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岡崎友紀

日本の女優 (1953-) ウィキペディアから

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岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:非公表、1953年〈昭和28年〉7月31日 - )は、日本の女優歌手。身長159cm(1972年3月)[1]

概要 おかざき ゆき 岡崎 友紀, 生年月日 ...

経歴

要約
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東京都千代田区出身。千代田区立富士見小学校出身。母子家庭で、母親はNHK満州放送局に勤務していたことがあり、当時NHKアナウンサーだった森繁久彌とは同僚で家族ぐるみの付き合いだった[2]。4歳の時からモダンバレエ、6歳からクラシックバレエを習い始め[1]、小学生の時に母親の勧めで、月謝が安かったという東宝芸能学校の児童科に入学[2][3]

1961年、8歳の時に宮城まり子主演の『そばかすまり子の恋物語』(新宿コマスタジアム)で初舞台を踏む[4]。それ以降子役として舞台テレビに出演し始め、舞台では、『王様と私』(1965年)『屋根の上のバイオリン弾き』(1967年)などのブロードウェイミュージカルの日本初演に起用される。またテレビでは、1966年に「昭和40年度NHK新人タレント」としてNHKのドラマ『太陽の丘』に初出演(主演の森繁とは初共演)[1][3]すると、1968年にはNHK大阪制作の『あねいもうと』に妹「とし子」役で主演(姉役は西尾三枝子)し[5]、全国的な知名度を獲得した。『あねいもうと』は月~金曜日の夕方放映の1年間の連続ドラマだったことから、その間は母親とともに大阪に1年転居し、大阪女学院中学校に通っていた[6]。なおその後、麹町学園女子高等学校日本大学藝術学部に進学したが大学は中退している[7]

1969年にはさらに活躍の場を広げ、多くのドラマやバラエティ番組に進出。TBSヤング720」、NHK「おたのしみグランドホール(共同司会は生方恵一)」などの人気番組の司会をつとめ、バラエティ番組の金字塔と言われたNTV巨泉・前武ゲバゲバ90分!」にもレギュラー出演[4]1970年3月には『しあわせの涙』で歌手デビューも果たした[4]。とりわけ1970年9月よりTBS系で放送された、高校教師と女生徒との秘密の結婚による騒動を描き大ヒットした学園ラブコメディ『おくさまは18歳』(最高視聴率33.1%)でキュートなコメディエンヌとしての魅力が開花し、1970年代前半から中盤にかけて国民的アイドルとして人気を博した[2]

当時人気のバロメータだったマルベル堂のプロマイド(ブロマイド)の売り上げが46ヶ月連続首位を記録[8] 、また日本において「アイドル」の概念が今日のように「身近で可愛い芸能人」を意味するようになったのも、1960年代後半から人気が出た同学年の吉沢京子と岡崎の時代からであるとされる[9]

『おくさまは18歳』の大ヒットにより、『なんたって18歳!』『ママはライバル』など一連の「岡崎友紀18歳シリーズ(ライトコメディシリーズ)」が制作され、人気シリーズとなった。さらに作詞の才にも恵まれ、18歳シリーズの主題歌を始め多くの曲を「岡崎友紀」または『おくさまは18歳』の役名「高木飛鳥」のペンネームで作詞している。さらに1972年に、筒美京平作曲の『私は忘れない』がロング・ヒットとなった[10]。80年代初頭にもYUKI名義で『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』(加藤和彦作曲)をヒットさせている。

ソニー共同創業者盛田昭夫の長男盛田英夫と1978年に結婚。その後、1981年に離婚。

1986年にミュージシャンの岩倉健二と再婚したが、2005年に離婚。

1991年には倒産したタレント養成所の生徒を引き受け、劇団「NEWS」を結成し、2000年にかけて若手俳優の指導育成に当たる。自ら脚本演出振り付けを手掛けた定期公演の舞台は、環境問題をテーマにしたメッセージ性の強い大胆な内容で、毎日新聞読売新聞等の社会面で取り上げられ話題を呼んだ。

その後もタレント・舞台女優として精力的に活動している。また「岡崎友狸(ゆうり)」の雅号を持つ書道師範でもあり、環境保護活動にも積極的に取り組んでいる。過去に「エルザ自然保護会」副会長、「日本パンダ保護協会」評議員、現在「地球こどもクラブ」理事などの重役も担う。

アイドル時代は熱烈な「スヌーピー」ファンとしても知られ、スヌーピーの縫いぐるみを肌身離さず持ち歩いていた。最近の趣味は写真・ホエールウオッチングプロ野球観戦等。また昔から大の動物好き、旅行好きである。

2010年7月に行われた第22回参議院議員通常選挙民主党から非拘束名簿式比例代表制タレント議員候補として出馬したが落選した。

2018年1月1日から「一般社団法人 日本トラウムハイム協会」の理事に就任。

2023年12月10日、都内のライブハウスで70歳記念のスーパープレミアムライブを開催[11]。人工股関節の手術も受けたことを明らかにした[12]

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出演

要約
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舞台

他多数。

テレビドラマ

他多数。

映画

バラエティ番組・音楽番組・教養番組

ラジオ番組

  • 歌謡大行進」(1975年4月 - 1976年9月、文化放送) - 水曜パーソナリティー
  • アドベンチャーロード ラジオドラマ「サテンのマーメイド」(1988年5月23日 - 6月3日、NHK-FM
  • FMシアター ラジオドラマ「その後の断腸亭日乗~津軽放浪」(2000年12月16日、NHK-FM)[13]
  • FMシアター ラジオドラマ「その後の断腸亭日乗~佐渡情話編」(2001年6月16日、NHK-FM)[14]

CM

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ディスコグラフィ

要約
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シングル

さらに見る #, 発売日 ...

アルバム

  • 花びらの涙(TP-7450)(1970年10月5日)紙ジャケットCD化(2003年11月27日)、「雲と渚と青い海」とカップリングでCD化 (2013年11月13日)
  • 雲と渚と青い海(TP-8092)(1971年6月1日)CD化(2005年4月20日)、「花びらの涙」とカップリングでCD化 (2013年11月13日)
  • 友紀の青春 ニューフォークを歌う(1971年12月1日)
  • 岡崎友紀/アルバム4(TP-8185)(1972年6月1日)
  • 岡崎友紀/アルバム5(TP-8227)(1973年2月5日)
  • 岡崎友紀/アルバム6(TP-8251)(1973年5月20日)
  • 岡崎友紀/アルバム7(TP-9105)(1973年12月25日)
  • 海岸通りの喫茶店(TP-72023)(1974年12月20日)
  • ライブ! 岡崎友紀マイ・コンサート(1975年3月5日)
  • 私の好きな歌(1975年10月5日)
  • 明日のスケッチ(1976年5月3日発売)
  • ミスター・ラブ 岡崎友紀スー・シフリンを唄う(1977年5月5日発売)
  • ダンシング・レディ(1978年8月5日)
  • Do You Remember Me(1980年11月28日)初CD化(1994年5月25日)、紙ジャケット仕様SHM-CD(2013年5月29日)
  • So Many Friends(1981年)CD化(2004年12月15日)
  • Feel At Ease(2002年8月15日)
  • So Many Friends <Yellow Color Vinyl> アナログ盤(2023年8月5日)
  • Now to Now(2023年11月29日)、神村紗希小坂明子宮下英一らの曲に岡崎自ら作詞した

ベスト・アルバム

  • ゴールデンディスクNo.1(1972年11月)
  • ゴールデンディスクNo.2(1973年)
  • ゴールデンディスク'75(1974年11月)
  • 岡崎友紀全曲集(1976年9月)
  • なんてったってアイドルポップ~しあわせの涙~(1993年)
  • TWIN BEST(1997年3月19日)
  • エッセンシャル・ベスト(2007年8月22日)
  • 岡崎友紀 ベスト30(2001年8月22日)
  • ゴールデン☆ベスト(2002年11月20日)
  • なんたって18歳 岡崎友紀TVテーマ・コレクション(2014年1月29日)
  • ゴールデン☆ベスト WARNER YEARS(2024年6月19日)
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著作

  • 「明日のスケッチ」(近代映画社)1973年、(集英社文庫)1977年
  • 「続・明日のスケッチ」(近代映画社)1975年、(集英社文庫)1978年
  • 写真集「ホエールソング―アラスカにザトウクジラの愛が泳ぐ」(新風舎)2003年
  • なんたって70歳! ー だから笑顔で生きる(興陽館)2024年

脚注

関連項目

外部リンク

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