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この世の果てまで
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「この世の果てまで」(このよのはてまで、英: The End of the World) は、アメリカ合衆国の女性歌手、スキータ・デイヴィスのヒット曲である。1962年12月にRCAレコードから発売され、世界的に流行した。作曲はアーサー・ケント、作詞はシルビア・ディー。ナット・キング・コールの「トゥー・ヤング」の作詞者としても知られているディーは彼女の父の死の悲しみをくみ上げてこの詞を書いた。
原題の「The End of the World」は直訳するなら「この世の終わり」であり、これを日本語で「この世の果てまで」と翻訳するのは泉山真奈美によれば「余りにも的外れ」である [2]。
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反響
1962年12月のリリース後、翌1963年3月にはBillboard Hot 100で最高2位を記録、Billboard カントリー・シングル・チャートでも2位を記録[3](デイヴィスはカントリー歌手であるため、レコードはクロスオーバーとして成功した)、Billboard イージーリスニング・チャートでは1位を記録した。さらに、Billboard リズム・アンド・ブルース・チャートでは1位を記録し[4]、そのチャートでは極めてまれな女性コーカソイド歌手によるヒットとなった。
ルビー&ザ・ロマンティックスの曲「燃ゆる初恋」に「この世の果てまで」がポップ・チャートで1位となるのを阻まれはしたが、この歌の人気は Billboard's list of the year's 20 biggest hits で3位にランクインするほどである。
デイヴィスのレコードはチェット・アトキンスがプロデュースしたもので、1960年代のナッシュビル・サウンドの代表例と考えられている。2001年のアトキンスの葬儀では、マーティ・スチュワートによる器楽演奏でこの曲が演奏された。2004年にライマン公会堂で行われたデイヴィスの葬儀では、デイヴィスのバージョンのこの曲が流された。
デイヴィスは、この曲以外の複数の曲においても、カントリー・ミュージック・チャートやその他のチャートでヒットさせている。しかし、彼女はこの曲の成功後は常に「この世の果てまで」と同一視され、あらゆるコンサート出演でこの曲を歌った。
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ソニアによるカバー・バージョン
イギリスの歌手ソニアによるカバー・バージョンは1枚目のスタジオ・アルバム『エブリバディ・ノウズ』から5枚目および最後のシングルとしてリリースされた。
ストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースした最後のシングルとなった。
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その他のカバー・バージョン
- ジュリー・ロンドン:アルバム『The End of the World』(1963年)[6]
- ディオン:アルバム『Ruby baby』(1963年)
- パティ・ペイジ:アルバム『Say wonderful things』(1963年)
- ボビー・ダーリン:アルバム『18 yellow roses』(1963年)
- ブレンダ・リー:アルバム『Let Me Sing』(1964年)[7]
- ロレッタ・リン:アルバム『Before I'm Over You』(1964年)[8]
- パティ・デューク:アルバム『Don't just stand there』(1965年)
- ハーマンズ・ハーミッツ:アルバム『Herman's Hermits』(1965年)[9]
- アル・マルティーノ:アルバム『Spanish eyes』(1966年)
- クロディーヌ・ロンジェ:アルバム『The Look of Love』(1967年)[10]
- ナンシー・シナトラ:アルバム『Country, My Way』(1967年)
- ジョニー・マティス:アルバム『Those were the days』(1968年)
- ボビー・ヴィントン:アルバム『Sealed with a Kiss』(1972年)[11]
- カーペンターズ:アルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973年)[12]
- 天地真理:ライブ・アルバム『天地真理 オン・ステージ』(1974年)
- 岡崎友紀:ライブ・アルバム『たった1日だけどマイコンサート』(1975年、日本語詞でカバー)
- デビー・ブーン:アルバム『You Light Up My Life』(1977年)
- ビビアン・チョウ:シングル『情迷』(1990年、広東語詞でカバー)
- チエコ・ビューティー:アルバム『BEAUTY'S ROCK STEADY』(1992年)
- 原田知世:アルバム『カコ』(1994年)[13]
- 田原俊彦:アルバム『MY FAVORITE SONGS』(1994年)
- 鈴木トオル:アルバム『約束』(1995年、日本語詞でカバー)[14]
- かとうれいこ:アルバム『FILE』(1996年)
- ニーナ・ゴードン:アルバム『Tonight and the Rest of My Life』(2000年)
- アン・マレー:アルバム『Country Croonin'』(2002年)[15]
- ジョン・クーガー・メレンキャンプ:アルバム『Trouble No More』(2003年)[16]
- 竹内まりや:アルバム『Longtime Favorites』(2003年)[17]
- アグネッタ・フォルツコグ:アルバム『My Colouring Book』(2004年)[18]
- サリー・ソウル・シチュー:アルバム『宇宙でランデヴー』(2007年)
- 加藤いづみ:アルバム『private』(2008年)
- スーザン・ボイル:アルバム『夢やぶれて』(2009年)[19]
- 毛皮のマリーズ:アルバム『THE END』(2011年)
- 鄧紫棋:シングル『后会无期』(2014年、中国語詞でカバー)
チャート・パフォーマンス
備考
デイヴィスのバージョンは、多くの映画(たとえば『17歳のカルテ』、『サンキュー、ボーイズ』、『パイレーツ・ロック』など)やテレビドラマ『マッドメン』のサウンドトラックに収録されている[22]。
村上春樹の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)には歌詞の一節がエピグラフとして引用されている。
1990年には、西日本旅客鉄道(JR西日本)グループ各社紹介の、企業イメージCMの音楽にも起用された。
1991年には、ドラマ『天国から北へ3キロ』(フジテレビ)の挿入歌にも起用された。
2013年には、『映画 謎解きはディナーのあとで』で使用された。
2015年には、映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』の挿入歌に使用された。
2018年には、SEKAI NO OWARIのファンクラブツアー「Fafrotskies」の会場BGMとして使用された。
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脚注
関連項目
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