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エンプレス杯

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エンプレス杯
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エンプレス杯(エンプレスはい)は神奈川県川崎競馬組合川崎競馬場で施行する地方競馬重賞ダートグレード競走競走である。格付けはJpnII農林水産大臣が賞を提供しているため、正式名称は農林水産大臣賞典エンプレス杯と表記される。名前の由来は英語で女帝皇后の意味である「empress」から。2004年までは日刊スポーツ新聞社が優勝杯を提供していた。

概要 エンプレス杯(副称:キヨフジ記念) Empress Hai, 開催国 ...

1990年までキヨフジ記念の名称で施行されていたことから同名称が副称となって付けられている。キヨフジ記念の由来はかつて川崎競馬場に所属し、国営競馬(中央競馬の前身)に移籍して第12回優駿牝馬を制し、のちに川崎に戻り開設記念(現在の川崎記念)を制した名牝キヨフジから。

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概要

要約
視点

1955年に5歳(現4歳)から10歳(現9歳)の牝馬限定の別定の南関東地区限定の重賞競走、キヨフジ記念として創設、第1回は川崎競馬場のダート1800mで施行された。しかし翌年にはダート1700mに変更、さらに1958年にはダート2000mに変更されたが1959年のみダート2200mで施行されている。

1960年からは開催月を3月から9月(1961年は6月)に移した事により出走条件を4歳(現3歳)から10歳(現9歳)牝馬に変更、しかし1962年には再び5歳(現4歳)から10歳(現9歳)牝馬に戻したが1964年の3月・9月の年2回開催の9月における競走で再び4歳(現3歳)から10歳(現9歳)牝馬に変更され1991年までこの条件で施行された。

1992年には現在のエンプレス杯に改名、従来の名称「キヨフジ記念」は副称となった。1995年より南関東グレード制施行によりG1に格付けされると同時に、中央・地方全国指定交流競走に指定されて日本中央競馬会(JRA)および他地区所属馬も出走可能になった。しかし南関東グレードは翌1996年からG2となった。1997年からはダート競走格付け委員会よりGII(統一GII)に格付けされた。1998年からは従来の出走枠12頭から14頭に変更したことによりダート2100mに変更した。

2024年より古馬ダート牝馬路線の上半期の最大目標として整備される一環で、施行時期を5月上旬に移行し、さらに負担重量も定量戦に変更される。この関係で川崎記念(JpnI)とともに2023年度は施行せず、その代わりに1年限りの代替重賞として「神奈川記念」を2023年12月に施行する[3]

中央競馬との交流競走となってからは夏季に開催されていたが、第49回の2003年より2月に開催時期が移った。地方競馬は4月から翌年3月が年度単位であるため、その関係で2002年には当競走は施行されていない。

出走条件・賞金等(2025年)

出走条件
サラブレッド系4歳以上牝馬、地方・中央選定馬。地方所属馬に限り優先出走権保持馬が優先出走できる。その指定競走は以下のとおり[2]
優先出走権トライアル競走
さらに見る 競走名, 競走格 ...
負担重量
定量。55kg(南半球産4歳馬1kg減)[2]
賞金額
1着4,000万円、2着1,400万円、3着800万円、4着400万円、5着200万円、着外手当20万円[2]
副賞
農林水産大臣賞、日本中央競馬会理事長賞、日本馬主協会連合会長奨励賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞、地方競馬全国協会理事長賞、よみうりランド賞、管理者賞[4]

過去の賞金額

中央競馬地方競馬全国指定交流競走に指定された1995年以降

さらに見る 回数, 総額賞金 (万円) ...

※ここで示される総額賞金には、着外賞金(着外手当)は含まれていない。第58回(2012年)は中止。

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歴史

  • 1955年 - 川崎競馬場のダート1800mの5歳(現4歳)から10歳(現9歳)の牝馬限定・南関東地区限定の別定重賞競走、キヨフジ記念として創設。
  • 1956年
    • 施行距離をダート1700mに変更。
    • 大井のミスアサヒロが史上初の連覇。
    • 大井の安藤徳男が調教師騎手として史上初の連覇。
  • 1958年 - 施行距離をダート2000mに変更。
  • 1959年 - 施行距離をダート2200mに変更。
  • 1960年
    • 出走条件を4歳(現3歳)から10歳(現9歳)牝馬に変更。
    • 施行距離をダート2000mに戻す。
    • 前年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1962年 - 出走条件を5歳(現4歳)から10歳(現9歳)の牝馬に戻す。
  • 1963年 - 川崎の佐々木竹見が騎手として2人目の連覇。
  • 1964年 - 出走条件を4歳(現3歳)から10歳(現9歳)牝馬に再変更。
  • 1968年 - 川崎の井上宥蔵が調教師として史上初の3連覇。
  • 1971年 - 大井の高橋三郎が騎手として3人目の連覇。
  • 1991年 - 名称をエンプレス杯に変更。
  • 1992年 - 浦和のヒカリカツオーヒが2頭目の連覇。
  • 1995年
    • 中央・地方全国指定交流競走に指定。
    • 南関東グレード制施行によりG1に格付け。
  • 1996年
    • 負担重量をグレード別定に変更。
    • G2(南関東グレード)に降格。
    • JRAのホクトベガが3頭目の連覇。
    • JRAの横山典弘が騎手として4人目の連覇。
  • 1997年 - ダート競走格付け委員会にGII(統一GII)に格付け。
  • 1998年
  • 2000年
  • 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳から10歳の牝馬」から「3歳から9歳の牝馬」に変更。
  • 2004年 - 出走条件を4歳以上牝馬に変更。
  • 2005年 - 日刊スポーツ賞から農林水産大臣賞になったことに伴い、正式名称も日刊スポーツ賞エンプレス杯から農林水産大臣賞典エンプレス杯に変更。
  • 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会 (ICSC)の勧告にともない、重賞格付け表記をJpnIIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。
  • 2011年 - JRAの武豊が騎手として7人目の連覇。
  • 2012年 - 当日の降雪により当競走を含む全競走が中止となる。代替開催の施行は執り行わず。
  • 2020年 - COVID-19の流行により客を入れずに「無観客競馬」として開催(2021年も同様)。
  • 2023年 - 1着賞金を4000万円に増額[5]
  • 2024年
    • 負担重量を定量に、施行時期を5月上旬に変更。これにより、2023年度は本競走は休止となる。
    • GRANDAME-JAPANシリーズの対象競走に指定される。
    • この年から再びナイターで実施。

歴代優勝馬

さらに見る 回数, 施行日 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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