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名古屋市緑区の地名 ウィキペディアから
名古屋市緑区の北西部に位置し、東・南・北に鳴海町、西に南区砂口町と星宮町と阿原町と接する。
名古屋市立浦里小学校の校名による[6]。「浦里」との名は、元名古屋市立鳴海小学校校長らが中心となって選定された[6]。当地は笠寺台地と鳴海丘陵の間に位置し、古くから「鳴海潟」と呼ばれていた[6]。「鳴海潟」との名がつくようにかつて当地は波の打ち寄せる海辺であり、この付近の様子がしばしば景勝地として和歌に登場した[6]。「なるみがた しほのみちひのたびごとに 道ふるかふる 浦の旅人」(宗良親王)などそれらの古歌には「浦」や「里」といった言葉が見られることからこの名が選定されたという[6]。
前述の通り古代当地周辺は海辺であったが、次第に鳴海潟は干潟となった[6]。後に新田が開発されるようになり、戦後まで当地一帯は水田地帯であった[6]。江戸時代初期には北部に東海道が整備された[6]。1967年(昭和42年)に県営団地が開発され、以降当地は中高層住宅が並ぶ都会となっている[6]。
当地は、元京都大学教授の法学者である雉本朗造が主導した「鳴海小作争議」ゆかりの地である[6]。雉本は鳴海小作争議を指導し、小作人の権利向上に貢献した[6]。この功績から当地には雉本の銅像が建てられている[6]。
2019年(平成31年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 8,354人 | [7] | |
2000年(平成12年) | 7,070人 | [8] | |
2005年(平成17年) | 7,141人 | [9] | |
2010年(平成22年) | 6,817人 | [10] | |
2015年(平成27年) | 6,800人 | [11] |
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[13]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
浦里一丁目 | 名古屋市立浦里小学校 | 名古屋市立千鳥丘中学校 | 尾張学区 |
浦里二丁目 | 名古屋市立片平小学校 名古屋市立浦里小学校 | ||
浦里三丁目 | 名古屋市立鳴海小学校 名古屋市立片平小学校 名古屋市立浦里小学校 | 名古屋市立鳴海中学校 名古屋市立千鳥丘中学校 | |
浦里四丁目 | 名古屋市立浦里小学校 | 名古屋市立千鳥丘中学校 | |
浦里五丁目 | 名古屋市立鳴海小学校 | 名古屋市立鳴海中学校 |
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