Loading AI tools
アメリカ合衆国のジャズベーシスト、音楽プロデューサー (1955-) ウィキペディアから
ビル・ラズウェル(Bill Laswell、1955年2月12日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身のベーシスト、音楽プロデューサーである。電子音楽、エレクトロニカ、実験音楽、ダブ、テクノ、アンビエント、アヴァンギャルド、ワールドミュージックなどさまざまなジャンルの音楽を制作し、関わったアーティスト、作品は膨大な数に上る。エレクトロ、ハイテク録音機器をフィーチャーした作風でも知られている。
ビル・ラズウェル Bill Laswell | |
---|---|
ビル・ラズウェル(2006年) | |
基本情報 | |
出生名 | William Otis Laswell |
生誕 | 1955年2月12日(69歳) |
出身地 | アメリカ合衆国イリノイ州セイラム |
ジャンル | 電子音楽、実験音楽、ダブ、テクノ、アンビエント、アヴァンギャルド、ワールドミュージック |
職業 | ミュージシャン、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1978年 - |
レーベル | M.O.D. Technologies、エレクトラ、アクシアム/アイランド/ポリグラム、ヴァージン |
共同作業者 | ゴールデン・パロミノス、デッドライン、プラクシス、マサカー、マテリアル、ブーツィー・コリンズ、ザ・ブラッド・オブ・ヒーローズ、ラスト・イグジット、ペインキラー、タブラ・ビート・サイエンス、パブリック・イメージ・リミテッド、バケットヘッド、ピート・ナムルック |
公式サイト |
billlaswell |
ラズウェルは、1960年代後半の、ファンカデリックのようなサイケデリック・ロックとファンクを融合したバンドや、イギー・アンド・ストゥージズ、MC5らのデトロイト・ガレージロック・シーンに影響を受けた。1970年代にニュー・ヨークの実験音楽シーンに触発されてジョルジオ・ゴメルスキーのロフトに参入。ヘンリー・カウ、マグマなど多くのアーティストと交流を開始した。1970年代後半、主要プロデューサー、パートナーとして、パリ在住のジョン・カラコスのレーベル、セルロイド・レコードでの制作を始める。国内外のアヴァンギャルド音楽のアルバムの配給を行う。
1970年代後半には、ゴングのヒッピー音楽家、デヴィッド・アレンとニューヨーク・ゴングを結成した[2]。
1979年頃、エンジニアのマーティン・ビシらとともにブルックリンにてレコーディング・スタジオを設立。ブライアン・イーノをスタジオに招き、レコーディング。スタジオ・コンセプトが気に入ったイーノが機材を提供した。ノー・ウェイヴの録音や、マイケル・バインホーン、フレッド・マーらと実験的ポスト・パンク・バンド、マテリアルの活動を開始[3]。並行してアート・リンゼイ、アントン・フィアー、フレッド・フリスらとのゴールデン・パロミノスでの活動も行っている。1980年にはフレッド・フリス、フレッド・マーとのマサカーも活動を開始した。
1980年代にヒップホップ・ミュージック・シーンに合流し、ファブ・ファイヴ・フレディとの『Change The Beat』や、アフリカ・バンバータとの「Time Zone」名義による12インチ・シングルをセルロイドからリリース、ラップ・ミュージックのオリジネイター、ラスト・ポエッツのアルバムも配給した。
1983年、ラズウェル / マテリアル全面バックアップによるハービー・ハンコックのアルバム『フューチャー・ショック』が、スクラッチやエレクトロニクスを駆使したヒップホップの名盤として高い評価を受け、収録曲「ロックイット」は第26回グラミー賞で最優秀R&Bインストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞[4]。初のソロ・アルバム『ベースラインズ』を発表。
1985年、フィリップ・ウィルソンと結成したバンド、デッドラインでアルバムを発表。マヌー・ディバンゴ[5]、バーニー・ウォーレル[6]。ジャコ・パストリアスらがゲストとして参加した。PIL[7]『アルバム』(1985年)、坂本龍一『ネオ・ジオ』(1987年)などの作品プロデュースの他、スライ&ロビーのリズムセクションを起用したミック・ジャガー『シーズ・ザ・ボス』(1985年)、オノ・ヨーコ『スターピース』(1985年)などのアルバムや、スライ&ロビー名義のアルバム『ランゲージ・バリアー』(1985年)、『リズム・キラーズ』(1987年)なども制作している。またブーツィー・コリンズと親しくなり、ブーツィー参加のアルバムが増えている。
1986年にラスト・イグジットの活動を始め、グラインドコア、ノイズのサウンド・プロデュースを試みた。この時期の主なプロデュース作品には、モーターヘッド『オーガズマトロン』(1986年) 、イギー・ポップ『インスティンクト』(1988年)、ラモーンズ『ブレイン・ドレイン』(1989年)、ホワイト・ゾンビ『Make Them Die Slowly』(1989年)などがある。
1990年代以降はクリス・ブラックウェルのアイランド・レコードにアクシアム・レーベルを立ち上げて電子音楽やデトロイト・テクノへの関心を高めフリー・ジャズやダブと絡めて行く。1991年、ペインキラー、プラクシスといったグループを結成し活動を開始。デッドライン名義で、ブーツィー・コリンズやヨナス・エルボーグらと共演し、アルバムを制作した。1992年のプラクシスのアルバム『トランスミューテイション』のレコーディングには、DJ KRUSH、DJスプーキー、ジャー・ウォブル、ファラオ・サンダース、ブーツィー・コリンズやバーニー・ウォーレル、ウィリアム・S・バロウズをゲストに迎えて制作している。
レコーディング・エンジニアのオズ・フリッツとともにアフリカ、アラブ、アジア、カリブなど世界各地でのフィールド・レコーディングや、それらを素材にしたダブ作品をサブ・ローザ・レーベルや多数のレコード・レーベルから発表する。1999年にサブ・ローザ・レーベルからカットアップを多用した作品『Hashisheen -The End Of Law』をリリースしており、ジェネシス・P・オリッジとの共同作品を収録している。
また1990年代中頃からリミックス・プロジェクトをスタートし、1997年のボブ・マーリー『ドリームス・オブ・フリーダム』をはじめ、マイルス・デイヴィス『パンサラッサ~マイルス・リミックス!』(1998年) 、カルロス・サンタナ『ディヴァイン・ライト:カルロス・サンタナRemix』(2001年)など、ラズウェルの考察による再構築アルバムを制作している。
2000年代に入ると琉球アンダーグラウンド、ニルス・ペッター・モルヴェルら新世代のアーティストのリミックスも手がけ、インド音楽とダブを融合させたタブラ・ビート・サイエンスを始動させる。
ゴールデン・パロミノス
デッドライン
プラクシス
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.