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アヌスミラビリス
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競走馬において、Annus Mirabilisと表される馬は3頭いる。
- アナスミラビリスは、日本の、1991年生まれの競走馬、繁殖牝馬[1]。現役時代は未勝利戦の1勝の成績に留まったが、繁殖牝馬として2007年のエンプレス杯などを制したトーセンジョウオーや、2015年のサウジアラビアロイヤルカップを制しオーストラリアに移籍後にG1級競走2勝を挙げたブレイブスマッシュの母となったトーセンスマッシュなどを産んだ。
- アヌスミラビリスは、フランスで生産された、1992年生まれの競走馬。本項にて記述。
- Annus Mirabilisは、アイルランドで生産された、2011年生まれの競走馬[2]。2017年にオーストラリアで重賞を勝つなど活躍した。
アヌスミラビリス(欧字名:Annus Mirabilis、1992年3月15日 - 1999年11月4日)は、フランスで生産された競走馬[4]。1996年の毎日王冠を制したほか、ウィンターヒルステークスを1996年から1998年まで3連覇した。
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概要
要約
視点
1994年9月2日、ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥームの所有馬としてケンプトンパーク競馬場での条件競走でデビューし、4着。2戦目グレートヤーマス競馬場のメイドン競走で初勝利を挙げ、続くリステッド競走のサマーヴィルタタソールステークスにも勝利。レーシングポストトロフィーでもセルティックスウィングの2着に入る。1995年を迎え、初戦ダンテステークス2着のあと2戦続けてマイル路線に向かい、ジャンプラ賞で2着、セントジェームズパレスステークスで5着とする。アイリッシュダービーと古馬との初対戦のインターナショナルステークスで連続3着のあと、エア競馬場のリステッド競走ドゥーンサイドカップで1年ぶりの勝利を挙げた。このあと休養に入り、休養中にゴドルフィンに移ってサイード・ビン・スルール厩舎に移籍する。
1996年に入り、初戦のナドアルシバ競馬場での一般戦キーンランドマイルで4頭立ての4着ののち、続く3戦をタタソールズゴールドカップ3着、ハードウィックステークス2着、プリンセスオブウェールズステークス3着とし、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではペンタイアの5着。8月にウィンザー競馬場のG3競走ウィンターヒルステークスに勝利したあと日本に遠征し、毎日王冠では6番人気ながらトーヨーリファール以下を下して勝利した。翌1997年、初戦のシャティン競馬場でのクイーンエリザベス2世カップでロンドンニューズの3着に入った後、8月ニューマーケット競馬場の条件ステークス1着を経て出走のウィンターヒルステークスを連覇し、アメリカのマンノウォーステークスへ遠征もインフルエントの5着。12月の香港国際カップはヴァルズプリンスの7着に終わる。1998年はナドアルシバの一般戦2戦で連続2着としたあとドバイデューティフリーに勝利。イタリア共和国大統領賞2着、鳴尾記念3着を経てウィンターヒルステークスに出走し、3連覇を達成した。このあとマッキノンステークスに出走も4着。翌1999年5月にグッドウッド競馬場でのシャーガーカップクラシックで10頭立ての10着だったのが最後の競馬となった。
引退後は日本のレックススタッドで種牡馬入りが決まり、1999年10月12日に北海道胆振動物検疫所に到着したが、到着時点で高熱を出しており即時の治療が必要な状態にあった。しかし抗生物質等の投与によって伝染病の発症が抑えられるおそれがあるとの理由で検疫所が関係者からの治療要求を拒絶したため、3週間を検疫所で過ごすこととなり、検疫期間明けの11月2日に社台ホースクリニックに搬送も2日後の11月4日に死亡。競馬ライターの後藤正俊は、自身の見立てとして「あまりにもお役所仕事的な対応」としている[8]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、Racing Post[3]、EQUIBASE[5]、JBISサーチ[6]およびnetkeiba.com[7]の情報および記載法に基づく。
- 馬場状態:Fm=Firm, GF=Good to Firm, Gd=Good, GS=Good to Soft, Y=Yielding, Sft=Soft, Hy=Heavy, Fs=Fast
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血統表
アヌスミラビリスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | インリアリティ系 |
[§ 2] | ||
父 *ウォーニング Warning 1985 鹿毛 |
父の父 Known Fact1977 鹿毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | ||||
Tamerett | Tim Tam | |||
Mixed Marriage | ||||
父の母 Slightly Dangerous1979 鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason | ||
Bramalea | ||||
Where You Lead | Raise a Native | |||
Noblesse | ||||
母 Anna Petrovna 1987 鹿毛 |
*ワッスル Wassle 1980 黒鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | ||||
Hayloft | Tudor Melody | |||
Haymaking | ||||
母の母 Anna Paola1978 栗毛 |
Prince Ippi | Imperial | ||
Princess Addi | ||||
Antwerpen | Waldcanter | |||
Adelsweihe | ||||
母系(F-No.) | (FN:7-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Tudor Minstrel 5 × 5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 祖母はディアナ賞(独オークス)の勝ち馬。
脚注
外部リンク
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