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高橋 義雄(たかはし よしお 、1861年10月2日(文久元年8月28日) - 1937年(昭和12年)12月12日)は、日本の実業家。茶人・高橋 箒庵(そうあん)としても知られる。
高橋 義雄 (たかはし よしお) | |
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『ラヂオ講演集』 第8輯、日本ラヂオ協会、1926年9月12日、105頁 。 | |
ペンネーム | 箒庵(そうあん)、准亭居士 |
誕生 |
1861年10月2日 水戸 |
死没 | 1937年12月12日(76歳没) |
墓地 | 文京区の護国寺 |
職業 | 新聞記者、実業家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 慶應義塾正則科卒業(1882年) |
活動期間 | 1884年-1938年 |
ジャンル | ノンフィクション |
主題 | 茶道 |
代表作 |
『東都茶会記』(1914年-1920年) 『大正茶道記』(1921年-1928年) 『大正名器鑑』(1921年-1927年) |
デビュー作 | 『日本人種改良論』(1884年) |
配偶者 | 初代東明柳舟(長唄演奏家)[1] |
影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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水戸藩士の高橋常彦の四男として生まれる[2][3]。明治維新により生活困窮に陥り、13歳で植田村の呉服店「近藤」に丁稚奉公に出される[4][5]。3年奉公したが耐え難く実家に戻り、以降各所に居候しながら学ぶ[4]。1878年(明治11年)ごろは水戸の漢学塾・自彊舎に通った[6]。茨城中学卒業後地元で就職するつもりだったが、福沢諭吉が新聞事業のため文章のうまい学生を探しているという話を聞き、上京[6]。1881年(明治14年)慶應義塾に入学して約一年間学んだ後、1882年(明治15年)5月に、友人の石河幹明、井坂直幹らとともに、福澤率いる時事新報の記者になった[5]。生糸売買で成功した前橋の商人下村善太郎と知り合い、実業視察のための洋行話を取り付け、下村の援助で1887年(明治20年)9月に渡米[5]。ニューヨーク郊外の商業学校に学び、デパートなど商業視察を行なったのち渡英、ロンドン、リバプールに滞在中にパリ、ブリュッセルも視察し、帰国後、三井銀行に入社[3]。
1895年(明治28年)8月、三井呉服店(三越)の理事に就任し、様々な経営改革を行った。洋服部を廃止して呉服専業とした他に、大福帳をやめて簿記会計を導入したり、住み込み・年季奉公の店員を通勤・給料制と改めたり、高学歴者を採用するなど、経営の近代化に努めた。特にショーウィンドーを設けて商品を陳列するアメリカ式の販売法を導入したことは特筆される。客の求めに応じて商品を1つ1つ奥から取り出す方式(座売り販売)の昔ながらの呉服店から、商品のディスプレイにより大量の商品を大量の客にさばく百貨店(デパートメントストア)への転換である[7]。高橋の経営改革は、同窓(慶應)の日比翁助に引き継がれる。1904年(明治37年)、三井呉服店は三井家から独立して株式会社化し、日比が経営責任者(専務取締役)となって、さらに改革が進められることになる。
その後、高橋は三井鉱山などの経営にも関わった。三井家の重役のなかでもとくに勢力があり、贅沢な暮らしぶりで知られた[4]。麹町区一番町に自邸を構え、自ら設計した庭は名園として知られた[8]。
王子製紙の専務を最後に[9]、1911年(明治44年)、50歳のときに実業界を引退し、以後は茶道三昧の生活を送り、風雅の道を通じて各界の名士と広く交際した[10]。『大正名器鑑』、『東都茶会記』など、茶道に関する著作が多数ある。72歳のとき自伝的随筆『箒のあと』を新聞連載し、翌1933年に出版。
高橋は護国寺の檀徒総代を務めており、護国寺を茶道の総本山にしようと考えていた。護国寺への松平不昧公の分墓、園城寺日光院客殿の移築、茶室の整備などを行い、茶道振興に尽力した[11]。
三越の宣伝ポスターに使われ、15円切手にもなった岡田三郎助の『某婦人の肖像(旧題・紫の調べ)』(1907年)のモデルは、高橋義雄の妻・千代とされる[12]。千代との間には子がなく、養子を迎えた。
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