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トーヨーリファール

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トーヨーリファール
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トーヨーリファール(欧字名:Toyo Lyphard1990年5月10日 - 不明)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1993年ニュージーランドトロフィー1994年平安ステークス1995年マーチステークス

概要 トーヨーリファール, 欧字表記 ...
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競走馬時代

要約
視点

1992年11月4日京都競馬場新馬戦でデビューし勝利。続くカトレア賞にも勝利するが、4歳(1993年)の春にかけてトウ骨の骨膜炎に苦しめられ、ラジオたんぱ杯3歳ステークスきさらぎ賞アーリントンカップはいずれも6着に終わる。

休養をはさみ、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を目指して出走したトライアルNHK杯で4着に敗れると、当時「残念ダービー」と呼ばれていたニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走し、6番人気の低評価を覆して中団追走から大外に持ち出して楽々先行馬群をとらえると、2着のケイウーマンに2馬身差をつけ勝利する。続く中日スポーツ賞4歳ステークスでは当時の日本レコードで勝利したネーハイシーザーに敗れはしたが、2着を確保した。

秋は菊花賞を目指したが、神戸新聞杯を4着、京都新聞杯を3着となったことで、陣営は距離適性に限界を感じたのか、短距離路線に変更した。しかし、マイルチャンピオンシップで5着、スプリンターズステークスでは8着に終わる。

1994年、5歳の初戦には重賞に昇格した平安ステークスに出走。初ダートとあって5番人気と評価はそれほど高くなかったが、好位追走から逃げ粘る地方馬オーディンを追いかけ、ゴール前でクビ差とらえて重賞2勝目をあげた。しかし、レース後骨折が判明し休養。6月のCBC賞で復帰したが、4着に終わると、再び骨折が判明。秋に復帰も3走していずれも凡走に終わる。

6歳となった1995年は、初戦に前年に勝利した平安ステークスを予定したが回避し、すばるステークスに出走すると、2着リドガイに4馬身差の勝利。中1週で出走したフェブラリーステークス(当時はGII)でもライブリマウントの2着と好走し、続くマーチステークスでは59キロのトップハンデを苦にせず重賞3勝目を挙げた。そして芝のマイル路線に駒を進めるが、京王杯スプリングカップでは1番人気(ただし単勝5.0倍)に支持されながらも8着に敗れ、安田記念も15着に終わる。続いて出走した宝塚記念では最低人気だったが、このレースで逃げを打つと、2分10秒2の日本レコードで勝ったダンツシアトルからわずか0秒4差の4着に粘った。高松宮杯(当時GII・芝2000m)では6着。秋初戦のマイルチャンピオンシップ南部杯で5着に敗れると、続く天皇賞(秋)では17頭立ての16番人気の低評価になったが、逃げてサクラチトセオーから0秒2差の4着に粘る。しかし、再び故障を発症した。

1996年、7歳の初戦として川崎記念に出走したが、5着に敗れると再び休養。休養明け初戦の毎日王冠では12頭立ての8番人気も、逃げてアヌスミラビリスの2着に粘った。再び故障で休養し、8歳となった1997年プロキオンステークスで復帰すると3着に好走。しかし3番人気に支持されたアンタレスステークスでは11着に終わり、秋に朝日チャレンジカップ京都大賞典と出走し、これを最後に現役引退した。

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種牡馬時代

1998年より、北海道静内町レックススタッド種牡馬入りした。数少ないゴドルフィンアラビアン系(マンノウォー系)の種牡馬であったが、G1未勝利馬としては交配料が高かったこともあり、初年度の種付頭数は19頭、2年目が4頭と厳しい状況でのスタートとなった。しかし産駒が産まれると、その馬格のよさが馬産地のあちこちで評価されよく売れた。そのためレックスが交配料を無料にするなど営業を強化したところ、3年目に人気が急上昇し77頭もの交配牝馬を確保した。その中から指定交流重賞かきつばた記念の優勝馬ヨシノイチバンボシを、更にその翌年の産駒から南関東の桜花賞優勝馬ミライを輩出した。しかしその時点では既に種牡馬登録が抹消されていた。

2005年1月28日付で転売不明となった[2]。それ以降の動向は分かっていない。

主な産駒

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競走成績

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血統表

トーヨーリファール血統インテント系 / Native Dancer5×5・4=12.50% (母内) 、War Relic5×5=6.25%)(血統表の出典)[§ 1]

Relaunch
1976 芦毛
父の父
In Reality
1964 鹿毛
Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
父の母
Foggy Note
1965 芦毛
The Axe Mahmoud
Blackball
Silver Song Royal Note
Beadah

*サンダードーム
Thunder Dome
1983 黒鹿毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Neactic
Natalma
Goofed Court Martial
Berra
母の母
Mr. P's Girl
1978 黒鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Native Street Native Dancer
Beaver Street F-No.3-d
母系(F-No.) 3号族(FN:3-d) [§ 2]
5代内の近親交配 Native Dancer4×5×5、War Relic5×5 [§ 3]
出典
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脚注

外部リンク

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