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フランスの女性歌手 (1944 - 2024) ウィキペディアから
フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy、1944年1月17日 - 2024年6月11日)は、フランスの歌手、シンガーソングライター、女優。
1960年代にイエイエスタイルで登場して以来、世界の女性アーティストに大きな影響を与えてきた[1]。夫はミュージシャンで俳優でもあるジャック・デュトロン。
彼女は、パリ9区ドマル通り界隈で生まれた。1962年に「男の子と女の子(Tous Les Garçons Et Les Filles)」でデビューした。1960年代には歌手、女優として活躍。フランス語圏の人気にとどまらず、特にイギリスで人気が上昇した[1][2]。人気に伴い、ジャン=リュック・ゴダール監督の『男性・女性』、1966年のアメリカ映画『グラン・プリ』など数作の映画に出演した[1]。
1968年、アメリカのマーガレット・ホワイティングがオリジナルの「It Hurts to Say Goodbye」[3]にフランス語詞がついた「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」を発表した。この曲はアメリカ人のアーノルド・ゴーランドとジャック・ゴールドが書いた曲が原曲であり、マーガレット・ホワイティングの1966年のアルバムに収録されている。同曲のフランス語歌詞を担当したのがセルジュ・ゲンスブールだった。以来ゲンスブールおよびゲンスブールの妻だったジェーン・バーキンと親しくなった。同曲は1967年に、アメリカのヴェラ・リン、カナダのジネット・リンもカバーしている。「さよならを教えて」は日本では5年後の1973年にヒットした。なおゲンスブールは「Kiss me Hardy」という曲も書いている。1960年代後半からはジョニ・ミッチェル的なシンガーソングライター・スタイルに転向し、シンガーソングライターとして、より自身の内面を表現するようになった。
1986年の日本映画『道』(東映配給、蔵原惟繕監督)の主題歌「道」を歌っている。1988年に引退宣言を行い、占星術師に転進していたが、1990年代初頭に2曲発表しカムバック。1994年には当時人気絶頂のイギリスのロックバンド、ブラーのデーモン・アルバーンの熱心な誘いによりシングルTo The Endでデュエットした[1]。
2003年にはバーキンのアルバムRendez-vousにSuranéeで参加し、バーキンとデュエットしている。2006年にはゲンスブールへのトリビュートアルバムMonsieur Gainsbourg RevisitedにRequiem for a jerkで参加している(このときの名義は「Faultine, Brian Molko & Françoise Hardy」)。2004年のアルバムTant de belle chose(『永遠の愛の誓い』)は「21世紀のゲンスブール」と呼ばれるバンジャマン・ビオレがプロデュースした。
ユッスー・ンドゥールのIl n'y a pas d'amour heureuxはジョルジュ・ブラッサンスのカバー,アルディもカバーしている。レスリー・ファイストのL'amour ne dura pas toujoursはアルディのカバーである。
日本では1979年にTBSのテレビドラマ『沿線地図』でMa jeunesse fout l'camp(原題「私の青春は逃げて行く」、邦題「もう森へなんか行かない」1967年)、「私の騎士 Si mi caballero」(1971年)が使用され、ドラマの中で繰り返し流されたことから話題を呼び、ベスト盤「もう森へなんか行かない」が発売された。
また荒井由実が三木聖子、石川ひとみに提供した「まちぶせ」は「さよならを教えて」のオマージュとも言われる[4]。また、西島三重子もアルディのファンとされている。
2024年6月11日、長い闘病生活の末に亡くなったことが子息のトマ・デュトロンにより公表された[5]。80歳没。
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