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安八郡

岐阜県(美濃国)の郡 ウィキペディアから

安八郡
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安八郡(あんぱちぐん)は、岐阜県美濃国)の

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岐阜県安八郡の位置(1.神戸町 2.輪之内町 3.安八町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

人口40,754人、面積59.27km²人口密度688人/km²。(2025年7月1日、推計人口

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 大垣市の東部(杭瀬川以西および横曽根町・横曽根・高渕町・高渕・上笠町・上笠・西大外羽町・西大外羽・大外羽・多芸島町・多芸島・南市橋町・上石津町各町を除く)
  • 海津市の一部(平田町各町および海津町平原)
  • 輪之内町・安八町の全域
  • 神戸町の大部分(西座倉を除く)
  • 揖斐郡池田町白鳥

歴史

要約
視点

日本書紀』壬申紀に、安八磨郡(あはちまのこおり)として現れる。この時期の評を書紀は郡に書き改めているので、当時の呼び名は安八磨評である。672年の安八磨郡には大海人皇子(後の天武天皇)の湯沐令として多品治がおり、郡全体が大海人皇子の湯沐邑だったと考えられる。壬申の乱では皇子のために真っ先に兵を挙げた。

大宝2年(702年)の戸籍には味蜂間郡のものがあり、これも同じ郡を指す。その戸籍にある味蜂間郡の春部里は、後の池田郡の春日とみられ、古い味蜂間郡(安八磨郡)は後の池田郡をもあわせた領域だったと推測される。10世紀の和名類聚抄成立までに池田郡が分離した。安八の語は無限大の安らぎを意味するものである。[1]

「あんぱちぐん」と呼ばれるようになったのは明治以降といわれている。

近代以前の沿革

  • 江戸時代初期 - 中郷村の南で新田開発が行われ、中郷新田ができる。
  • 1615年元和元年) - 西橋村の一部が尾張藩領となり、西ノ橋村[2]として分立。
  • 1622年(元和8年) - 海松新田が開発される。
  • 1645年(正保元年)
    • 禾森村の南で新田開発が行われ、築捨新田が成立。後に築捨村に改称。
    • 外花村の東側で新田開発が行われ、南外渕新田と一本木新田ができる。
  • 1646年(正保2年) - 釜笛村の新田として、浅草新田が出来る。
  • 1665年寛文5年) - 南外渕新田は外渕村に改称する。
  • 1679年延宝7年) - 外野村で新田開発が行われ、外渕村新田ができる。
  • 1701年(元禄14年)
    • 築捨村が東築捨村と西築捨村に分立する。
    • 浅草新田が浅草東村、浅草中村、浅草西村に分立する。
  • 1804年文化元年) - 西橋村は尾張藩領となる。
  • 1817年文化14年) - 外渕村新田は外渕新田となる。
  • 江戸時代末期
    • 外渕新田は外花村の一部となる。
    • 北方村は一つの村であったが、村内に岩村藩領(通・:岩村領北方村)と旗本の名取家領(通称・名取領北方村)があり、実質2つの村であった。

近世以降の沿革

さらに見る 知行, 村数 ...
  • 慶応4年
  • 明治初年
    • 領地替えにより名古屋藩領の一部(附寄村・勝村)が笠松県の管轄となる。
    • 西高橋村・東高橋村が合併して高橋村となる。(1町151村)
    • 明治2年(1869年) - 大牧村と大牧新田が合併し、改めて大牧村となる。(1町151村)
  • 明治4年
  • 明治5年(1872年) - 今村の枝郷である今村入方が本郷の今村に合併。(1町150村)
  • 明治7年(1874年)9月[11](1町153村)
    • 割田村の一部が分立して外野村となる。
    • 外花村の一部が分立して外淵村となる。
    • 北方村の一部(通称・名取領北方村)が分立して西保村となる。
    • 2ヶ所存在した一色村がそれぞれ南一色村(現・大垣市)・北一色村(現・神戸町)に改称。
  • 明治8年(1875年
    • 1月 - 以下の各村の統合が行われる[12]。(1町133村)
      • 平原村 ← 内野村、成田村、下成田村
      • 仏師川村 ← 仏師川村、仏師川新田
      • 三郷村 ← 大尻村、車戸村、海西郡須脇村
      • 蛇池村 ← 脇田村、海西郡野市場村
      • 福合村 ← 福束新田、中郷新田、藻池新田、海松新田、下大榑村、下大榑新田
      • 四郷村 ← 上大榑村、上大榑新田、五反郷村、五反郷新田
      • 松内村 ← 海松村、柿内村
      • 塩喰村 ← 豊喰新田、塩喰村
      • 林村 ← 林本郷村、林東村、林中村、高屋村
      • 四成村 ← 八条村、和泉村、市島村、青木村
    • 6月(1町133村)
      • 須賀村・勝村が合併して勝賀村となる。
      • 切石村の一部が分立して久瀬川村となる。
    • 11月 - 大牧村が石津郡高柳古新田・高柳新田・小坪新田と合併して多芸郡大巻村となる。(1町132村)
  • 明治12年(1879年2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての安八郡が発足。郡役所が大垣町に設置。
  • 明治13年(1880年)8月 - 今村の一部(枝郷今村入方)が分立して世安村となる。(1町133村)
  • 明治14年(1881年)(1町141村)
    • 8月13日 - 林村が分割して林本郷村・林東村・林中村・高屋村となる。
    • 12月8日 - 福合村が分割して福束新田・中郷新田・藻池新田・海松新田・下大榑村・下大榑新田となる。

町村制以降の沿革

変遷表

自治体の変遷
さらに見る 旧 郡, 明治以前 ...
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行政

歴代郡長
さらに見る 代, 氏名 ...

脚注

参考文献

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