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はしだのりひこ
日本のシンガーソングライター (1945-2017) ウィキペディアから
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はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉[1]、1945年1月7日 - 2017年12月2日[2])は、日本のシンガーソングライター、フォークシンガー。身長163cm。愛称はのりちゃん。長男は、元長野大学准教授の、故端田篤人、娘は舞台女優の端田新菜。
京都府京都市生まれ。4人兄弟の長男。同志社高等学校を経て、同志社大学神学部に進学。8年と2年の休学で10年在籍し、退学。
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活動
要約
視点
高校2年の文化祭でギターを始める。1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。フォーク・クルセダーズは結成1年後、大学卒業を機に解散[3]。その後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」「はしだのりひことヒポパタマス」のリーダーを務め、ソロに転向。
ドゥーディ・ランブラーズ
同志社大学の学生であった藤原洪太、田平義昭、端田宣彦らによって1964年に結成された。1967年6月5日にクラウンレコードから「真っ赤なリボンとおさげのあの娘/戦いは一度でいい」を発表。「戦いは一度でいい」は歌詞が全編英語で作られている。
ザ・フォーク・クルセダーズ
- 「何のために」は、レコード未発表のはしだのオリジナル曲に、北山が新たな歌詞をつけたもの。
- フォーク・クルセダーズの代表曲「帰って来たヨッパライ」は、はしだの加入以前に制作された曲であるため参加していないが、ステージでは彼の持ち歌となっていた。
はしだのりひことシューベルツ
- はしだのりひことシューベルツを参照。
はしだのりひことマーガレッツ
- 小学生三姉妹を従えたマーガレッツを結成し、中津川フォークジャンボリーで童謡の「グッドバイ」を演奏。テレビにも出演したが、レコードの発表には至っていない。2ヶ月だけ活動。
はしだのりひことクライマックス
- メンバーははしだのりひこ、藤沢ミエ、中嶋陽二、坂庭省悟。
- 1971年に「花嫁」が大ヒットし、この年の第22回NHK紅白歌合戦にも出演。他に2枚目のシングル「ふたりだけの旅」がスマッシュ・ヒット。3枚目「この胸に」、4枚目「沈黙」がリリースされた。
- スタジオ録音アルバムは製作途中で頓挫し、ライブアルバムが1枚残されただけであった。
- また、シングルリリースを予定していた「戦争は知らない」や、LP用の「嫁ぐ日」などが、録音されながらも、現在まで30年以上も公式に音盤化されずに、幻となっている。制作途上で解散したことや坂庭の死去もあり公式発表はまず不可能に近い。
はしだのりひことエンドレス
- メンバーは、はしだのりひこ、林竹洋子、和泉常寛、北村謙(病気のため途中脱退)。千田雄一や、水城英明が在籍した時期も有り。
- 「嫁ぐ日」が水平ヒットとなる。テレビ番組『凡児の娘をよろしく』(関西テレビ制作・フジテレビ系列)のテーマ曲として長く愛された。
- 「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」はメンバー四人のグループ名であり、シューベルツ、クライマックスのみでもメンバー全員のことを指した。エンドレスは、はしだのりひこ以外のメンバーがエンドレスであることが明言されているが、エンドレス単体での活動は行っていない。
- エンドレスは、「嫁ぐ日/霜の音」の他にシングル「時は魔法使い/海はきらいさ」「初恋物語/青春は涙の旅」「ひとり/明日の色は」、LP『はしだのりひことエンドレスVol1』をリリースするが、大ヒット曲のないまま、解散を迎えた。
- カゴメトマトケチャップのCMソング「赤いキッス」(作詞・阿久悠、作曲・小林亜星)を歌っている。
- リードヴォーカルを務めた林竹洋子は解散後、広島県・山口県を拠点としてソロ歌手・ローカルタレントとして活動し、現在は柏村武昭夫人である。柏村と林竹はRCCラジオの『サテライトNo.1』で共演していた。
その後
ソロ活動を開始後、フォークルファミリーとは長らく没交渉に近かったが、2001年にドリーミュージックから出したミニアルバムのライナーノーツには北山修が寄稿している。
並行して妻の看病に専念したとされる時期もあったことから「主夫」としての活動が話題になったこともあり、その方面での法人団体にも関与した。主夫としての体験記を雑誌に連載し、これが後に『おとうさんゴハンまーだ』という本にまとめられ、『風のあるぺじお』の題で映画化された。
2017年4月23日、KBS京都開局65周年企画「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演、約10年ぶりに表舞台に車椅子姿で現れ、10年ほど前からパーキンソン病を患っていたことを公表した。このKBS京都のライブの後に京都市内の病院に入院したため、これが公の場に姿を見せた最後の場となった[2][4]。
2017年5月から白血病も患っており[4]、12月2日午前1時16分、パーキンソン病のため死去[1][2][4]。72歳没。
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ディスコグラフィ
要約
視点
グループ
※ はしだのりひことシューベルツは、はしだのりひことシューベルツ#ディスコグラフィーを参照。
シングル
アルバム
ソロ
シングル
アルバム
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著書
- 『おとうさんゴハンまーだ』(教育史料出版会,1986年)ISBN 4876520151
- 『親父たたかう:息子よ、語り合いたいこの時を』(文化出版局,1991年)ISBN 4579303334
- 『自然とおしゃべり:はしだのりひこアウトドア対談』(つむぎ出版,1994年)ISBN 4876681007
- などのエッセイがある。
出演
テレビ
その他のテレビ
- ママとあそぼう!ピンポンパン(1976年12月31日、フジテレビ) - 『1976 ピンポンパン紅白歌合戦』の審査員。松島トモ子と共に出演[11]。
NHK紅白歌合戦出場歴
はしだのりひことクライマックスとして出場
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
CM
演じた俳優
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関連項目
脚注
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