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吉川経秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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吉川経秋
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 不明
死没 弘和3年/永徳3年12月4日1383年12月28日
改名 経秋→道心(法名)
別名 五郎次郎、五郎二郎[1]、経明
官位 駿河[1]
幕府 室町幕府土佐国分郡守護
主君 足利尊氏
氏族 藤原南家工藤流吉川氏
父母 父:吉川経盛[1]
庄駿河入道
弥徳(吉川経見室)[1]
婿養子:経見吉川経兼の子)
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吉川 経秋(きっかわ つねあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武士安芸国国人吉川氏7代当主。駿河丸城主。

生涯

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "吉川経秋" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年5月)

正平5年/貞和6年、観応元年(1350年)、父吉川経盛から家督を受け継ぎ、吉川氏当主となる。吉川氏は安芸分郡守護職の武田氏信に従い足利尊氏側で行動している。しかし分家筋の石見吉川氏足利直冬側に与し、直冬が南朝に帰順すると、同様に南朝に従った。

経秋はこの時期の吉川氏を纏めることができず、石見吉川氏の吉川経兼経見父子は南朝方として活躍し勢力を伸ばした。結局、経秋には男子がいなかったこともあり、娘の弥徳を石見吉川氏の経見に嫁がせ、婿養子として跡を継がせた。

脚注

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  1. ^ a b c d 今井尭ほか編 1984, p. 333.

参考文献

  • 今井尭ほか編『日本史総覧』3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。全国書誌番号:84023599ISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668ASIN B000J78OVQ
  • 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。全国書誌番号:84027305NCID BN01905560ASIN B000J785PQ
  • 北広島町史
  • 萩藩閥閲録
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