エルシャラカーニは、サンミュージックプロダクション・漫才協会に所属する日本のお笑いコンビ。
1997年(平成9年)結成。デビュー当初のコンビ名は「ザ・ニュース」だったが、1999年(平成11年)に現在のものへ改名。セイワが新しい相方を探していたところで同じ事務所の先輩から山本を紹介され、結成に至った[1]。
- セイワ 太一(せいわ たいち、本名:清和 太一(読み同じ)1971年(昭和46年)4月6日(しろうの日)(53歳) - )
- ツッコミ・ネタ作り担当。
- 大阪府高槻市出身、追手門学院大学卒業[1]。姉がいる[1]。既婚。
- 衣装は黒の上下スーツに黒のシャツ[2]。ネクタイは紫が多い[1]。
- 2013年頃より努力キャラが定着しだし、時折自らもネタにしている[3][4]。
- 持ちギャグは「アイム漫才」[5]。
- 仲間を守るため身体を鍛えている。
- 学生時代はラグビーをやっており、ポジションはフルバック[1]。
- かつてはコンビ「かきあげ丼」を現:放送作家の八木たかおと組んでいた[6]。
- ガスを止められたことがある。
- 付き合っていた彼女の母親から「おじさんと付き合うのはやめなさい」と言われ、そのまま別れた。
- 山本 しろう(やまもと しろう、本名:山本 志郎(読み同じ)1973年(昭和48年)3月6日(さぶろうの日)(51歳) - )
- ボケ担当。
- 高知県安芸郡北川村出身[1]、阪南大学中退[1]。血液型B型。兄が2人いる[1]。独身。
- 2014年4月頃より舞台衣装を変更。白の半袖ワイシャツに赤のチョッキ、白のパンツ。ネクタイは黄色にトマト柄のものをつけていることが多い(以前は赤いタンクトップに白のパンツ)[2][1]。
- 主な持ちギャグに「トマトッ!」[2]「あこがれジャンプ」「スヌーピーの上でウッドストックがトゥクトゥクトゥクトゥク言ってたよ」[2]「ダージリンティを飲んでからのはじめての日曜日」「モンッ!」などがある。
- 趣味として作詞作曲を嗜み、ギターの弾き語りを披露することもある。代表曲は「ナプキンの女」[7]。
- 脳に空洞があるため、頭部へのツッコミにドクターストップが出ている。
- 同じ事務所の後輩・槙尾ユウスケ(かもめんたる)率いる「槙尾会」のメンバーで、『ラジオかもめんたる』にレギュラー出演。
- 2020年、槙尾が新宿区で経営していた二毛作カレー店「カリガリマキオカリー」の移転に伴い、店を引き継ぎ「カリガリマキオカリー46号店[8]」へ屋号を改めた上で店長に就任[9]。2022年3月を以ての閉店まで務めた[10]。
- 西小山の銭湯で朝の営業を担当している[11]。
主に漫才で、ネタにはいくつかパターンがある。
- 山本が最近起きたことについて話そうとするが、途中で意味の分からない単語(ほとんどが山本による造語)が出てきてセイワが説明を求める。しかしその説明の中にまた別の分からない単語が登場し、それに説明を求めていくうちに元の話から脱線し続ける(意味の分からない単語の例として「リス洗い機」「ヘビ絞り機」など。また、時計を「時間分かり機」という場合もある)。
- これ以外に、山本が聞き取り辛い発言を何度もしてセイワがその度にツッコんだり、お門違いな質問を延々と繰り返す(ラーメン屋店主にカツ丼のこだわりを10回以上聞き、セイワがシメようとしても続けるなど)などのパターンもある。
- 山本が聞き取り辛い発言をする、しっかり説明せず話を進めようとする、設定をちゃんと伝えずにコントへ入ろうとしてセイワにツッコまれるというネタも演じている。このネタは『ぐるナイ』出演時には「脱線漫才」と名付けられている。
- あまりにも山本がボケすぎて、ボケていない時でもセイワが勢いでツッコんでしまう場合がある。
- コンビ名は、セイワの義理の兄(姉の夫でエジプト人)の名前をそのまま拝借したのが由来。日本語に訳すと「穴を掘る人」という意味になる[1]。
- 山本は400万円程の借金を3度も繰り返したことがある。大きな原因は特になく、収入に見合わない生活の積み重ね(一部は包茎手術、『水曜日のダウンタウン』出演時にはマルチ商法の行き詰まりと述べた)。実家が所有していた山を売って両親に肩代わりしてもらい、自己破産手続きも行い現在は清算済み[1]。
- 山本の将来の夢は国会議員で、芸人はその踏み台の予定だった[1]。
- M-1グランプリには2008年大会にて初めて準決勝進出を果たしている。しかし当時で既にコンビ結成12年目を迎えていたため、当時のM-1出場資格に反していた(2010年大会までは「結成から満10年以内」のグループが出場可能だった[12])。セイワ曰く「(結成)10年目から3年間、(M-1に)10年目としてエントリーしていた」「次の年からM-1のルールがえらい厳しくなった」とのこと[13][14]。一方、「現在のコンビ名での活動が10年以下」であったため出場が認められていた、という話もある[15]。
- THE MANZAI 2011〜2013において認定漫才師50組に選ばれる。2011年は12位で決勝進出、2012年は13位でワイルドカードの中から選ばれて決勝進出した。
- イジられたり5時間も説教され挙句の果てに奢らされるなど、スパローズが苦手。
- セイワはK-PROのネタ見せ講師をはじめ、若手芸人の指導に定評がある。
- 2019年3月29日、漫才協会への所属が発表された[16]。また不定期ではあるが、都内の寄席で行われる落語芸術協会の定席にも出演することがある。
「もうひとつの上方演芸」(たちばな出版、1997年)
「しろう」の46であり、46番目の店ではない(実際は3号店)。
なお、大会自体が5年振りに復活した2015年度からは「結成から満15年以内」に延長されている。
2016年5月22日放送『ゴッドタン』「悩める中堅芸人 景気の悪い話サミット」にて発言。
このルールにより結成10年目を超えた後もM-1に出場したコンビの例として、博多華丸・大吉(2001年大会に華丸マル・大吉として出場)やカンニング(2004年大会にとんこつなんこつとして出場)、X-GUN(2006年大会に丁半コロコロとして出場)などがいる(結果は華丸大吉の準決勝進出を除き、どちらも3回戦進出に終わっている)。