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シェリー=アン・フレーザー=プライス

ジャマイカの女性陸上競技選手 ウィキペディアから

シェリー=アン・フレーザー=プライス
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シェリー=アン・フレーザー=プライス(Shelly-Ann Fraser-Pryce, 1986年12月27日 ‐ )は、ジャマイカの元陸上競技選手[2]。世界陸上では通算10個、五輪では通算3個の金メダルを獲得した、ジャマイカスプリント界の伝説である[3]。152cmの小柄な体から放たれる爆発的な加速力で、「ポケット・ロケット」の愛称を持つ[4]

概要 シェリー=アン・フレーザー=プライス, 選手情報 ...

世界陸上女子100m金メダリスト(ベルリン・モスクワ・北京・ドーハ・オレゴン)。オリンピック女子100m2連覇(北京・ロンドン)。2013年モスクワ世界陸上では女子史上初の100m・200m・4×100mリレーの3冠を達成した。

大会やレースごとに派手な色のウィッグを着用することを恒例としていた[5][6]

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経歴

要約
視点

ジャマイカの首都・キングストンにある地元住民以外は出入りが許されないという危険なスラム地区に生まれた。父親は同じ通りに住んでいたが同居せず、フレーザーは兄・弟と共に母親から女手ひとつで育てられた。母親はしつけに厳しく、勉強をしろとうるさかったので学校の成績も悪くなかったが、家が貧しかったので地元でも有名な女学校の試験に合格しても授業料が払えなかった。ところが、見知らぬ若い資産家の女性が理由も言わずに授業料を払い続けてくれたおかげで進学し、勉強に励むことができた。

16歳だった2003年には、ジャマイカでとても人気のある陸上競技の全国高校選手権「チャンプス英語版」に出場し、100mで7位になっている。また、2002年の中米カリブ海ジュニア陸上競技選手権大会英語版にジャマイカ代表として出場し、4×100mリレーの優勝に貢献している。しかし、当時は母親が勉強をしろとうるさかったので陸上競技に本気で取り組んでいなかった。ジャマイカ工科大学英語版に在学中だった21歳の時に、大学のキャンパス内で練習していたMVP Track & Field Clubに加入して本格的に陸上競技を始めたが、加入当初はその身長の低さもあり、短距離では成功しないなどと周りから言われていた[7]

2008年

フレーザーは、2007年までは目立つ選手ではなかった。実際、2007年までの100mの自己ベストは11秒31であり、ジャマイカの並み居るスプリンターたちに遠く及ばない状況であった。しかし、2008年の北京オリンピック国内選考会で、世界チャンピオンのベロニカ・キャンベル=ブラウンらを抑えて2位に入り、100mで代表入りを果たす。オリンピックでも順調に勝ち進み、決勝では10秒78の好タイムで優勝。2位に0.2秒の大差をつける圧勝であった。なお、同タイムでジャマイカのシェローン・シンプソンケロン・スチュワートが2位に入り、表彰台を独占した。4×100mリレーは、フレーザー、キャンベル=ブラウン、シンプソン、スチュワートというメンバーで、世界記録更新が期待されたが、決勝でのバトンミスにより失格となった。

2009年

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世界陸上ベルリン大会で優勝したフレーザープライス

2009年世界陸上ベルリン大会の100mでは、マリーン・オッティが保持していたジャマイカ記録(10秒74)を約13年振りに更新する10秒73で優勝した。

2010年

2010年5月に中国・上海で行われたIAAFダイヤモンドリーグオキシコドンに陽性反応を示した。本人は禁止薬物とは知らず、歯痛を抑えるために使用したと弁明していたが、10月に6カ月の出場停止処分になった。フレーザーは暫定的な処分を受けており、競技会への出場は2011年1月8日から可能になった[8][9]

2011年

2011年1月に結婚した[10]世界陸上大邱大会の100mは4位。4×100mリレー決勝では第1走者を務めてジャマイカ新記録を樹立し、銀メダルを獲得した。

2012年

2012年8月のロンドンオリンピック100m決勝は10秒75(+1.5m/s)の記録で優勝し、北京オリンピックに続き同一種目で連覇を飾った。同オリンピックの200m決勝は、アメリカのアリソン・フェリックスに次ぐ22秒09で2位となり、銀メダルを獲得した。200mではオリンピックと世界選手権を通じて初のメダル獲得。

2013年

2013年8月の世界陸上モスクワ大会100mで、今季世界最高記録となる10秒71で優勝し、金メダルを獲得した。同種目では、2009年世界陸上ベルリン大会以来2大会ぶりの金メダル獲得。200mは22秒17で優勝してオリンピックと世界選手権を通じて同種目初の金メダルを獲得、ジルケ・グラディッシュ東ドイツ)とカトリン・クラッベドイツ)に続き、史上3人目となる同一大会での100m・200m女子短距離2冠を達成した。4×100mリレー決勝ではアンカーを走り、ジャマイカが41秒29の大会新記録で2大会ぶり3度目の優勝を遂げ、金メダルを獲得した。フレーザー=プライスは世界陸上で女性初の短距離3冠を達成した。

ダイヤモンドリーグでは100mと200mで年間王者に輝き、男女通じて初の2冠を達成した。

11月のワールドアスレチック・ガラでIAAF世界最優秀選手賞を受賞した。ジャマイカの女子選手としては1990年のマリーン・オッティに続いて2人目。男子はウサイン・ボルトが受賞し、初のジャマイカ選手アベック受賞となった。

「ポケット・ロケット財団」を設立し、自分と同じような境遇で育っている才能ある子供達を援助している。

2014年

2014年1月に「Chic Hair Ja」という名前の美容室をキングストンにオープンした。

3月の世界室内陸上ソポト大会60m決勝で、1997年以降の同大会では最速となる世界歴代7位の6秒98で優勝し、金メダルを獲得した。また、60m、100m、200m、4×100mで同時に世界タイトルを獲得した史上初の女性となった[11]

初出場となった8月のコモンウェルスゲームズ4×100mリレー決勝ではアンカーを務め、41秒83の大会記録を樹立して金メダルを獲得した。

2015年

世界陸上北京大会では翌年の五輪を見据え100m走のみ出場し、10.76秒という新記録で危なげなく優勝した。世界選手権の同種目3回目の優勝は、史上最多記録となった[12]。また、五輪と世界陸上の100mで合計5個の金メダルは女子史上最多記録である[13]。4×100mリレーでも金メダル獲得。この年はダイヤモンドリーグも含め、11回の100メートルレースのうち10回で1位の圧倒的な成績だった[14]

2016年

2016年序盤は足の親指の故障に苦しみ、大会を欠場、5月の大会で復帰するも100m走を11.18秒で最下位に終わり、不安を残した。また、国内ではエレイン・トンプソン=ヘラが台頭し、五輪選考会では後塵を拝んだ[15]

リオデジャネイロオリンピック本番でも痛みは続き、100m準決勝の走行後には顔を歪ませる場面も見られた[16]。決勝では10.86秒のシーズンベストを出すも、銅メダルに留まり、3連覇はならなかった[17]。それでも、彼女は出場自体が危うかったことを考えれば、「ここまでで最高のメダル」だと表現した[18]。4×100mリレーは銀メダル。

2017 - 2018年

3月に妊娠を公表し[19]、ロンドン開催の世界陸上は欠場することになり、100mの連覇記録は途切れた。その100m決勝を現地観戦中に陣痛が始まり、翌日に出産した[20]。産後のリハビリは、帝王切開分娩だったこともあり、難航する面もあった[21]

2018年5月の大会で復帰し、100mを11.52秒で優勝した。その後、ジャマイカ選手権で11.09秒(2位)を、ロンドングランプリでは10.98秒(1位)を記録した。

2019年

世界陸上ドーハの100mでは、予選で10.80秒、準決勝で10.81秒の好成績を残すと、決勝を今季世界最高の10.71秒で2大会ぶり4度目の優勝を果たした。世界陸上100mでの金メダル4個は、ボルトをも凌ぐ史上最多記録である[22]。さらに、五輪または世界陸上の100mにおける母親の優勝は95年のグウェン・トーレンス以来24年ぶり、32歳の優勝は最年長記録となった[23]。4×100mリレーでも金メダルを獲得した。

2020 - 2021年

2020年は、2月のバーミンガム室内グランプリの60mでシーズンを始め、2014年以来となる室内での優勝を飾った。しかし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により五輪を含む世界大会は中止となり、その後は地元キングストンの大会に出たのみだった[24]

2021年6月にキングストンで開催された大会の100mにおいて、33年ぶりの国内新記録となる10.63秒を樹立して優勝した。これは2009年のカーメリタ・ジーターを上回る記録で、上には薬物疑惑を言及されるフローレンス・グリフィス=ジョイナーしかいないため、事実上の世界記録だと見なす声もあった[25]。6月末の五輪選考会では100mと200mの両方で優勝した。

東京オリンピックでは、100mは10.74秒でトンプソンに次ぐ銀メダルを獲得した[26]。3連覇はならず、トンプソンには優勝タイム10.61秒で国内記録も破られたが、同種目4個目のメダルは史上最多記録となった[27]。また、3位のシェリカ・ジャクソン英語版と合わせてジャマイカ勢が表彰台を独占し、3人が出場した4×100mリレーで金メダルを獲得した。200mは4位でメダル獲得はならなかった。

翌月のダイヤモンドリーグ・ローザンヌ大会では、100mを10.60秒で自己ベストを更新した[28]。前週にトンプソンが10.54秒の新記録を出していたため、国内2位、世界3位の記録だった。

2021年の開幕前にはこの年でキャリアを終えるかもしれないと考えていたが、予想以上に好調だったため、限界まで続けたいと語っている[29]

2022年

7月の世界陸上オレゴンでは、100mで世界陸上通算10個目の金メダルを獲得した[30][31]。優勝タイム10.67秒は、世界選手権決勝における自己ベストであるとともに、1999年にマリオン・ジョーンズが樹立した10秒70の大会記録を破り新記録となった。また、35歳での100m優勝は最年長記録であった[2]。さらに、2位はジャクソン、3位のトンプソンとともに五輪に続くジャマイカ勢による表彰台独占を成し遂げた。200mではジャクソンに次ぐ銀メダル[32]、4×100mリレーも銀メダルだった。

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世界陸上オレゴン女子100mで優勝

その後もダイヤモンドリーグ大会を含む4大会の100mで優勝し、シーズン通じて負けたのは怪我後の復帰戦だけだった[33]。この活躍により、ローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀女子選手に選ばれた[34]

2023年

家庭の事情や膝の故障により、開幕は7月からとなった。8月のインタビューで、世界陸上ブダペストでは200mに出場しないことを明言した[35]100mに集中した同大会だったが、個人では銅メダルの結果だった。13歳年下の米国のシャカリ・リチャードソンが優勝し、変化を感じさせた[36]。4×100mリレーでは走行中にハムストリングスを痛めるも、バトンを繋ぎ銀メダルに貢献した[37]。ただし、この怪我によりシーズンを終了した。

2024年

家族との時間を作りたいという理由から、2024年シーズン限りでの現役引退を示唆した[38]

膝の故障に悩まされ、6月に開幕した。それでもジャマイカの五輪予選では10秒94を出して代表出場権を勝ち得た。

8月のパリオリンピック100mでは、準決勝をまさかの棄権。ハムストリングスの故障[39]や、関係者がゲートでの手違いによるウォームアップ不足[40]など複数の説明が行われた。五輪での連続メダル獲得記録は途切れ、「決勝に立つ機会を失い、心も体もどん底に」陥ったという[41]。また、この大会の女子短距離でジャマイカ勢は表彰台に立つことができなかった[42]

2025年

パリオリンピック以降は、自身のSNSに息子のジオンとバカンスを楽しんだり、慈善事業に勤しむ姿を投稿していたが、2025年になってトレーニングする様子を公開。4月16日には息子の運動会に参加し、激走する模様が話題となった[39]

4月19日、キングストン開催の「ヴェロシティ・フェスト」に参加し、昨年のパリオリンピック以来となる実戦復帰となった。追い風参考記録となったものの、9月の世界陸上の参加標準記録(11秒07)を上回る10秒94(+3.1m/s)で駆け抜けた[39]

ダイヤモンドリーグ・ドーハ大会には3年ぶりに参戦。100mで11秒05(+2.0m/s)の4位となった[38][43]

6月、契約メーカーのナイキが主催するパーティーに出席し、今季限りでの現役引退を表明した[38]

最後の大舞台は、奇しくも初出場した世界陸上大阪と同じ日本で開催される世界陸上東京となった[41]100mの決勝では、ジャマイカの国旗を彷彿とさせる髪色で出場し、6位で終えた[44][45]。ラストランとなる女子4×100mリレー決勝は、紅白カラーの髪色で登場し、大歓声を受けた。第1走を担うと、100m覇者のメリッサ・ジェファーソン=ウッデン英語版を凌ぐ区間2位で走り、ジャマイカは銀メダルを獲得[46]。「若い選手たちに引き継いで、金メダルを目指す機会を与えたい。それが私の望みでした。金メダルはなかったけど、(ジャマイカとして)2つは獲得できた」と話した[47]

10月7日、自身のインスタグラムで現役引退を正式に発表した[48][49]

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主な成績

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自己ベスト

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脚注

外部リンク

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