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藤原周家
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藤原 周家(ふじわら の ちかいえ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家、摂政関白内大臣・藤原道隆の子。官位は従四位下・大舎人頭。
経歴
一条朝の長保5年(1003年)頃から寛弘6年(1009年)頃にかけて右衛門佐を務め、のち兵部大輔や大舎人頭に任ぜられた。また、小一条院の乳母を妻とし、院に恪勤の侍として仕えたという[1]。
後朱雀朝の長暦2年(1038年)9月1日に周家の物を盗み取ろうとした家来に殺害される。従兄弟にあたる関白・藤原頼通一族や[2]、甥の頭弁・藤原経輔が喪に服したという[3]。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
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