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日本の岐阜県安八郡にあった町 ウィキペディアから
墨俣町(すのまたちょう)は、かつて岐阜県安八郡にあった町である。
永禄10年(1567年)の織田信長による美濃攻めの際、家臣であった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして城を築いたという故事「墨俣一夜城」で知られる。2006年(平成18年)3月27日に養老郡上石津町とともに大垣市に編入された。編入後は大垣市の地域自治区「墨俣町地域自治区」となっている。
編入先の大垣市とは隣接していないため、同市の飛び地となった。なお、同時に編入された上石津町も飛び地となった。
2006年(平成18年)3月1日にこれまで日本一面積の小さい市町村であった高知県赤岡町(現:香南市)が合併で廃止したため、墨俣町が日本一面積の小さい市町村となった。なお、墨俣町は同月27日に大垣市に編入したため一番だった期間は26日間である。かわって富山県舟橋村が日本一面積の小さい市町村となった。地方自治体に関する日本一の一覧#面積も参照。
町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅は、JR東海東海道線穂積駅であるが、大垣駅からも近い。
昭和初期から1960年代まで、町内の国道21号(岐垣国道、現・岐阜県道31号岐阜垂井線)を経由して大垣と岐阜や羽島とを結ぶ鉄道計画が存在していた。養老鉄道養老線#岐阜延伸計画を参照。
町内に高速道路や一般国道はなかった。
主要地方道
一般県道
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