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アリア・アトキンソン

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アリア・アトキンソン
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アリア・シャニー・アトキンソン(Alia Shanee Atkinson, 1988年12月11日 - )は、ジャマイカセント・ジェームズ教区出身の元女子競泳選手。専門は平泳ぎ。競泳の世界タイトルを獲得した史上初の黒人女性であり、世界選手権世界短水路選手権でメダルを獲得した史上初のジャマイカ人でもある。世界選手権では銀と銅の2つのメダルを獲得、世界短水路選手権では4つの金を含む10個のメダルを獲得した。100m平泳ぎの短水路世界記録保持者、50m平泳ぎの元短水路世界記録保持者。

概要 アリア・アトキンソン, 選手情報 ...
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経歴

要約
視点

生い立ち

父トウィーズミュアと母シャロンの3番目の子として、ビーチまで30~40分ほどの場所のセント・ジェームズ教区ローハンプトン(Roehampton)に生まれる[1]。ジャマイカには泳げない人が多く、両親は子供たちにそうなってほしくないという理由から水泳をさせた[2]。アトキンソンも3歳で水泳を始め、11歳の時に初めてCARIFTA英語版地域の大会のジャマイカ代表に選出された[3]。その後アトキンソンが12~13歳の頃に一家はアメリカフロリダに移住した[1]。高校はチャールズ・W・フラナガン高校英語版に進学し、在学中の15歳の時にアテネオリンピックに出場した[4]

テキサスA&M大学での活躍

高校時代に水泳で優秀な成績を収めた結果、全額の奨学金を得てテキサスA&M大学に進学[3][4]。2007年から2010年の4年間でオール・アメリカ英語版には19回選出。NCAA選手権では2010年の200ヤード(以下ヤードはyで記載)平泳ぎを2分07秒38で制し[2]、テキサスA&M大学史上2人目のNCAAチャンピオンに輝いた。Big12選手権では100yと200yの平泳ぎで6回(2007年、2008年、2010年)優勝したほか、リレーチームの一員として200yフリーリレー(2010年)、200yメドレーリレー(2008年)、400yメドレーリレー(2007年、2008年)で優勝に貢献した。2010年に心理学理学士号を取得[5]。教養学部心理学・脳科学科卒業[6]

2011年

10月、グアダラハラで開催されたパンアメリカン大会に出場すると、100mバタフライで1分01秒17、100m平泳ぎで1分09秒11、200m個人メドレーで2分14秒75と3種目でジャマイカ新記録を樹立[7]。200m個人メドレーでは自身の持つジャマイカ記録(2分17秒31)を大幅に更新して銀メダルを獲得した[8]。これは1999年ウィニペグ大会ジャネル・アトキンソン英語版が200m・400m・800m自由形で銀メダルを獲得して以来、ジャマイカ史上4個目のパンアメリカン大会競泳メダルとなった[9][10]

2012年

7-8月、ロンドンで開催されたオリンピックに出場。100m平泳ぎでは予選と準決勝スイムオフをそれぞれ1分07秒39と1分06秒79のジャマイカ新記録で突破。迎えた決勝では1分06秒93と三度のジャマイカ記録更新とはならず、ルータ・メイルティーテ(1分05秒47)、レベッカ・ソニ(1分05秒55)、鈴木聡美(1分06秒46)に次ぐ4位に終わり、0秒47差でメダルを逃した。しかし、これは2000年シドニー大会の女子400m自由形で4位になったジャネル・アトキンソンと並ぶ、オリンピック競泳種目のジャマイカ勢最高成績となった[11]。なお、もしもメダルを獲得していれば、1980年モスクワ大会の自転車競技男子1000mタイムトライアルで銅メダルを獲得したデヴィッド・ウェラー英語版以来、ジャマイカ史上2個目の陸上競技以外でのメダルという快挙だった[12]

12月、イスタンブールで開催された世界短水路選手権に出場。50m平泳ぎでは予選と準決勝をジャマイカ新記録(29秒72と29秒62)で突破し、2大会連続の決勝に進出した[13]。決勝では29秒67とややタイムを落としたものの、29秒44の大会新記録で優勝したルータ・メイルティーテに次ぐ2位に入り、母国ジャマイカに世界短水路選手権初のメダルをもたらした[14]。100m平泳ぎでは決勝で1分03秒80のジャマイカ新記録を樹立し、レベッカ・ソニが持つ大会記録(2010年に1分03秒98)を上回るとともに1分04秒の壁を破る史上6人目の選手となったが、ルータ・メイルティーテがこの記録を更に上回る1分03秒52で優勝したため50mに続き銀メダルに終わった[15]

2014年

7月、グラスゴーで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。50m平泳ぎでは予選と準決勝で2度の大会新記録を樹立(30秒49秒と30秒17秒)。金メダルが期待された決勝は30秒67とタイムを落とし、前回王者のリーストン・ピケット英語版に0秒08及ばず銀メダルに終わった[16]。しかし、これは1934年ロンドン大会の男子200y平泳ぎで銀メダルを獲得したウィリアム・マッカーティ、2002年マンチェスター大会の女子400mと800m自由形で銅メダルを獲得したジャネル・アトキンソンに次ぐ、ジャマイカ史上4個目のコモンウェルスゲームズ競泳メダルとなった[17]。200m平泳ぎでは決勝で自身の持つジャマイカ記録(2分25秒52)を更新する2分25秒48をマークしたが、メダルに0秒48届かず7位に終わった[18]。100m平泳ぎでは準決勝を全体1位の1分06秒87で突破したが[19]、決勝は1分08秒14とタイムを落とし、ソフィー・テイラー英語版(1分06秒35)、ローナ・トンクス英語版(1分07秒34)に次ぐ銅メダルに終わった[20]

12月、ドーハで開催された世界短水路選手権に出場。50m平泳ぎでは決勝で自身の持つジャマイカ記録を0秒03更新する28秒91を記録したが、前回王者ルータ・メイルティーテに0秒07及ばず金メダルを逃した[21]。100m平泳ぎではメイルティーテの持つ世界記録1分02秒36と並ぶ短水路世界タイ記録を樹立し、前回王者メイルティーテに0秒10差で競り勝ち初優勝を成し遂げた。これは黒人女性初の世界タイトル獲得[22]、ジャマイカ人初の世界選手権タイトル獲得という快挙だった[23]

2015年

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カザン世界選手権女子50m平泳ぎの表彰式

8月、カザンで開催された世界選手権に出場。100m平泳ぎでは準決勝をジャマイカ新記録及び全体3位の記録となる1分06秒21で突破し、この種目でCARIFTA地域の女子選手初となる決勝に進出した[24]。迎えた決勝ではユリア・エフィモワ(1分05秒66)、ルータ・メイルティーテ(1分06秒36)には及ばなかったものの、4位の渡部香生子に0秒01差で先着する1分06秒42で銅メダルを獲得した[25]。これはジャマイカが長水路の世界選手権で獲得した史上初のメダルという快挙だった[23]。50m平泳ぎは決勝で30秒11のジャマイカ新記録を樹立し、ジェニー・ヨハンソン英語版(30秒05)に次いで銀メダルを獲得した[26]

2016年

8月、リオデジャネイロで開催されたオリンピックに出場すると、100m平泳ぎで2大会連続の決勝に進出した。しかし、決勝ではリリー・キングが1分04秒93のオリンピック新記録で優勝する中、自己ベストの1分05秒93からは程遠い1分08秒10で8位に終わった[27]

同月、ワールドカップ(短水路)のシャルトルパリ大会に出場し、100m平泳ぎで1分02秒36の短水路世界タイ記録を樹立。2013年のルータ・メイルティーテ、2014年の自身の記録と並んだ[28]

10月、ワールドカップ(短水路)の東京大会に出場し、50m平泳ぎで28秒64の短水路世界新記録を樹立。ジェシカ・ハーディが持つ世界記録を7年ぶりに0秒16更新した[29]

12月、ウィンザーで開催された世界短水路選手権に出場すると、50m平泳ぎでは優勝したリリー・キング(28秒92)と0秒09差の2位に終わり、2大会連続の銀メダルに終わった[30]。100m個人メドレーはホッスー・カティンカ(57秒24)、エミリー・シーボーム(57秒97)に次ぐ3位(58秒04)に入り、この種目では自身初となるメダルを獲得した[31]。前回王者として登場した100m平泳ぎはリリー・キングを0秒32抑え、1分03秒03で連覇を達成した[32]

2018年

10月、ワールドカップ(短水路)のブダペスト大会に出場し、50m平泳ぎで自身の持つ短水路世界記録を0秒08更新する28秒56を記録した[33]。この記録は2022年にルータ・メイルティーテによって更新された(28秒37)[34]

12月、杭州で開催された世界短水路選手権英語版に出場。50m平泳ぎは2位のルータ・メイルティーテに0秒33差をつける29秒05で制し、この種目で自身初となると金メダルを獲得した[35]。100m個人メドレーはカティンカ・ホッスー(57秒26秒)、今井月(57秒85秒)に次ぐ58秒11で3位に入り、2大会連続で銅メダルを獲得した[36]。100平泳ぎはケイティ・マイリ英語版を0秒12抑え、1分03秒51で3連覇を達成した[37]

2019年

7月、光州で開催された世界選手権に出場すると、50m平泳ぎでは決勝で30秒34の4位に終わり、2015年大会以来のメダルを0秒19差で逃した[38]

2021年

12月、アブダビで開催された世界短水路選手権英語版に出場。連覇のかかった50m平泳ぎは予選を29秒55の全体1位で突破したが、準決勝でフィニッシュ直前にドルフィンキックをして失格となった[39]。4連覇のかかった100m平泳ぎは5大会連続の決勝に進出するも1分04秒03で4位に終わり、0秒11差で5大会連続のメダルを逃した[40]。このレース後に自身のインスタグラムで現役引退を発表した[41]

引退後

2022年6月、世界水泳連盟の初代アスリート委員会・委員長に就任した[42]

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人物

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家族

  • 父のトウィーズミュアは元陸上選手。カラバー高校英語版時代に円盤投砲丸投のクラス1記録を樹立した選手で、1969年のチャンプス英語版(ジャマイカの全国高校陸上選手権)では両種目で優勝した実績を誇る[46]
  • 母のシャロンは2013年にアトキンソンのマネージャーになり、大会へのエントリーやフライトの手続きなどの業務を担いアトキンソンを支えた[1]
  • 兄のアディは優秀な平泳ぎの選手で、アトキンソンも尊敬する兄の背中を追っていた。アディは18歳で競泳を引退して航空の道へ進んだが、2009年に飛行機事故で亡くなった[1]
  • 姉のサンニカは医師[1]
  • 母方のおじのカール・スミス英語版1984年ロサンゼルスオリンピックの陸上ジャマイカ代表選手[47]

栄誉

旗手

アワード

  • ジャマイカ・スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤー英語版
  • Swammy Award英語版 - 中央アメリカ・カリブ海女性スイマー・オブ・ザ・イヤー

その他

成績

要約
視点

世界大会

世界水泳連盟ウェブサイト参照[60]

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大学の主要大会

yはヤードを意味する。全て短水路の記録。

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記録

要約
視点

樹立した短水路世界記録

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自己ベスト

世界水泳連盟のウェブサイト参照[60]

長水路

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短水路

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脚注

外部リンク

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