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古代の占術に用いられた獣骨や亀甲。 ウィキペディアから
卜骨・卜甲(ぼっこつ・ぼっこう)、あるいは甲骨(こうこつ)は、鹿・猪などの獣骨や、亀の甲羅に傷を付けて火で焼き、亀裂の入り方で吉凶を判断する占術(太占=骨卜・亀卜)において、それらに用いられた獣骨・亀甲のこと。日本では弥生時代から古墳時代・古代(奈良時代・平安時代)にかけての祭祀系考古資料(遺物)として各地の遺跡から出土する。中国では、しばしば甲骨文字が刻まれている。
『三国志』「東夷伝倭人条」(魏志倭人伝)の倭人の占術に関する記述として、「其の俗挙事往来に、云為する所有れば、輒ち骨を灼きて卜し、もって吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。其の辞は令亀の法の如く、火坼を視て凶を占う」とあり、文献史料から日本列島における太占(ふとまに)=骨卜(こつぼく)は弥生時代には行われていた事が知られる。江戸時代になると、古代の骨卜・亀卜についての研究が始まり、伴信友は、1844年(天保15年)に執筆した『正卜考』で、卜占の所作を復元し、「太占(ふとまに)」の語が本来は鹿の獣骨(卜骨)を用いる骨卜を示しており、亀の甲羅(卜甲)を用いる亀卜に先行すると指摘した[1][2]。
考古資料では、太平洋戦争後まで遺跡から実際に卜骨・卜甲が出土する事例が少なく実態が不明なままだったが、1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)に赤星直忠らが神奈川県三浦市の海蝕洞穴群である毘沙門洞穴(洞窟)や大浦山洞穴(洞窟)・間口洞穴(洞窟)[3]で卜骨・卜甲を発見し[2][4]、1976年(昭和51年)の神澤勇一による研究[5]を嚆矢として考古学分野でも研究が行われるようになった[2][5]。なお鹿・猪骨の卜骨は、神奈川県三浦半島(逗子市の池子遺跡群[6][7]・三浦市の間門洞穴など)や東京湾沿岸部、千葉県外房沿岸にかけての南関東での出土例が多い[8]。
日本列島へは、弥生時代に中国から朝鮮半島経由で伝わったとする説と、朝鮮半島北部の北方狩猟民の狩猟文化の一部が伝わったとする2説が提唱されている[4]。日本列島の遺跡から出土する卜骨は、多くは鹿・猪の肩甲骨で、稀にイルカ[9]や野兎[10]の例もある。骨の表面に数ミリメートルの灼痕が10数個つけられており、火箸のような金属棒を押し付けた痕跡と考えられている[4]。鳥取県の青谷上寺地遺跡や奈良県の唐古・鍵遺跡などの例のように弥生時代前期に出現し、古墳時代前期にかけて多くの出土例がある。古墳中期に一時減少するが[11]、古墳後期から再び増え始め、牛や馬の骨も使われるようになる[12]。海亀の甲羅を用いる卜甲は、鹿・猪の卜骨よりも後に出現し、神奈川県三浦市の間口洞穴から出土した6世紀のものが現状最古とされる[12]。
これら卜骨・卜甲の出土する遺跡分布と、伊豆・壱岐・対馬など、卜占に従事した氏族である卜部氏(占部氏)の居住地域の分布には、対応関係があると指摘する意見もある[11][13]。
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