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江戸時代前期の旗本 ウィキペディアから
織田 高重(おだ たかしげ)は、江戸時代前期の旗本。通称は長十郎。官位は従五位下・美作守。織田信長の孫、佐々成政の外孫にあたる。
織田信高の長男として誕生した。生母は光秀院(佐々氏)。
慶長7年12月12日(1603年)、父・信高の死に伴い、生後間もなく家督を相続する。当時、関ヶ原の戦いで西軍に属した信高は失領していたと思料される。
元和2年(1606年)1月、駿府にて徳川家康に拝謁して従五位下・美作守を与えられる。家康は大勢の拝謁者の中に、木瓜の家紋をつけた高重に目をとめ、信長の孫という説明を受けて官位を与えたという。2000石を領する旗本に列したと考えられる。
高重は旗本寄合に所属し、元和3年(1617年)5月26日には、近江国愛知郡に代えて神崎郡に領地を与えられる。寛永12年(1635年)、宇治橋の新造奉行を務める。
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