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ウィキマニア
年次の国際会議。ウィキメディア財団が運営するウィキ・プロジェクト群の利用者が参加する ウィキペディアから
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ウィキマニア(Wikimania)は、ウィキメディア財団がホストし、ウィキメディアへの寄稿者のコミュニティによって運営される、ウィキメディア運動に関する年に1度の会議である。プレゼンテーションや議論のトピックとしては、ウィキペディアやその他のウィキ、オープンソースソフトウェア、オープンナレッジ、フリーコンテント、またこれらのトピックに関連する社会的、技術的側面等が含まれる。
2011年以降、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー(2017年以前はウィキペディアン・オブ・ザ・イヤーという名称であった)の受賞者がWikimeniaで発表されている。
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会議
要約
視点

2005年
Wikimenia 2005は、初めて行われたWikimeniaであり、2005年8月4日から8日まで、ドイツのフランクフルトにあるHaus der Jugendで行われ、約380人が参加した[1]。
会議が行われた週の8月1日から4日までは、"Hacking Days"が行われ、約25人の開発者が集まって、コード作成やMediaWikiの技術的な側面、ウィキメディアプロジェクトの運営についての議論を行った。会議の主日程は、8月4日から8日と公表されていたが、実際は、5日から7日の3日間に、終日プレゼンテーションのセッションが行われた。
基調講演はジミー・ウェールズ、ロス・メイフィールド、ウォード・カニンガム、リチャード・ストールマンで、セッションや会話の大部分は英語で行われたが、ドイツ語を用いることもあった。
イベントのスポンサーは、Answers.com、Socialtext、サン・マイクロシステムズ、Doccheck[22]、Logos Group等が務めた。
2006年

Wikimania 2006は、2度目のWikimeniaであり2006年8月6日から8日にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード・ロー・スクールのバークマン・センターで行われ、約400[2]-500[23]人が参加した。スピーカーには、ジミー・ウェールズ、ローレンス・レッシグ、ブリュースター・ケール、w:Yochai Benkler、ミッチ・ケイパー、ウォード・カニンガム、デビッド・ワインバーガーがいた。ダン・ギルモアは、後日、市民ジャーナリズムのアンカンファレンスを開催した。
ウェールズによる基調講演は、AP通信により報道され、世界中の多くの新聞に掲載された。彼は、財団が「パジャマを着て座っていた」未成熟な状態から、現在の成熟した組織体にいかに発展したかを時系列で示し、量から質への転換への後押し、OLPC(One Laptop per Child)を通じて配布されるコンピュータにウィキペディアが含まれること、ウィキバーシティと諮問委員会の設立が財団の理事会によって承認されたこと、そしてWikia, Inc.とSocialtextによるプライベートインベストメントのおかげでWiki-WYGを開発中であること等を語った[24]。
Wikimania 2006のメインスポンサーはAnswers.comが務めた他、Amazon.com、バークマン・センター、ノキア、WikiHowがBenefactors-level sponsor、w:Wetpaint、Ask.com、Yahoo!、SocialtextがFriends-level sponsor、IBM、FAQ Farm、w:Elevation Partners、OLPO、w:Sunlight FoundationがSupporter-level sponsorとなった[25]。
Wikimania 2006の開催地には、ロンドン、ミラノ、ボストン、トロントの各都市が立候補したが、主催者によって2次審査に進んだのは、トロントとボストンだけだった。トロントが選ばれた場合、トロント大学のバヘン・センターで開催される予定だった。
2007年
2006年9月25日に、第3回のWikimaniaとなるWikimania 2007が2007年8月3日から5日に台湾の台北で開催されると発表された[26]。 ボランティア訓練コースが行われる初めてのWikimaniaとなった[27]。
開催地には、ロンドン、アレクサンドリア、トリノも立候補した。香港、シンガポール、イスタンブール、オーランドは、最終候補に残らなかった[28]。開催地は、2006年9月25日に発表された[26]。
2007年8月3日、ニューヨーク・タイムズのレポーターであるNoam Cohenは、「この会議には、約440人の参加者が集まった。半分強が台湾からで、全体がボランティアにより書かれた百科事典を作成するにあたってのアイデアや問題の議論に 3日間没頭したいと思っていた[3]。ワークショップでは、どのように平和的な協働を実現するか、匿名編集者を含む誰もが貢献できることで評価されるプロジェクトにおいて「専門知識」をどの程度重視すべきか等、実用的なトピックが扱われた。」と書いた[3]。
2008年

4度目のWikimaniaとなるWikipedia 2008は、2008年7月17日から19日にエジプトのアレクサンドリアにある新アレクサンドリア図書館で行われ、45か国から660人が参加した[4]。アレクサンドリアは、古代のアレクサンドリア図書館があった場所である[29]。他に、アトランタとケープタウンが最終選考に残った。カールスルーエ、ロンドン、トロントも立候補していたが、辞退した。ホスニー・ムバーラクの時代に検閲の疑いやブロガーの投獄があったため、この開催は議論を呼び、ボイコットの呼びかけさえ行われた[30][31]。アレクサンドリアの誘致を行ったアレクサンドリア大学卒業生のMohamed Ibrahimは、BBCに対し、「私は、我々は表現の自由をより大きく発展させる権利を持っていると思う」と述べた[32]。彼の目的の1つは、2005年初頭から彼が貢献しているアラビア語版ウィキペディアの成長を助けることであった。エジプトの閣僚がムバーラクの代理として、開会式でスピーチした[29]。
2009年

5度目のWikimaniaは、2009年8月26日から28日まで、ブエノスアイレスのw:Centro Cultural General San Martínで開催され、559人が参加した[33]。他の候補は、ブリスベン、カールスルーエ、トロントだった。
リチャード・ストールマンとジミー・ウェールズの基調講演の他、コーダソン(ハッカソン)や非公式なChapters' meetingが行われた。カジュアルとアカデミックの2つのスコープで、各々がウィキメディアコミュニティ、自由知識、ラテンアメリカの挑戦、技術インフラという同じ4つのテーマを扱った。
2010年

6回目のWikimaniaは、2010年7月9日から11日にポーランドのグダニスクにあるポーランド・バルト・フィルハーモニックで行われた。初日の7月9日は、WikiSym academic conferenceの最終日と重なっていた。候補都市のアムステルダムとオックスフォードは、わずかな差で敗れた[6]。Wikimania 2010は、開催国の文化的側面に焦点を当てた最初の会議だった。特に、ポーランド人の作曲家ウワディスワフ・シュピルマンの没後10年を記念したフィルハーモニーオーケストラのコンサートやウィキペディアを題材とした映画Truth in Numbers?のプレミア試写会が行われた。また、この会議で、ウィキメディア財団の事務長スー・ガードナーは、財団は、今後の5年間で、ウィキメディアサイトへの訪問者を毎月3.71億人から6.8億人に増やすことを目指していると述べた。
2011年

7度目のWikimaniaとなるWikimania 2011は、2011年8月4日から7日に、イスラエルのハイファで行われた[34]。会場は、カルメル山のハイファ会館と隣接のベイト・ハイファ文化センターであった。基調講演は、バークマン・センターのフェローであるw:Yochai Benklerと、マサチューセッツ工科大学のジョゼフ・M・リーグル・ジュニア(Good Faith Collaboration: The Culture of Wikipediaの著者)が行った[35]。クネセトの科学技術委員長であるw:Meir Sheetritとハイファ市長のw:Yonah Yahavもこの会議で講演した[36]。スポンサーの1つは、ハイファ大学だった[37]。会議では、5つの会場で125のセッションが行われ、イスラエルと外交関係のない国も含む56か国[36]から720人[34]が参加した[38]。
ハアレツとのインタビューで、ウェールズは、「2008年にエジプトであったように、イスラエルでの開催にボイコットの呼びかけがあった」と語った。ウェールズは、パレスチナ問題をめぐる編集者間の対立や、親イスラエル団体によるウィキペディア編集者の増員に向けた取組があったにもかかわらず、ウィキペディアの記事はこの問題に関して概ね中立的な立場を保っていると考えており、「Wikipedia:中立的な観点は議論の余地がない」と述べた[39]。
ウィキメディア財団事務長のガードナーは、西洋の、男性中心の考え方がウィキペディアを性格付けていることを述べた[40] At the end of the August 7 closing ceremony, Wales was presented with the first day cover of the first-ever Wikimedia-related postal stamp,[34]。8月7日の閉会式の最後に、ウェールズは、イスラエル郵便会社がこのイベントを記念して発行した、ウィキペディア関連の初の切手の初日カバーを贈呈された[41]。議論された新プロジェクトの中には、ギャラリー、図書館、アーカイブ施設、博物館等の文化施設とのコラボもあった[42]。
会合後、参加者は、ハイファ、エルサレム、ナザレまたはアッコの無料ツアーを提供された。ウィキメディア・イスラエル元議長のShay Yakirは、イスラエルにとって、ハイファでこの会合を開催したのは、オリンピックの大会をホストするようなものだったと語った[43]。
2012年

8度目のWikimaniaであるWikimania 2012は、2012年7月12日から15日にワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学で開催され、87か国から1400人以上が参加した[44]。この会議と連携して、アメリカ合衆国国務省は、「公共分野における集合知とwikiの利用」をテーマとしたTech@State:Wiki.Govを主催した[45]。会議の主なテーマは、より多くの編集者を引き付けて維持し、また特に女性を含むユーザーにとってウィキメディアのウェブサイトをより魅力的な親しみやすいものにするため[46]、古くて「地味」なインターフェースを新しいウィキメディアツールでアップデートすることの必要性について[47]であった。アトランティック誌は、新任の管理者の数が数年のうちに急激に下がっていることを示す図を会議中に提示した[48]。
開会式で、ウェールズは、2012年1月の「ウィキペディアのブラックアウト」について、「今、私が政府の役人を訪ねると、彼らは少し怖がる」と述べた。しかし、彼は、「我々の仕事に直接影響を及ぼす最も深刻なもの」を除き、政治的中立性に対するウィキメディアの取組を継続した[49][50]。ウェールズは、Ada Initiativeの共同設立者の一人であるメアリー・ガーディナーの「ウィキメディアは、女性編集者をさらに増やすべき」という基調講演に賛同した。彼女は、「活動家のプロジェクトではなかったとしても、社会変革のプロジェクトとして、ウィキメディアのコミュニティは、そのミッションと世界中の人々に対して、世界の傘を大きくするために多様性に向かって進み続ける責任を負っている」と語った[51][52]。
2013年
Wikimania 2013は、9回目のWikimaniaで、2013年8月7日から11日に香港の香港理工大学で行われ、88か国から700名が参加した。他の候補都市は、ロンドン、ブリストル、ナポリと、インドネシアのスラカルタだった。会期中のパーティの1つは環球貿易広場で行われ、閉会式のパーティは石澳海灘で行われた。ウィキペディアにおけるジェンダーバイアス[53]や、ウィキペディアはページの暗号化のためにSSLを用い始めるべきだというウェールズからの提案について議論された[54]。
2014年

10度目のWikimaniaであるWikimania 2014は、2014年8月8日から10日[55]にロンドンのバービカン・センターで行われた[56]。候補地選定は公式には2012年12月から行われ、2013年5月にロンドンが開催地に決まった。もう1つの候補地は、タンザニアのアルーシャだった[57][58]。基調講演は、アムネスティ・インターナショナル事務局長のサリル・シェティが行った[59]。ウィキメディア財団事務長がライラ・トレティコフに代わって初めてのWikimaniaであり[59]、開催に先立って2日間のハッカソンと一連の周辺イベントも行われた[59]。アメリカ合衆国のCBSテレビが放送するドキュメンタリーテレビ番組『60ミニッツ』の中で、'Wikimania'というタイトルで放送された[60]。
2015年
11度目のWikimaniaとなるWikimania 2015は、2015年7月15日から19日[61]にメキシコシティのヒルトン・メキシコシティ・レフォルマで行われた[62][63]。候補地選定は、公式には2013年12月から行われ、他の候補都市は、タンザニア北部のアルーシャ、インドネシアのバリ州、南アフリカのケープタウン、タンザニアのダルエスサラーム、イタリアのレッコ県エージノ・ラーリオ、チュニジアのモナスティルであった[64][62]。最終候補は、メキシコシティとケープタウン、モナスティルの3都市で[65]、2014年4月にメキシコシティでの開催が決定した[64][62]。運営は、ウィキメディア財団のメキシコ地域支部であるWikimedia México, A.C.が担った[66]。
2016年
12回目のWikimaniaであるWikimania 2016は、2016年6月24日から26日(周辺イベントは6月21日から28日)まで、イタリアのレッコ県エージノ・ラーリオの山村で行われた[67]。エージノ・ラーリオは、2015年の開催にも立候補していた。他の候補都市は、フィリピンのマニラだった。大都市以外が開催地となったのは初めてであり、プレナリーセッションは屋外で行われた。会期中、ウィキメディア財団の暫定事務長だったキャサリン・マーが常任になることも公表された。
2015年から2016年にかけて、ウィキメディア財団は、ウィキメディアコミュニティと協議し、将来的にWikimaniaを隔年開催とすることが支持された。しかし、Wikimania 2016での「ウィキマニアの未来」セッションでは、この考えに強い反対が示され、毎年開催が続けられることになった[68][69]。
2017年

13回目のWikimaniaとなるWikimania 2017は、2017年8月9日から13日まで、モントリオールのル・サントル・シェラトンホテルで行われた[70][71]。この年は、カナダ建国150周年記念で、モントリオールの375周年記念の年であった[72]。最初の2日間には、WikiConference North Americaが行われた。
2018年
14回目のWikimaniaとなるWikimania 2018は、2018年7月18日から22日まで、ケープタウンのサザンサンケープサン・ホテルで開催された。集合知のギャップを埋めるための共通戦略を構築することに議論の主眼を置くことを目的として"Bridging Knowledge gaps: the Ubuntu way forward"というテーマが掲げられ[73]、イベント自体のテーマが掲げられた初めてのWikimaniaとなった。
2019年

15回目のWikimaniaとなるWikimania 2019は、2019年8月14日から18日まで、ストックホルムのストックホルム大学で開催され、800名以上が参加した[16][74]。イベントのテーマは、"Stronger Together: Wikimedia, Free Knowledge and the Sustainable Development Goals"だった。
運動の持続可能性イニシアチブの一環として、ウィキメディア・スウェーデンおよびウィキメディア財団は、カーボンオフセット費用の半分を負担することを決定した。また、この会議で、Wikimedia Coolest Tool Awardが創設された[75]。
2020-2022年

16回目のWikimaniaとなるWikimania 2020は、Wikimaniaの15周年として、2020年8月5日から9日まで、バンコクでの開催が予定されていた[76]。2020年3月、新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、マーは、2021年までの延期を発表した[77]。2021年1月28日、ウィキメディア財団のCOOであるw:Janeen Uzzellは、パンデミックにより対面でのイベントに制限があるため、今回のWikimaniaをオンラインイベントとして行うことを発表し[78]、2021年8月13日から17日に開催された[79]。予定された対人イベントは、Wikimedia East South East Asia Pacific (Wikimedia ESEAP)がホストし、初めての地域共同開催となり、アジアで3度目、東南アジアでは初めての開催となった。ESEAP地域で、次回の対人会合を行うことが決定された[80]。
Wikimania 2022は、再度オンラインで行われたが、パンデミックが収束しつつあったため、いくつかの都市では対面イベントも行われた。
2023年

18度目のWikimaniaであるWikimania 2023は[81]、シンガポールのサンテック・シンガポール国際会議展示場とオンラインとオンラインを併用して、2023年8月16日から19日に行われた。2019年以来の対人イベントで、Wikimedia ESEAPが運営を担った[82][83]。テーマは、"Diversity. Collaboration. Future."だった[84]。
生成AIの利用と限界について時間をかけて会期中に時間をかけて議論したほか[85]、Wikiwoman Summitの紹介とともに、ウィキメディア運動におけるジェンダー参加も議論された[86]。サイドイベントとして、Googleのアジア太平洋地域本部、シンガポール植物園、シンガポール国立図書館等を訪問した[87][88]。閉会式は、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイのフラワードームで行われた。
2024年

19回目の開催となるWikimania 2024は、 "Collaboration of the Open"のテーマの下、2024年8月7日から10日にポーランドのカトヴィツェにあるカトヴィツェ国際会議場で行われた。運営は、ポーランド委員会と中東欧委員会が担った[89]。ガーディアン誌のジャーナリストであるステファン・ハリソンは、「図書館司書の国際サミットとコミコンを組み合わせたように感じられるイベント」であったと述べた[90]。143か国から2200名以上が参加し、100件以上のニュースで取り上げられた[18]。
2025年

20回目の開催となるWikimania 2025は、Wikimedia East Africa Regional and Thematic Hub (Wikimedia EARTH)が運営し、ケニアのナイロビで開催された[19]。WIkimeniaの20周年記念であった。
2026年
21回目の開催となるWikimania 2026は、Wikimédia FranceとWikiFrancaが運営し、パリで開催される予定である[20]。
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関連項目
出典
外部リンク
Wikiwand - on
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