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幸子女王
江戸時代の日本の皇族。東山天皇の皇后・中宮。有栖川宮幸仁親王の長女 ウィキペディアから
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幸子女王(ゆきこじょおう、延宝8年9月23日(1680年11月14日) - 享保5年2月10日(1720年3月18日))は、江戸時代の日本の皇族。東山天皇の皇后(中宮)。女院号は承秋門院(しょうしゅうもんいん)。幼称は英宮。
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系譜
経歴
元禄10年(1697年)2月25日、東山天皇に入内し、女御宣下を受ける。元禄13年(1700年)、第一皇女・秋子内親王(のちの伏見宮貞建親王妃)を出産。宝永4年(1707年)5月3日に准三后宣下を経て、翌宝永5年(1708年)2月27日、中宮に冊立される。この結婚は江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の斡旋で行われたもので、幕府は中務大輔本多忠国らを派遣して賀辞を奏している。また、天皇の実母で、江戸幕府と接近していた松木宗子(敬法門院)もこの婚姻を積極的に進めている。
宝永6年(1709年)6月、東山天皇が譲位し、自身の養子となっていた中御門天皇が践祚。同年12月に東山上皇が崩御すると、翌宝永7年(1710年)3月21日に女院号宣下を受け、間もなく出家する。
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