたのジョー』 講談社〈講談社漫画文庫〉、全12巻
- 2000年6月1日発売[講 36]、ISBN 4-06-260764-6
- 2000年6月1日発売[講 37]、ISBN 4-06-260765-4
- 2000年7月4日発売[講 38]、ISBN 4-06-260766-2
- 2000年7月4日発売[講 39]、ISBN 4-06-260767-0
- 2000年7月31日発売[講 40]、ISBN 4-06-260768-9
- 2000年7月31日発売[講 41]、ISBN 4-06-260769-7
- 2000年9月4日発売[講 42]、ISBN 4-06-260770-0
- 2000年9月4日発売[講 43]、ISBN 4-06-260771-9
- 2000年10月3日発売[講 44]、ISBN 4-06-260772-7
- 2000年10月3日発売[講 45]、ISBN 4-06-260773-5
- 2000年11月1日発売[講 46]、ISBN 4-06-260774-3
- 2000年11月1日発売[講 47]、ISBN 4-06-260775-1
HGT版
- 高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画) 『HGT版 あしたのジョー』 講談社〈KCデラックス〉、全8巻
- 2003年5月22日発売[講 48]、ISBN 4-06-334701-X
- 2003年6月21日発売[講 49]、ISBN 4-06-334702-8
- 2003年7月18日発売[講 50]、ISBN 4-06-334703-6
- 2003年8月21日発売[講 51]、ISBN 4-06-334704-4
- 2003年9月19日発売[講 52]、ISBN 4-06-334705-2
- 2003年10月22日発売[講 53]、ISBN 4-06-334706-0
- 2003年11月20日発売[講 54]、ISBN 4-06-334707-9
- 2003年12月20日発売[講 55]、ISBN 4-06-334708-7
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テレビアニメ
要約
視点
約10年の間隔を置いて2つのテレビアニメ版が制作された(元請制作会社や放映ネット局は異なる)。最初の作品は原作の途中まで、2本目が途中から結末までを映像化した(途中重複する内容がある)[22]。メインスタッフは両作ともほぼ同じメンバーで制作されている[22]。
あしたのジョー

1970年4月1日 - 1971年9月29日、毎週水曜19時 - 19時30分、フジテレビ系放映(全79話)。
概要
原作で力石が死亡してから間もない1970年4月より放映が開始された。放映中にちばてつやが病気で連載を休載したこと、また遅筆であったこともあり、ストーリーが原作に追いついてしまった。そのため、矢吹丈VSカーロス・リベラ戦で終了している[23]。原作の魅力に加え、初めて監督格となった出﨑統の先鋭的な演出によりその名を高めた。続編『2』ほどではないにせよ、本作にも原作にないオリジナルキャラクターやオリジナルストーリーが随所に挿入されている。原作最後の対戦者である「ホセ・メンドーサ」は第77話で名前が登場する。
制作
虫プロダクションに所属していた出崎統と丸山正雄が原作を気に入り、原作の絵を拡大コピーして個人的にパイロットフィルムを制作したことに端を発し、これがフジテレビプロデューサーである別所孝治の目にとまり、正式な企画として立ち上げられることとなった[24]。虫プロダクションでの制作であったが、社長の手塚治虫は本作品をライバル視していたため、アニメ版の制作にも関知しなかった[24]。しかし、当時手塚治虫とちばてつやが打ち合わせしたとの指摘がある[25]。
北野秀明が中心となったパイロットフィルム第2弾や制作当初は作画が丸く手塚の絵に似てしまっていたため、作画スタッフは杉野昭夫を中心に虫プロ本体から外れたメンバーで構成された[24]。その多くは後に出崎・丸山らとともにマッドハウスの設立メンバーとなった[24]。
予告編は、本編と別のスタッフにより独自に制作されていたため、本編の内容と異なる部分が多い。例として、第22話のサブタイトルは、予告編では「さらば少年院」であったが、本編では「まぼろしの力石徹」となっていた。また、第51話放送後の次回予告「さらば力石徹」は、本来第52話にあたるところを、第42話と誤植されていた。死に番号を付けられたこの52話は、偶然にも力石の死に関するエピソードの回である。なおこの『ジョー』予告編は、2018年3月に原作の連載開始50周年を記念してトムス・エンタテインメントによりYouTubeでネット配信されている。
キャスティングは主役に当たる矢吹丈と丹下段平の声を(元来アニメ声優ではない)あおい輝彦と藤岡重慶が担当し、続編や劇場版において他の人物の声の配役が大幅に変更される中でも、この両名だけは常に不動とされた。あおいはオファーを最初は断ったが、ボクシングや原作のファンだったこととプロデューサーの熱意を受けて受諾し、出演後は丈になりきって「アテレコをやったつもりはない。ジョーの声を作ってもいません。」と2020年のインタビューで述べている[26]。あおいは作画が間に合わない収録の際に「自分の気持ち」で演じて尺が合わなかったときに、ディレクターが「今の芝居がとても良かったので、今の声に絵を合わせます」と言われたこともあったと回想している[26]。
スタッフ(第1作)
- 監督(チーフ・ディレクター ) - 出﨑統
- プロデューサー - 富岡厚司、池内辰夫、渡辺忠美、別所孝治(フジテレビ担当)
- 制作担当 - オオダ靖夫
- 設定 - 丸山正雄
- 美術監督 - 明石貞一
- 美術 - 渡辺毅
- タイトル/特殊効果 - 橋爪朋二
- 仕上 - 増田惠子
- 撮影監督 - 熊谷幌史
- 編集 - 松浦典良
- 現像 - 東洋現像所→東京現像所、育映社
- 音楽 - 八木正生(A・R・A )
- 音響監督 - 左近允洋
- 録音(担当) - 浦上靖夫(スタジオ・番町スタジオ)
- 調整 - 田中英行
- 効果 - 石田サウンドプロ(石田秀憲)、イシダサウンドプロダクション(太田正一)
- 製作 - 虫プロダクション[注釈 2]、フジテレビジョン
出演(第1作)
- 矢吹 丈 - あおい輝彦
- 丹下 段平 - 藤岡重慶
- 予告編のナレーターも担当。原則として締めくくりに「さぁ、あしたのジョーの明日はどっちだ⁉」と叫んでいた。
- 力石徹 - 仲村秀生
主題歌(第1作)
- オープニングテーマのスキャット「ルルル…」は尾藤イサオのアドリブから生まれたものである。長年、レコーディング中に歌詞を忘れてしまったため、それをごまかすためにとっさに口ずさんだところ、それを聞いた寺山修司が気に入り、採用されたといわれていたが、2013年に出版されたムック本「あしたのジョー大解剖」のインタビューでは尾藤自身がその説を否定、リハーサルの最中、歌詞を読みながら歌っていたところ、プロデューサーと作曲者の八木正生の会話に気を取られ歌詞を見落としたため、とっさにアドリブをいれたところ八木がそれを気に入り、採用となったと証言している。元の歌詞がどうなっていたのかは、この時書き換えられたため不明。
- 「力石徹のテーマ」は挿入歌としても使用されたが、放送当時は発売されず、後年に発売されたサウンドトラックLPで初商品化となった[注釈 4]。3番の歌詞中に現在では差別用語になる言葉が含まれているため、2005年にヒデ夕樹のベスト・アルバムに収録される際はライナーノーツに注意書きが付された。
各話リスト(第1作)
放送局(第1作)
この節の加筆が望まれています。 |
特記の無い限り全て放送時間は水曜 19:00 - 19:30、同時ネット。
- フジテレビ
- 札幌テレビ[27]
- 青森放送:火曜 18:00 - 18:30[28]
- 秋田テレビ[29]
- 山形テレビ[29]
- 岩手放送:火曜 18:00 - 18:30[30]
- 仙台放送[31]
- 福島中央テレビ:土曜 16:00 - 16:30(1970年10月3日まで)→ 金曜 17:30 - 18:00(1970年10月9日 -1971年4月2日)→ 金曜 16:30 - 17:00(1971年4月9日 - 1971年9月)→ 日曜 7:30 - 8:00(1971年10月 - 11月)[32]
- 新潟総合テレビ:金曜 18:00 - 18:30[33]
- 富山テレビ[34]
- 石川テレビ[34]
- 長野放送[35]
- 山梨放送:木曜 18:00 - 18:30[36]
- テレビ静岡[36]
- 東海テレビ[37]
- 関西テレビ[38]
- 山陰中央テレビ[39]
- 岡山放送[40]
- 広島テレビ[40]
- テレビ愛媛[41]
- 高知放送:月曜 18:00 - 18:30[42]
- テレビ西日本[43]
- サガテレビ[43]
- テレビ長崎[44]
- テレビ熊本[44]
- テレビ大分:日曜 18:00 - 18:30[45]
- テレビ宮崎[46]
- 鹿児島テレビ:月曜 18:15 - 18:45[46]
- 沖縄テレビ[47]
最高視聴率(第1作)
- 29.2%(1970年10月14日放送 第29話「明日への挑戦」)
(ビデオリサーチ調べ・関東地区)
ビデオグラム等
全話収録DVDは、2009年12月にコロムビアミュージックエンタテインメントから発売された。
2019年4月23日にトムス・エンタテインメントがYouTubeに開設した「TMSアニメ55周年公式チャンネル」から、『ジョー』の第1・9・46・50話を「ヤツの名は"力石徹"セレクション」名義、『ジョー2』の第1・12・24・39・最終話を「伝説の"ベストバウト"セレクション」名義で、それぞれネット配信している(『2』最終話は2019年7月31日まで)。
4K解像版
2021年3月、フィルムの4KスキャンとHDR技術により高精細化された4Kリマスター版(ED映像は除く)が制作、WOWOWのWOWOWプライムとWOWOW 4Kにて放送され、オンデマンド配信も開始。
あしたのジョー2
1980年10月13日〜1981年8月31日、毎週月曜日19時〜19時30分、日本テレビ系放映(全47話)。日本テレビ系アニメとして初めて全話ステレオ放送された作品である。
概要
前作の続編だが、下記の再編集劇場版の続きという位置付けのため[22]、ストーリーは力石との対戦後から始まり、カーロス戦までは事実上のリメイクとなっている。ただし、原作やアニメ前作にあった矢吹丈がドサ回りのボクサーになり、そこから這い上がるストーリーは省略されている。また原作にないオリジナルストーリーがふんだんに盛り込まれ、オリジナルキャラクター[注釈 5]も多数登場させている[48][49]。
原作が完結して何年も経過してから整理された制作なので、矛盾点もクリアされており、登場人物の心理表現も丁寧に描かれている。特に終盤のテレビ関東による世界バンタム級1位のレオン・スマイリーとのマッチメイクや、WBA王者カロルド・ゴメスとWBC王者ホセによる王座統一戦のくだりなどは、よりリアルにプロボクシングの世界を描きたいという意図[注釈 6]からの追加で、オリジナルの部分からは主に監督である出﨑統が「「あしたのジョー」という作品世界をどのように解釈しているか」がうかがえる。サブタイトルには第4話と第33話を除く残りすべてに「…」が挿入されている。
力石戦のトラウマにより矢吹丈がリング上で嘔吐するシーンを透過光で処理した演出は「光るゲロ」として話題になり[22]、後に(チーフ・ディレクター出﨑自身のセルフパロディも含め)いろいろなアニメ作品でパロディ化された。
ラストシーンについては、1981年8月31日放送の第47話の結末で、燃え尽きたジョーに丹下段平が語りかけても反応が無い状態をセコンド陣が絶句し、その光景を見て何かを悟った関係者観衆(紀子やサチたちドヤ街の人々、ウルフ金串、少年院時代の仲間など)、ゴロマキ権藤は帽子を脱いで哀悼の意を表し、白木葉子は衝撃の余り握りしめていた形見のグローブを落とすという描写がなされている。
最後のエンディングアニメーションでは、ジョーが旅立つような止め絵に差し替えられた。これらを踏まえ、ジョーの死を匂わせる演出と同時に、エンディングは「『過去の回想』か『放浪している』のかが不分明」「旅立っていったのかもしれない」といった解釈を可能にする描写となっている [23][50]。
制作
実制作は、本作品のためにマッドハウスから独立した出崎や杉野らによるスタジオあんなぷるが担当した[24]。マッドハウスの丸山は続編の制作には反対であったが、原作サイドは東京ムービー新社での続編制作を決定したため、『ジョー』を他人にやらせたくないと考えていた出崎は独立を選んだという[24]。ほとんどの話数で絵コンテを担当しているさきまくらは出崎の別名義である。
白木葉子役の声優は一般公募された。1,380人の応募者の中から、梶原一騎や出崎統を含む8人の審査員による公開オーディションの結果、田中エミと森脇恵が同点となり、田中が白木葉子役に、森脇が林紀子役に選ばれた[51]。
スタッフ(2)
- 原作 - 高森朝雄[52]、ちばてつや[52]
- 企画 - 吉川斌(日本テレビ)、川野泰彦
- 音楽 - 荒木一郎[52]
- 作画監督 - 杉野昭夫[52]
- 美術監督 - 男鹿和雄[52]
- 撮影監督 - 高橋宏固
- 録音監督 - 加藤敏
- 選曲 - 鈴木清司
- 監修 - 梶原一騎、ちばてつや
- 文芸担当 - 飯岡順一
- 制作担当 - 青野史郎
- 演出 - 出﨑統
- プロデューサー - 高橋靖二(日本テレビ)、加藤俊三
- ディレクター - 竹内啓雄、大賀俊二、西久保瑞穂
- 編集 - 鶴渕允寿、高橋和子
- タイトル - 高具秀雄
- 特殊効果 - 橋爪朋二
- 色指定 - 伊藤純子
- デスク - 岩瀬安輝
- 制作進行 - 横溝隆久、福田尚紀、尾崎穏通、斉藤昭一郎、柳内一彦、家野喜世史
- テクニカルアドバイザー - 高山将孝
- 録音 - 東北新社
- 現像 - 東映化学
- 協力 - あんなぷる
- 制作 - 東京ムービー新社[52]
出演(2)
主題歌(2)
- オープニングテーマ
- 「傷だらけの栄光」(第1話 - 第25話)
- 作詞・作曲 - 荒木一郎 / 編曲 - 後藤次利 / 歌 - おぼたけし
- 「MIDNIGHT BLUES」(第26話 - 第47話)
- 作詞・作曲 - 荒木一郎 / 編曲 - チト河内 / 歌 - 荒木一郎
- エンディングテーマ
- 「果てしなき闇の彼方に」(第1話 - 第25話)
- 作詞・作曲 - 荒木一郎 / 編曲 - 後藤次利 / 歌 - おぼたけし
- 「果てしなき闇の彼方に」(第26話 - 第47話)
- 作詞・作曲 - 荒木一郎 / 編曲 - チト河内 / 歌 - 荒木一郎
各話リスト(2)
放送局(第2作)
※放送日時はテレビ新潟を除き1981年3月中旬 - 4月上旬時点、放送系列は放送当時のものとする[53]。
最高視聴率(2)
- 16.3%(1980年10月13日放送 第1話「そして、帰ってきた…」)
(ビデオリサーチ調べ・関東地区)
メガロボクス
→詳細は「メガロボクス」を参照
2018年4月から放送開始したテレビアニメーション作品。『あしたのジョー』の連載開始50周年を記念して製作された。
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劇場アニメ
要約
視点
あしたのジョー(1980年)
- 1980年3月8日公開
- 1970年のテレビアニメ第1話から第51話までを再編集し、矢吹丈と力石徹の戦いを主軸とした劇場版。力石や葉子など一部のキャストを変更している(俳優を起用[注釈 9])。主題歌はもちろんのこと、BGMはテレビシリーズと全く違うものが新たに用意され、映画の公開に合わせてサウンドトラック盤が発売された。
スタッフ(1980年)
主題歌(1980年)
あしたのジョー2(1981年)
- 1981年7月4日公開
- 前作映画の続編で、前半はテレビシリーズ『あしたのジョー2』の再編集。終盤は放映中だったテレビシリーズに先行して制作・公開され、のちにテレビシリーズに流用されている[22]。また、声優も一部変更されている。
キャスト(1981年)
スタッフ(1981年)
- 製作総指揮 - 梶原一騎
- 監修 - ちばてつや
- 製作 - 川野泰彦
- 音楽監督 - 荒木一郎
- 作画監督 - 杉野昭夫
- 脚本・監督 - 出崎統
- 製作 - 三協映画、ヘラルドエンタープライズ、富士映画、ちば企画
- 製作協力 - 東京ムービー新社
- 配給 - 日本ヘラルド
主題歌(1981年)
- 「あしたのジョー2のテーマ〜明日への叫び〜」
- 作詞・作曲・歌 - ジョー山中
- 「青春の終章(ピリオド)〜JOE…FOREVER〜」(挿入歌)
- 作詞・作曲・歌 - ジョー山中
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実写映画
要約
視点
1970年映画版
『あしたのジョー』は、1970年7月22日公開に公開された日本映画。同年6月に公演された新国劇による舞台『あしたのジョー』の映画化作品である。舞台版の主演であった石橋正次が同じくジョーを演じている。ジョーが丹下と出会い、力石との対決でリング禍に直面し、パンチが打てなくなって姿を消すまでが描かれる。
出演(1970年)
- 鑑別所の精神科医 - 長弘
- 黒姫会組員 - 小島克巳
- 不良少年のリーダー - 田畑善彦
- 不良少年 - 北上忠行
- 飯場のおばさん - 若原初子
- 作業員 - 平塚仁郎
スタッフ(1970年)
2011年映画版
2011年2月11日より東宝系で公開の実写映画。昭和40年代を舞台に原作の少年院での丈と力石との出会いから宿命の対決までが描かれる。出演はアイドルグループ『NEWS』(当時)の山下智久。山下は役作りのため、プロボクサー並みのトレーニングを行い、約10キロの減量と体脂肪率を10%近く落とすなど、過酷なスケジュールの下で撮影に臨んだ。力石役の伊勢谷友介も実生活での減量を実施、水を求めるシーンでは数日前からほとんど飲まず食わずで撮影に臨んでいる。
2011年2月5日以降にTBS系列で映画公開記念特別番組『ジョーのあしたはどっちだ!?映画公開記念徹底解剖スペシャル』が放送。また、公開に先立ち、各地域を代表するアスリートが「応援団支部長」に就任し、特別番組やイベントにも登場した。就任したアスリートは、ボクシング界より井岡一翔(公開当日にWBC世界ミニマム級王座獲得)、長谷川穂積(大阪:当時WBC世界フェザー級王者)、黒木優子(福岡:後のWBC女子世界ミニフライ級王者)、ボクシング以外から福島千里(札幌:陸上短距離選手)、楢﨑正剛(名古屋:プロサッカー選手)の計5名。
キャッチコピーは、「日本中が熱狂した、魂の傑作漫画完全映画化」。『この時代の若者に,ジョーはいるか?』
全国277スクリーンで公開され、2011年2月12,13日土日2日間で興収は1億9,449万4,250円、動員は15万6,877人(初日からの3日間では興収は3億232万1,700円、動員は24万3,955人)になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位となった[68]。また、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第2位と幅広い世代に高評価されている。3月には台湾でも公開され、各国での配給が決定されている。
2011年8月19日発売のDVD『あしたのジョー プレミアム・エディション』が初週1万1,000本売り上げ、8月29日付オリコン週間DVDランキングで首位となった。またBlu-rayも初週7,000本を売り上げBlu-rayランキング総合2位となっている[69]。
2014年12月28日にはTBS系列の21:00 - 23:08(JST)で放送された(文字多重放送)。
出演(2011年)
スタッフ(2011年)
- 監督 - 曽利文彦
- エグゼクティブプロデューサー - 濱名一哉
- アソシエイトプロデューサー - 大原真人、渡辺敬介、葭原弓子
- 企画・プロデュース - 伊與田英徳
- 原作 - 高森朝雄、ちばてつや
- 脚本 - 篠崎絵里子
- 撮影 - 橋本桂二
- 美術 - 佐々木尚
- 音楽 - 高橋哲也 、北里玲二
- VFX - 松野忠雄
- サウンドデザイン - 笠松広司
- 照明 - 石田健司
- 製作担当 - 坪内一、竹岡実
- 録音 - 中村淳
- 編集 - 洲﨑千恵子
- 助監督 - 副島宏司
- ボクシング監修&指導 - 梅津正彦
- 特殊メイク - 松井祐一
- スタントコーディネイト - 辻井啓伺、出口正義、舟山弘一
- 監修協力 - 高森篤子、真樹日佐夫
- 協力 - 日本ボクシングコミッション、東日本ボクシング協会 ほか
- 製作協力プロダクション - セディックドゥ
- 制作プロダクション - OXYBOT
- 製作 - 「あしたのジョー」製作委員会(TBSテレビ、ジェイ・ストーム、東宝、電通、講談社、毎日放送、中部日本放送、OXYBOT、RKB毎日放送、TBSラジオ&コミュニケーションズ、北海道放送)
- 配給 - 東宝
主題歌(2011年)
- 「Show Me Love (Not A Dream)」
- 歌 - 宇多田ヒカル(EMIミュージック・ジャパン)
- 「あしたのジョー」[注釈 10](挿入歌)
ソフト化(2011年)
2011年8月19日発売。発売元はTBSテレビ / 講談社、販売元は東宝。
- あしたのジョー スタンダード・エディション(1枚組、ブルーレイとDVDでリリース)
- 映像特典
- 特報・劇場予告編・TVスポット集
- 音声特典
- オーディオコメンタリー(山下智久×伊勢谷友介×香川照之×プロデューサー:伊與田英徳)
- 映像特典
- あしたのジョー プレミアム・エディション(2枚組、ブルーレイとDVDでリリース)
- ディスク1:本編ディスク(スタンダード・エディションと同様)
- ディスク2:特典DVD
- メイキング
- 山下・伊勢谷・香川による映画公開記念座談会
- イベント集
- トップアスリートVS「あしたのジョー」
- インタビュー集
- 原作者インタビュー
- クランクアップ集
- エンドタイトルバック・ノークレジット
- 「あしたのジョー」VFXの世界
- 初回限定特典
- オリジナルポストカード(5枚組)
- 「あしたのジョー」特製ミニサンドバッグ風ボクシンググローブ
- 特製アウターケース付き
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舞台
初演
- 1970年6月3日〜26日、東横ホール上演
出演(舞台・初演)
- 矢吹丈 - 石橋正次
- 丹下段平 - 郡司良
- 力石徹 - 亀石征一郎
劇団め組公演
2016年5月25日から29日まで、劇団め組として、すみだパークスタジオ倉にて上演。脚本は合馬百香、演出は与儀英一が担当[70]。
キャスト(舞台・め組)
ラジオ
ラジオ劇画傑作シリーズ あしたのジョー
- 1977年10月3日 - 10月28日(全20回)TBSラジオ
声
- 矢吹丈 - 安原義人
- 力石徹 - 清水紘治
- 丹下段平 - 斉藤晴彦
“矢吹丈 対 力石徹”完全実況中継
- 『あしたのジョー40周年記念番組 “矢吹丈 対 力石徹”完全実況中継』
2010年1月17日19:00 - 20:00 TBSラジオ
矢吹丈vs力石徹戦を、第1ラウンドから最終第8ラウンド2分47秒まで実際のボクシングの試合のように架空中継するプログラム。マンガやアニメには描かれていない時間帯も含め再構成しており、監修はちばてつやと梶原一騎の妻である高森篤子が務めている[71]。
展示会
本作を特集した展示会として、以下のものがある。
関連番組
要約
視点
ビデオゲーム
- あしたのジョー(1989年 タイトー/WAVE AC作品)
- あしたのジョー伝説(1991年 SNK/WAVE ネオジオ作品)
- あしたのジョー(1992年 ケイ・アミューズメントリース SFC作品)
- ボクシングマニア あしたのジョー(2001年 コナミ AC作品)
- ジ・アニメ スーパーリミックス あしたのジョー2(2002年 カプコン PS2作品)
- あしたのジョー 〜まっ白に燃え尽きろ!〜(2003年 コナミ PS2作品)
- あしたのジョー 〜まっ赤に燃え上がれ〜(2003年 コナミ GBA作品)
- タイトーの『あしたのジョー』、SNKの『あしたのジョー伝説』は、ともにWAVE社の開発した作品である。両方ともホセ・メンドーサを倒すとエンディングを迎えるが、タイトー版は白木葉子との結婚式、SNK版は夕陽をバックにしたジョーのランニングシーンという、原作とは異なる結末となっている。
モバイルゲーム
PCゲーム
- PCソフト
- あしたのジョー(1983年CSK/フィルコム PC-8801以降作品)
- あしたのジョー闘打 〜タイピング泪橋〜(2000年 SSI tristar Windows作品)
- ブラウザゲーム
- あしたのジョー~あしたのために~(2012年 ニジボックス Yahoo!モバゲー)[78]
- あしたのジョー~あしたのために~(2013年 ニジボックス mixi)[79]
- 同じくPC用のブラウザゲーム『はじめの一歩 THE FIGHTING』とのコラボキャンペーンを行い(2013年11月18日 - 12月5日)、双方の登場人物がイベントボスとして登場した[80]。
パチンコ・パチスロ
- パチンコ
- CRあしたのジョー(2001年、奥村遊機)
- CRびっくりぱちんこあしたのジョー(2010年、京楽産業.)
- ぱちんこCRあしたのジョー(2015年、サミー)
- パチスロ
- パチスロあしたのジョー(2010年、サミー)
- パチスロあしたのジョー2(2013年、タイヨーエレック)
CM・イメージキャラクター
- 三菱電機(1980年)
- 日本生命保険 ライフセイバープラン(1994年)
- 余命6か月と判断された時点で被保険者が死亡保険金を受け取れる商品が対象で、ジョー・段平・力石のバージョンがあった[81]。ジョーのバージョンでは「タオルは投げるな、最後まで完全燃焼したい」というメッセージが添えられ、日本生命によるとこのコマーシャルは「業界筋の高い評価を得、広告としても上々の成果を上げた」という[81]。しかし、嫌悪感や反発を示した者もあり、当時毎日新聞1994年6月24日夕刊文化欄に掲載された匿名コラムでは「安定を求めず破滅を恐れなかったジョーには自分たちの人生にはない潔さがあった。その名作に敬意も払わず、イメージと知名度だけを利用するようなCMにはあざとい商魂がにおうというと言い過ぎだろうか(要約)」という意見が記された[81]。
- 日清食品 ジェットラ王焼きそば(2002年)[82]
- 田辺製薬 アスパラ(2005年)
- サッポロ飲料 梅クエン酸2000(2007年)
- 東洋水産 マルちゃんクロスカウンター焼そば 醤油トンコツ味(2010年2月8日発売)
- キリンビバレッジ キリンMetsコーラ(2012年4月24日)[83]
- このCMで丹下段平役を担当したのはガンリキの佐橋大輔である。佐橋は以前に『とんねるずのみなさんのおかげでした』の細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で「現在ではあり得ない表現のため、ピー音を入れている段平のセリフ」のモノマネを披露していた。
- ダイハツ工業 タントカスタム(2013年)[84]
- ブラザー工業 インクジェットプリンタ「PRIVIO」(2013年)[85]「あしたの常(ジョー)識」編 (10月~)「あしたの年賀ジョー」編(11月~)ちなみに、丹下役は山崎弘也。
- としまえん 最終営業日を翌日に控えた2020年8月30日に、ラストシーンのコマを引用して「Thanks」という言葉を追加した広告を朝日新聞(東京本社版)に掲載した[86]。
また、2001年に放映されたサントリーBOSSのCMは、駅のベンチで本作を読んでいるサラリーマン(演:津田寛治)の両脇に座った細川俊之(劇場アニメ版の力石徹役)とあおい輝彦が力石とジョーのセリフを勝手にアフレコを始めるというものだった。
記念物
2015年4月4日、大泉学園駅北口に直結する歩行者道路「大泉アニメゲート」に練馬区にゆかりのある漫画作品のブロンズ像を設置。ちば作品からはあしたのジョーが選ばれ、リングコスチュームを身につけた矢吹丈のブロンズ像が展示されている[87]。
影響
ボクシング観戦好きで、自身も1年間ほどジムに通った経験のあった作家・三島由紀夫は『あしたのジョー』を愛読していたという。逸話として、夏のある日の深夜、講談社のマガジン編集部に三島が突然現れ、今日発売されたばかりのマガジンを売ってもらいたいと頼んだ。理由を聞くと、三島は「『あしたのジョー』を読むために、毎週水曜日に(マガジン本誌を)買っている」ほどであったが、その日に限って映画の撮影(『黒蜥蜴』)で、帰りが夜中になり買うところもなくなった(当時は、コンビニや夜間まで営業している大型書店などはなかったため、夜になり書店や駅売店が閉まると、もう翌日まで雑誌を入手することはできなかった)ため、編集部で売ってもらおうとやって来たという。財布を出した三島に対して、編集部ではお金のやりとりができないから1冊どうぞと差し出すと、嬉しそうに持ち帰ったという[88]。
元プロボクシング世界王者・辰吉丈一郎の名前は、元ボクサーの父が、矢吹丈にちなんで命名したものである。奇しくも辰吉もまたジョーと同じくバンタム級を代表する選手であった。
2021年現在ライトフライ級現役選手である矢吹正道のリングネームは、矢吹丈に由来する[89]。
漫画作品での言及・パロディ等
一世を風靡した漫画のため、後代の漫画家による作品内での言及やパロディは多く存在する。特にジョーが燃え尽きて真っ白に描写されているシーンは、令和になった現在のアニメや漫画でも多く見られる。
日本国外での受容
テレビアニメ版『あしたのジョー』『あしたのジョー2』は、韓国でも放映された。その際、ジョーを初めとする日本人の登場人物は皆韓国人という設定になり、原作で韓国人だった金竜飛や玄曹達はベトナム人に、金竜飛の朝鮮戦争に関するエピソードはベトナム戦争下のものに変えられていた。またちばてつやが韓国の漫画フォーラムに出向いた際に入手した漫画海賊版における金竜飛は日本人という設定だったとのこと[要出典]。
評論・研究本
- 『巨人の星』に関する評論では『あしたのジョー』が比較として出されることが多く、『巨人の星』の文庫版のあとがきでも、『あしたのジョー』に触れた評論が多い。文庫にあとがきを寄せた1人は、これを『少年マガジン』連載中にリアルタイムでこの2作を読んだ世代の「悪い癖」と見なしており、あとで原作者が同一人物だと知ったショックによるものだと評論している。
- 豊福きこうが『水原勇気0勝3敗11S』(1992年、情報センター出版局 ISBN 4-7958-0673-X)で矢吹丈の対戦試合、勝敗数、パンチ数などを分析。路上での殴りあいも含めた矢吹の全対戦リストも掲載。矢吹丈が長期戦や判定になると勝てないことをデータから分析。また、『タイガーマスク』の伊達直人との比較論、矢吹丈が鑑別所の心理テストで答えた「両親=植木等、無責任」、「植木等に憧れる」という矢吹丈のことばと、それでも「両親を責める気持は希薄」である点に着目。さらに、映画の植木等が本当は悪い意味での無責任でないことなどから、そこから考察する矢吹丈の「力石死後の戦い」の意味についての論説もある。
- 「あしたのジョー」心理学概論—“矢吹丈”その心の病(サーフライダー21著、中公文庫 ISBN 4-12-202203-7)。気鋭の若手心理学者、精神科医、弁護士、教育学者らが知の技法を縦横に適用、「真っ白に燃え尽きた」ボクサー・矢吹丈の人間的内面に迫る。
- 柳田理科雄が『空想科学読本』シリーズで「矢吹丈の長い前髪」やホセ・メンドーサの「一瞬の白髪」を検証。『漫画読本』シリーズでクロスカウンターの「2倍、4倍…」の理論を検証し、また、ハリマオの空中でスピンする技を科学的に解説している。
- 上記『水原…』と同様、河崎実も『「巨人の星」の謎』(1993年、JICC出版局=現・宝島社 ISBN 4-7966-0678-5)で矢吹丈の「俺は植木等のファンでね」のセリフを引用し、『巨人の星』と『あしたのジョー』の根底に植木等の行動力、敢闘精神があったと分析。また、アニメの『巨人の星』にも「泪橋」が登場することを紹介。「マンモス西と紀子の結婚」などから梶原作品における、ある法則を導き出している。
あしたのジョーに関連した楽曲
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
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