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山本政彦
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山本 政彦(やまもと まさひこ、1947年9月16日 - )は、愛知県出身のプロゴルファー。
来歴
要約
視点
1976年のフジサンケイクラシックでは初日をグラハム・マーシュ(オーストラリア)と共に68の4位タイ[2]でスタートし、2日目には岩下吉久・鈴木規夫・草壁政治と並んでの7位タイ[3]に着けた。
1976年の日本プロでは初日に69、2日目には66をマークし、能田征二・村上隆と並んでの3位タイに着けた[4]。
1977年の美津濃トーナメントでは金本章生と共に草壁・内田繁・吉川一雄・土山録志に次ぐ6位タイ[5]に入り、1978年の札幌とうきゅうオープンでは初日を橘田規と共に5アンダー67の2位タイでスタートした[6]。
1978年の中部オープンでは初日68で迎えた2日目には井上幸一・石井秀夫に次ぐ3位[7]に着け、3日目には内田と並んでの5位タイ[8]となるが、最終日には7位[9]に入った。
1978年の日本国土計画サマーズでは2日目に草壁・井上と並んでの7位タイ[10]に着け、表蔵王国際東北オープンでは初日に66をマークして首位[11]、産報クラシックでは初日を新井規矩雄・森憲二・小林富士夫・中東義昭・陳健振(中華民国)・横島由一と共に4アンダー68の8位タイ[12]でスタートした。
1979年の中部オープンでは3日目に内田と並んでの6位タイ[13]に着け、1981年の東海クラシックでは呂西鈞(中華民国)・金井・内田と並んでの8位タイ[14]に入り、1982年の静岡オープンでは初日を池田富茂・杉原輝雄・今井昌雪・青木基正と並んでの10位タイでスタートした[15]。
1979年の東海クラシックでは初日を横井ジョウジ・吉川・上野忠美・草壁、アンディ・ノース&アンディ・ビーン(アメリカ)、尾崎将司・前田新作・内田袈裟彦と共に3アンダー69の2位タイでスタートした[16]。
1979年のブリヂストントーナメントでは初日を草壁・重信秀人・河野高明・許勝三(中華民国)と共に3アンダー69の4位タイ[17]でスタートし、2日目には河野と共に大場・中嶋常幸・金井清一・郭吉雄(中華民国)・藤井春信・鈴木規・尾崎直道と並んでの10位タイ[18]に着けた。
1982年の関西プロでは2日目に金本・前田・山本善隆・宮本省三と並んでの5位タイ[19]、3日目には三上法夫・杉原・出口栄太郎と並んでの3位タイ[20]に着け、最終日には中川敏明・倉本昌弘・日下敏治と並んでの4位タイ[21]に入った。
1982年のデサントカップ北国オープンでは鈴村照男と並んでの9位タイ[22]に入り、日本国土計画サマーズでは3日目に7位[23]に着けた。
1983年の中日クラウンズでは泉川ピートと共に3日目に69をマークし、最終日にはマーシュ・森と並んでの8位タイに入った[24]。
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脚注
外部リンク
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