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日本の政治家 ウィキペディアから
山内 康一(やまうち こういち、1973年8月25日 - )は、日本の政治家。
山内 康一 やまうち こういち | |
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生年月日 | 1973年8月25日(51歳) |
出生地 | 福岡県筑紫野市 |
出身校 |
国際基督教大学教養学部国際関係学科卒業 ロンドン大学教育研究所修士課程修了 |
前職 |
国際協力事業団職員 NGO職員 |
所属政党 |
(自由民主党→) (みんなの党→) (民主党→) (民進党→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党(赤松G) |
称号 |
学士(国際基督教大学・1996年) 修士(ロンドン大学教育研究所・2004年)[1] |
親族 |
高祖父・山内範造(衆議院議員) 叔父・佐藤善郎(太宰府市長) |
公式サイト | 山内康一 公式ウェブサイト |
選挙区 |
(神奈川9区→) (比例北関東ブロック→) 比例九州ブロック(福岡3区) |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
2005年9月11日 - 2014年11月21日 2017年10月23日 - 2021年10月14日 |
衆議院議員(4期)、みんなの党国会対策委員長(初代)、旧立憲民主党国会対策委員長代理、同政務調査会長代理などを歴任した。高祖父は立憲政友会所属で元衆議院議員山内範造[2]。叔父は太宰府市長を務めた佐藤善郎。
福岡県筑紫野市生まれ。福岡県立筑紫丘高等学校卒業後、国際基督教大学教養学部国際関係学科に進学。卒業後、国際協力事業団(JICA、現国際協力機構)に就職。インドネシア、フィリピン等のアジア諸国への技術協力プロジェクトや専門家派遣業務に携わる[3]。国際協力事業団の他、ピースウィンズ・ジャパン(NGO)等の複数のNGOでの勤務を経て[3]、インドネシア、東ティモール、アフガニスタン、インド等で難民や地震・洪水の被災者のための緊急人道援助活動や、学校建設・農村開発等の開発支援活動に従事した。2004年4月、ロンドン大学教育研究所に留学し、修士課程を修了した[3]。2005年4月、国際協力機構に復職。
2005年、自由民主党の候補者公募に応募し、合格。同年、第44回衆議院議員総選挙に自民党公認で神奈川9区から出馬し、民主党公認の笠浩史を破り初当選した(笠は比例復活)。2009年7月21日、自由民主党に離党届を提出[4][5]。 「JICAやNGOの仕事を通じて政治の重要性を知り、政治を動かすには、自分が政治家になった方が早いと思うようになりました」として、当初は自由民主党の候補者公募から衆議院議員となったが、結局「自民党の古い利権体質や右傾化に嫌気がさして離党しました」として離党することになった[1]。 同年8月8日、先に自民党を離党していた渡辺喜美や無所属の衆議院議員だった江田憲司を中心に結党されたみんなの党に参加[6]。同党公認で第45回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、再選。みんなの党結党時の役職は「パートナー(補佐)」だったが、9月29日付で党国会対策委員長および筆頭副幹事長に就任した。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、3選。
2014年11月19日、みんなの党は両院議員総会を開き、賛成多数で解党を決定する[7]。翌11月20日、みんなの党に離党届を提出し、同日山内、中島克仁の2議員が民主党への入党を申し入れ、海江田万里代表は山内、中島の入党を了承した[8]。第47回衆議院議員総選挙直前の同年11月、7月に元職の森岡洋一郎が健康問題を理由に公認を辞退して以来、空席が続いていた埼玉13区総支部長に就任し、同区で公認を受けて立候補したが、他党から急に入党し、また埼玉13区に地縁のない山内の名は選挙区内の有権者に浸透せず、自民党前職の土屋品子に敗れ、比例復活もならず落選した[9]。落選後は埼玉13区に含まれる春日部市に事務所を置きながら、大学で講演活動等を行い、政治活動については継続する意向を示していた。2015年4月より北海道大学大学院非常勤講師を務め、国際協力の講義を担当。議員在職中から「政経電論」(株式会社損得舎)メールマガジンに寄稿しており、落選後も更新を継続している[10]。
2016年2月、正式に政治活動を再開。政界引退を表明した藤田一枝に代わり、民主党福岡3区総支部長に就任[11]。同年3月、民主党・維新の党が合流して結党された民進党に参加した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙では、福岡3区から立憲民主党公認で出馬し[12][13]、自由民主党の古賀篤に敗れるも比例復活により4回目の当選を果たした[14]。10月26日、執行役員会で国会対策委員長代理の就任が決まる[15]。翌2018年より政務調査会長代理。2020年に合流新党として再結成された新・立憲民主党に参加し、財務局長兼副幹事長に就任した。
2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙では、再び古賀との一騎打ちとなるも比例復活もならず落選。12月14日付のブログで党福岡3区総支部長の再任申請を行わず、政界から離れる意向を示した[16][17]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 32 | 神奈川9区 | 自由民主党 | 8万6673票 | 46.55% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 36 | 比例北関東 | みんなの党 | 20 | / | 1/1 | ||
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 39 | 比例北関東 | みんなの党 | 20 | / | 1/2 | ||
落 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 41 | 埼玉13区 | 民主党 | 4万4916票 | 25.03% | 1 | 2/4 | / |
比当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 44 | 比例九州(福岡3区) | 旧立憲民主党 | 9万4772票 | 40.98% | 1 | 2/2 | 2/3 |
落 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 48 | 福岡3区 | 立憲民主党 | 9万8304票 | 42.13% | 1 | 2/2 | 8/4 |
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