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イッツ・オンリー・ロックン・ロール
ローリング・ストーンズのアルバム ウィキペディアから
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『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』(It's Only Rock'n Roll)は、1974年にリリースされたローリング・ストーンズのオリジナル・アルバム。プロデュースはグリマー・ツインズ。レコーディング・エンジニアはアンディ・ジョンズおよびキース・ハーウッド。全英2位、全米1位を記録。
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解説
要約
視点
1968年の『ベガーズ・バンケット』より続いてきたスワンプ・ロック路線から脱却し、本作ではソリッドかつストレートなロックサウンドに転換が図られた[1]。『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)以降、ストーンズのサウンド面では欠かせなかったホーン・セクションも本作では一掃されている。本作はグリマー・ツインズ(ミック・ジャガーとキース・リチャーズのプロデューサーとしての匿名クレジット)がプロデュースを行った初の作品である。『ベガーズ…』以降ストーンズの全作品のプロデュースを引き受けてきたジミー・ミラーは本作のセッションの途中で降板した。そして、1969年からストーンズのリードギタリストとして共に活動をしてきたミック・テイラーが、本作リリース直後の1974年12月にグループを脱退したため、テイラーが参加した最後のアルバムにもなった。テイラーの脱退理由には様々な憶測が流されたが、本人は「キースのドラッグが原因でメンバーがバラバラな状態だった」と語っている。あらゆる意味で本作はグループにとっての転換点になった[2]。
本作のレコーディングは、1973年のヨーロピアン・ツアー終了直後の11月からドイツ、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオにて開始された。「ショート・アンド・カーリーズ」のみ、前作『山羊の頭のスープ』のセッションからのものである[3]。アルバムタイトル曲の「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」は、当時フェイセズのギタリストであり、テイラーの後任として後にストーンズに加入するロン・ウッドの自宅の地下室で、ベーシック・トラックが作られている。ウッドは当時、自身初のソロ・アルバム『俺と仲間』の制作中であり、リチャーズとテイラーもその作品に参加している。このことでストーンズとの関係を深めたウッドが、後に新メンバーとして加入するのは自然な流れだった[2]。
本作のパッケージはシングル・スリーブで、特にオマケもなくシンプルなものとなった。ジャケットの絵を手がけたガイ・ピーラートは、かつて「Rock Dreams」という画集でストーンズを描いたことからジャガーに気にいられ、本作のレコーディングにも立ち入りを許されていたという。ジャケットの絵はそのレコーディング中にイメージしたものだという[3]。内袋に前作同様、各曲のクレジットとゲストミュージシャンの写真が印刷されている。また、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」、「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」、「ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ」でプロモーションビデオが制作された。現在ではいずれもYouTubeのストーンズ公式ページで試聴可能である。
この1974年には、ビル・ワイマンがストーンズのメンバーで初となるソロ・アルバム『モンキー・グリップ』をリリースし、全英39位にランクインさせている[4]。
1994年にヴァージン・レコードからリマスター版が、2009年にはポリドールから再リマスター版がリリースされた。2011年には日本限定で、ユニバーサルミュージックグループから最新リマスター版がSACDで発売された。
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評価
イギリスでは2位に留まり、1969年の『レット・イット・ブリード』以来続いていた連続1位の記録が途絶えた[5]。アメリカでは1週のみだが1位となり[3]、2000年にプラチナ・ディスクを獲得するものの、売上は前作を超えることは出来なかった[6]。本作からはアルバムタイトル曲「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」が先行シングルとして、また 「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」(テンプテーションズのカバー)がリカットシングルとして発表されたが、「イッツ・オンリー…」はアメリカでトップ10を逃しており[7]、ストーンズは商業的スランプに陥っていた。
グレイト・ギタリスト・ハント〜北米ツアー
テイラーの突然の脱退を受け、グループは1974年12月より、新ギタリストのオーディションを兼ねた新作のレコーディングを開始する。このオーディションは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれ、誰が新メンバーになるか注目を集めた。候補と噂されたギタリストには、ジェフ・ベックやミック・ロンソンなど10名以上にもおよび、はてはウィルコ・ジョンソンやジミー・ペイジ、ロバート・ジョンソンといったありえない名前までが挙げられたが[8]、4月14日までに旧知であったロン・ウッドが加入することで決定した[9]。
1975年5月より、「NORTH AMERICAN TOUR 1975」が開始された(ツアー開始に合わせる形で、ベスト・アルバム『メイド・イン・ザ・シェイド』もリリースされている)。ツアー告知は5月1日、ニューヨークの5thアベニューにおいてトラックの荷台で「ブラウン・シュガー」を演奏する形で行われた[10]。ツアーは6月1日のルイジアナ州バトンルージュのルイジアナ州立大学公演から始まり、8月8日のニューヨーク州バッファローのリッチ・スタディアム公演で終了した。このツアーではオープニングに「庶民のファンファーレ」が流され、巨大なペニスをかたどった風船が扇風機でステージ上に膨らまされた。この演出は警察から「あれをまた使ったら今度は刑務所行きだ」と警告されたため一度しか行われなかった[11]。ウッドもこのツアーに同行したが当時はまだフェイセズが活動中であり、サポートメンバーという形で参加していた[12]。同ツアーでは本作から「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「フィンガープリント・ファイル」などが演奏された。またサポートを務めたビリー・プレストンの曲も披露されている。
収録曲
特筆無い限り、作詞・作曲:ジャガー/リチャーズ ※#3のみ、"Inspiration by Ronnie Wood"と注釈がつけられている。
SIDE A
- イフ・ユー・キャント・ロック・ミー - If You Can't Rock Me 3:47
- エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ - Ain't Too Proud to Beg (Norman Whitfield/ Eddie Holland) 3:31
- イッツ・オンリー・ロックン・ロール - It's Only Rock'n Roll (But I Like It) 5:07
- ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ - Till The Next Goodbye 4:37
- タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン - Time Waits for No One 6:38
SIDE B
- 快楽の奴隷 - Luxury 5:01
- 1994年版からオリジナル版より尺の長いバージョンに差し替えられた。
- ダンス・リトル・シスター - Dance Little Sister 4:11
- マイ・フレンド - If You Really Want to Be My Friend 6:17
- ショート・アンド・カーリーズ - Short and Curlies 2:44
- フィンガープリント・ファイル - Fingerprint File 6:33
- FBIに追跡される男の逃走劇を描いた曲で、これはウォーターゲート事件から着想を得たものである[1]。
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参加ミュージシャン
- ミック・ジャガー - リード&バッキング・ボーカル、アコースティックギター(#4)、エレキギター(#10)
- キース・リチャーズ - ギター、バッキング・ボーカル、ベース(#1)
- ミック・テイラー - ギター、ギターシンセサイザー(#5)、コンガ(#7)、ベース(#10)
- ビル・ワイマン - ベース、シンセサイザー(#10)
- チャーリー・ワッツ - ドラムス
- ニッキー・ホプキンス - ピアノ(#4、#5、#6、#8、#10)
- ビリー・プレストン - ピアノ(#1、#2)、クラビネット(#2、#10)
- イアン・スチュワート - ピアノ(#3、#7、#9)
- レイ・クーパー - パーカッション
- ブルー・マジック - バッキング・ボーカル(#8)
- チャーリー・ジョリー - タブラ(#10)
- エド・レイチ - カウベル(#2)
- ロン・ウッド - 12弦アコースティックギター&バッキング・ボーカル(#3)
- ウィリー・ウィークス - ベース(#3)
- ケニー・ジョーンズ - ドラムス(#3)
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脚注
外部リンク
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