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(ひらや よしき、1960年1月25日[1] -)は、日本の小説家。日本SF作家クラブ会員[2]、宇宙作家クラブ会員[3]、日本推理作家協会会員[1]、歴史時代作家クラブ会員、NEO(次世代娯楽騎士団)メンバー[4]。岩手県久慈市出身[5]。大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業後、岩手県の公立中学校美術教師となる。2000年に『エンデュミオン エンデュミオン』で作家デビュー。2007年春に中学教師を辞して専業作家となる[6]。現在も岩手県金ケ崎町在住。男性。
平谷 美樹 | |
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誕生 |
1960年1月25日 岩手県 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 時代小説 |
主な受賞歴 |
小松左京賞(2000年) 歴史時代作家クラブ賞(2014年) |
ウィキポータル 文学 |
公募誌『北の文学』で短編小説が受賞した際[いつ?]、選者(編集委員)であった光瀬龍と知遇を得たことから師事する。
デビュー作『エンデュミオン エンデュミオン』の発売日となった2000年6月1日、偶然にも第22回宇宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS2000)へ参加するため盛岡市に来ていた堀晃が本書を購入したことがきっかけでその日に呼び出され、堀や共にいた笹本祐一らと知己を得る[10][11][12]。
2010年、小松左京賞および日本SF新人賞出身者の有志集団NEO(Next Entertainment Order; 次世代娯楽騎士団)に参加。
2011年4月から2012年9月まで、FM岩手のラジオ番組『焚き火の時間』(毎週日曜18時)で初代メインパーソナリティを務めた(第1回~第79回)[13][14]。
岩手県在住の社会人を中心に結成された自主制作映画サークル「オトナ映画部」のメンバーでもあり、主に脚本を担当している。2011年制作の『義経北行』では監督も務めた。
速筆で知られ、専業作家となってからは月産1000枚を超えたこともあるという[15]。
趣味は油彩画など絵を描くこと、フライフィッシング、バンブーロッドビルディング[1]。
仕事としてイラストを描くこともあり、『小松左京マガジン』第14巻(2004年4月)では表紙画を担当。『義経になった男』の新聞連載では毎回の挿絵も平谷自身が描いた。
〈百物語〉シリーズは第五夜以降が岡本美月との共著となっている。
『河北新報』朝刊連載時タイトルの『沙棗(さそう)――義経になった男』を改題。新聞連載時は挿絵も担当。
のち、モダンバレエとして舞台化された[16]。
〈ゴミソの鐵次〉のスピンオフシリーズとして、イタコの百夜(ももよ)を主人公に据えた〈修法師(ずほうし)百夜まじない帖〉がある(電子配信版では〈百夜・百鬼夜行帖〉シリーズとなっている)。
短編「貸し猫探し」(アンソロジー『てのひら猫語り』収録)から発展したシリーズ。
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