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戸田為春
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戸田 為春(とだ ためはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士。藤原惺窩の門人としても知られた。
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生涯
徳川氏家臣の戸田一西の三男として生まれる。慶長2年(1597年)、本多政重と共に岡部荘八(徳川秀忠の乳母大姥局の息子)を殺害し逐電する。後に浅野幸長に仕えた。慶長20年(1615年)、浅野長晟に従い、組頭として大坂夏の陣に出陣したが、軍法違反により致仕した。寛永元年(1624年)5月29日死去。
娘は長兄で大垣藩主の氏鉄の養女として公家の六条有純に嫁ぎ、その娘の永光院(お万の方)は将軍徳川家光の側室となった。その弟の氏豊は氏鉄に寄宿していたが、姉の推挙により戸田姓を名乗って江戸幕府に高家として仕えた。
参考文献
- 『大垣市史』
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